Episode 6-7 それぞれの思惑

 「夢の狭間亭」での仕事を始めてから、七日がたった。


 当初は昼の間、教会に戻るつもりでいた又三郎だったが、今は時間を持て余して、娼館の中庭で所在なさげに過ごしていた。


 中庭はそれほど広い場所ではなかったが、手入れは良く行き届いていた。そのあちらこちらに、香草や薬草の類が植えられた鉢が置かれている。


 又三郎が暮らす教会の裏庭にも、同じような薬草が何種類か植えられていたが、それらには解熱や消毒、鎮静、鎮痛などの作用があった。また、鉢に植えられた香草の中には食用や薬用に使われるほか、清涼感や良い香りが得られるものもあるという。


 この店の者達はこれらの香草や薬草を、日々の生活や仕事で使っているとのことだった。趣味や美観のために植えられたものではなかったが、結果的には店の景観向上にも一役買っているように見受けられた。


 すぐ側ではウェンリィが、洗濯を終えてかごに入れられた大量のシーツを順番に干していた。少し離れた場所でも、数人の女達がそれぞれ手分けをして洗濯物を干している。


 中庭の一角には井戸があり、洗濯の際にはその側で水を張った大きなたらいに洗濯物を漬け込み、石鹸と呼ばれる薬剤を用いながら洗濯板で洗濯物を擦って、汚れを落とし洗い流す。それが終われば新しい水で何度か洗濯物をすすぎ、余分な水分を絞ってから、中庭の端から端まで長く張られた何本ものロープに洗濯物を干していく。


 娼館の女達は、店の主であるターシャや一部の高級娼婦達を除き、自分の衣類や自分の部屋のベッドで用いるシーツなどは自ら洗濯をしていたが、商売をするための部屋のベッドのシーツやタオルの類は、が立って商売の第一線を退いた女達や、店の娼婦として比較的下位にある女達が、当番制で毎日洗濯をしていた。その商売上、シーツやタオルの類の洗濯物の量は多く、その作業はなかなかの重労働であるようだった。


「マタさん、随分と退屈そうね」


 ウェンリィが栗色の髪を揺らしながら、からかうように笑った。毎日顔を合わせるようになって三、四日もたつと、ウェンリィもすっかり又三郎に慣れた様子だった。


 用心棒としての仕事をしたのは、これまでのところ三日目の夜だけだった。酒に酔って店を訪れた客の男が、店の女に暴行を働こうとしたので、呼ばれて現場に駆け付けた又三郎は男を捻り、投げ、組み伏せた。その一連の所作を見ていた店の女達や他の客からは、思わず歓声が上がったほどの手際の良さだった。


 その後はターシャの指示で、男に金を支払わせた上で二度と店に来るなと脅し、店から叩き出しただけで事足りた。それ以外は、あてがわれた部屋でひたすら出番が来るのを待つばかりだった。


 それでも今のところ、まだそれ程までの退屈をせずに済んでいるのは、用心棒としての役目を果たした夜の次の日から、時々又三郎の部屋に店の女達がやってくるようになったからだ。


 そのほとんどは、代役の用心棒を興味本位で覗き見に来た、仕事にあぶれた女達で、名前や年齢、又三郎の柔術の技などについて、色々と尋ねられた。


 ひょっとすると中には、それ以外の目的があった女もいたのかも知れなかったが、又三郎は話を終えると、早く仕事に戻るようにと全ての女達を追い返していた。


「お店の女の子達の間じゃ、マタさん、なかなか人気者みたいよ」


 意味ありげな笑みを浮かべるウェンリィ。事実、店の中で又三郎の姿を見かけた女達の間では、時折黄色い声が上がることもある。今、少し離れたところで洗濯物を干している女達も、ちらちらとこちらの様子を伺っているような節が見られた。


 又三郎は無言のまま、小さく肩をすくめた。


「それにしてもマタさんが、ジーナさんまで追い返しちゃうなんて思ってもみなかったけれど」


 そう言ってくすくすと笑うウェンリィに、又三郎は何とも言えない微妙な表情を浮かべた。


 ジーナというのは「夢の狭間亭」における一番人気の女で、長くつややかな黒髪に豊かな胸と腰、類まれなほどの美貌の持ち主だった。その女が昨夜、又三郎の部屋を不意に訪ねてきた。雨で客足が少なく、暇を持て余していたとジーナは言っていた。


「ジーナさん、結構ショックだったみたいよ。自分が誘いを掛けても乗ってこなかった男の人は、マタさんが初めてだって」


 ウェンリィの言葉に、又三郎は鼻の頭を掻いてそっぽを向いた。


 あの時はまるで島原の太夫たゆうを相手にしているような雰囲気だったので、適当に話を切り上げて早々に部屋から追い返していた。又三郎にしてみれば、どちらかと言えば苦手な類の相手だった。


「本当に、ねぇ……あのジーナから誘いを受けて、手も触れずにさっさと追い返すだなんて」


 不意に背後から声がしたので又三郎が振り返ると、そこにはターシャが立っていた。


 ウェンリィがターシャに軽く頭を下げると、ターシャは鷹揚おうように頷いてから又三郎に目を向けた。


「うちの一番人気の娘を平然とそでにするなんて、アンタ、本当は男に興味があるとかいうクチかい?」


 あまりにもあけすけなターシャの物言いに、又三郎は思わずむせ返りそうになった。


「何ともまあ、酷い言いがかりがあったものだ」


 又三郎の抗議に、ターシャが苦笑した。


「いやなに、大抵の男共はジーナに誘惑されれば、ホイホイとその誘いに乗っかろうとするものなんだけれどもねぇ」


 ターシャはたくましい両腕を豊かな胸の前で組み、ニヤリと笑って言った。


「アンタ、合格だよ。残りの期間も、しっかりと働いておくれ」


 ターシャのその言葉を聞いて、又三郎は少し唖然とした。


「いやはや、これは……ひょっとしてそれがしは、ずっと試されていたのか?」


「当たり前さね。いくらハモンドの紹介があったからって、それだけじゃアンタのことを信用なんてしやしないよ。こっちは男って生き物を、何十年って見てきているんだ。それに、男が男を見る目ってのは案外あてにならないものさ」


 ターシャはそう言うと、小さく鼻を鳴らした。


「アンタの様子を見ながら、少しずつ順番にうちの子達を近づけてみて、怪しい素振りがあったらハモンドに突き返してやろうと思っていたんだけれど……アンタの用心棒としての腕前といい、あの男、今回はなかなか良い仕事をしてくれたもんだよ」


 又三郎はふと、傍らのウェンリィを見た。ウェンリィはまるで悪戯いたずらを見つけられた子供のような表情で、ちろりと舌を見せた。


「初めてマタさんのいる部屋に入った時には、結構緊張したんだけれどね」


 どうやら最初から、又三郎はこの娼館の女達に品定めをされていたようだ。


 又三郎は右手で己の顔を覆い、深くため息をついた。その背中をバン、と強く叩くと、ターシャは笑いながらその場を後にした。こちらの話の内容が筒抜けだったのか、少し離れた場所にいた女達もそれぞれ口元を手で隠し、互いの顔を見合わせて可笑しそうに笑っていた。

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