Interlude 3 血に吠える

「おうおう、随分と男前な姿になったのう」


 ふと気が付くと、少し離れたところに無貌むぼうが立っていた。赤い双眸に愉悦の色をたたえ、喜々として笑っていた。


われはお主の、そういう姿を見てみたかったのだ」


 いつもであれば、真っ先に奴を斬って捨てたいところだったが、この人数を相手に斬り合いをした後では、流石に精も根も尽き果てていた。


 かたわらに倒れているクレアの服の端で、手にしていた刀の刀身を拭った。先程までするすると人の身体を斬り続けていた刀身には、歪みどころか刃こぼれ一つ見当たらない。


 今更になって、左腕の辺りに妙な感触を覚えた。右手で触れると、大きくは無いが少し深い傷から流れ出た血が、ぬるりと付いた。左のすねと右の太もも辺りにも、チクチクとした痛みが走っている。


「おい」


 俺は声を絞り出すようにして言った。


「お前、この刀に何か細工をしたか?」


 俺の問いに、無貌が意外そうな表情を浮かべた。


「何故そのようなことを問う?」


「この刀はおかしい。何人斬っても切れ味が鈍らないし、刃こぼれ一つもしない」


 実際、この刀を手にしている限り、鉄でもたやすく斬ることが出来るような錯覚を覚えた。まるで伝説にうたわれる妖刀の類に近い切れ味だ。


 やはり、というべきか、予想外に、というべきか。納刀すると、刀はすんなりと元の鞘に収まった。普通であれば、あれだけの人数を斬り続けた後ならば刀身が歪んで、刀はなかなか鞘に戻らないはずだ。


 それでも数日も置いておけば、よほどの悪作でもない限りは刀身の歪みが戻って、刀を鞘に納めることが出来るのだが――新選組でも、刀は消耗品に近かった。


「ふむ」


 少しの間、無貌は思案していたが、やがて何かに思い至ったのか、小さく両手を打って言った。


「お主のその刀、以前に我が直してやっただろう。きっとその時に、我の力の一部がその刀に宿ったのであろうな」


「そんな馬鹿な」


 余りにも都合が良すぎて、馬鹿馬鹿しい話だった。鼻で笑った俺に、無貌はすっと目を細めた。


「仮にも『神』が手を加えた刀であるぞ、それぐらいのことはあっても当然だ。せいぜい感謝するがよい」


 無貌がやや得意げに、豊かな胸を反らした。認めたくはないが、その優美さはなかなか様になっていた。


「そら、面白いものを見せてもらった褒美だ。その傷と恰好も、元通りにしてやろう」


 無貌はそう言って、俺に向かって軽く息を吹きかけた。次の瞬間、俺の負った傷も、斬られて汚れた服なども、何もかもが全て元通りになっていた。


 全身の疲労感も、既に無い――刀の件と言い、何ともまあ都合の良い話だ。


「それにしても……お主、よくもまあこれだけの数を斬って捨てたのう。なかなか大したものだ」


 無貌が、ほとほと感心したように言った。


 この刀がなかったら、出来なかったことだと思う。だが、無貌の前でそれを口にするのは、腹が立つので止めておいた。


「しかも、女が相手でも、まるで容赦が無い」


「こいつらは野盗の類だ。下手に討ち漏らせば、後々に類が及ぶ」


 あの三人の男達の時のような思いをするのは、二度と御免だ――下手な情けは、文字通り命取りになりかねない。


 とはいえ、流石に女を斬ったのは、これが初めてだった。虚ろな目で空を見上げているクレアだったものの姿に、少しだけ憐憫れんびんの情が湧いた。


「たまたまこの女が、野盗共の一味だったから良かったようなものの……お主、もしもこの女がただの旅の者であったならば、一体どうするつもりだったのだ?」


 俺の目を覗き込むように言った無貌の問い掛けに、今更ながら少し血の気が引いた。


「この数の野盗に襲われていたのだ。彼女も無事では済まなかっただろう」


 そしておそらくは、俺自身も。


 誰かを守りながら戦える状況ではなかった。周りが全て敵だったから、たまたま今回は生き延びることが出来た。


 地面に置いておいた荷物を拾い上げた。奇跡的に、泥にも血にもまみれていない。中の物も無事だ。教会で待つナタリーや子供達の姿が、ふと脳裏に浮かんだ。


「誰かを思う心と、人斬りとしての狂気……その不釣り合いさが、お主を見ていて飽きぬところなのかもな」


 俺の心の中を、見透かしていたのだろうか。


 無貌は小さくため息をつき、いつものようにぱちん、と指を鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る