Episode 5-8 剣刃乱舞

「クレア殿、これは一体どういうことか?」


「見て分かんないのかい、この間抜け!」


 クレアが口汚く罵り、又三郎の頬に唾を吐きかけた。


「見たこともないおかしな恰好してるけれどさ……アンタ、そんなナリをしているってことは、どこぞの金持ちか何かなんだろう? さっさと有り金全部よこし」


 な、と言いかけたクレアの脇腹を、又三郎は当身でしたたかに打ち据えた。クレアが息を詰まらせて一瞬怯んだ隙に、素早く距離を取る。


 不意の激痛に喘ぐクレアが、思わず叫んだ。


「くっ…畜生、こいつ、何しやがんだいっ!」


「それはこちらが尋ねたいことだ、クレア殿」


 頬に付いたクレアの唾を手の甲で拭いながら、又三郎が低い声で言った。


「そなた、やはり野盗の一味だったか」


「へぇ……最初から気が付いていた、とでも言うつもりかい?」


 やや髪を乱したクレアが、唇の端をゆがめて笑った。端正な顔立ちが、今となっては酷く醜く映った。


「確証は無かったが、それらしい雰囲気はいくらか感じられた」


 又三郎は、肩に背負っていた荷物を地面へと下ろし、身構えた。


「そもそも巡礼の旅というものは、同じ信仰を持つ者同士が集まって行うものだと聞いた。お伊勢参りでも、決して女一人でするようなものではない」


「ふんっ」


「それに、やたらと旅の道中を不安がっていた割には、昨夜はいとも安易に火を起こしていた。もっと大勢での旅、例えば隊商キャラバンの野営などであればともかく、たった二人しかいない旅でするような真似ではなかろう」


 又三郎の指摘に、クレアが不機嫌そうに舌打ちした。


「ちっ、薬を盛った食い物にも、色仕掛けにも見向きもしなくて、面倒臭い奴だとは思っちゃいたけれど……アンタ、その見かけほどには馬鹿じゃなかったってことかい」


「……」


「まあいいや。それにしたって、アンタを殺して身ぐるみ剥ぐだけのことさ」


 クレアが右手を上げると、周囲にいた男達がじりじりと詰め寄ってきた。


 又三郎は静かに刀を抜き、かすみの構えで左足を半歩踏み出した。


「おいお前、これだけの人数を相手に、一体何が出来ると思っているんだ?」


 野盗達の一人が、あざ笑うように言った。周りにいた男達も、つられて笑った。


 又三郎は、小さく鼻を鳴らして答えた。


「鳥羽伏見の時に比べればこの程度、どうということはない」


 そこから先は、文字通りの乱戦になった。又三郎は素早く森の中へと駆け入って、同時に周囲から斬りかかられないよう気を配りながら、野盗達を一人ずつ確実に斬殺していった。


「な、何だコイツ!? 思ったよりも強いぞ!」


「さっさと取り囲んで、殺してしまえ!」


 又三郎を追って森の中へと入った野盗達の間に、微かな動揺が走る。


 一方、又三郎は手にした愛刀を不思議に思っていた。


 幾分切れ味には優れていたものの、所詮は数打ちの刀だったはずなのだが、以前よりも遥かに軽く感じられ、非常に良く斬れる。最初は戦いに興奮している自分の勘違いかと思ったが、明らかに違った。


 通常、人の身体を斬ろうとすると、刃の当たり所によっては骨に弾かれたり、逆に肉へ食い込んだりして、なかなか上手く斬ることが出来ないものだ。それなのに今は、まるで大根を用いた据え物斬りでもしているかのように、刃がスルスルと相手の身体に喰いこんでいく。既に五人以上を斬っているが、その切れ味は全く衰えることが無い。


 普通は数人も斬れば、刀身に血脂ちあぶらが巻いて切れ味が格段に鈍るものなのだが――又三郎は、その切れ味に溺れそうな自分に、思わずおののいた。それでも生き残るために、無我夢中で刀を振るい続けた。


 どれぐらいの時間がたったのだろうか。


 森の中に響いていた男達の怒声と剣戟の音が次第に数少なくなっていき、それから一転して男達の狼狽した声や悲痛な叫びが増えていった。クレアは街道で一人様子を伺っていたが、かなりの時間がたった後、とうとう何も音がしなくなった。


 ようやく片が付いたか――そう思ったクレアが次に目にしたのは、衣服のところどころを切り裂かれ、全身のあちらこちらに返り血を浴びて森から出てきた、又三郎の幽鬼のような姿だった。


 裏返った悲鳴を上げて、クレアはその場にへたり込んだ。思わず腰が抜けた。


 荒い息を整えながら、又三郎は彼女へと近寄っていく。


「そなたの仲間達は、皆残らず斬った」


「なっ!」


 目の前で起こっている出来事が、にわかに信じられなかった。二十人以上いた仲間達が、たった一人の男に斬殺されたというのだ。


 これまでに何度も、この場所で仲間達と野盗仕事を働いてきたが、時折怪我を負う者はいたものの、常に大勢で相手を取り囲んで襲っていたので、死人が出るようなことは一度もなかった。


 ゆらり、と又三郎が刀を八相に構えた。血にまみれた狼の目が、クレアを鋭く射抜いた。


 歯の根が噛み合わなくて、ガチガチと鳴った。酷い悪寒がした。気が付けば顔中が涙と鼻水にまみれていて、股間の辺りが生暖かかった。短剣を握る力すら、手に入らない。


 クレアはかろうじて、声に出した。


「や、やめっ、殺さないで!」


 次の瞬間、クレアの身体に鋭い衝撃が走った。きっと斬られたのであろうそれは、痛いというよりも、熱いという感覚に近かった。


 見ると、己の左肩から右脇腹辺りまでがぱっくりと割けて、真っ赤な血潮が派手に噴き出していた。そのまま背後に倒れたクレアの視界は、やがて暗転した。

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