Interlude 2 餓狼

「息災にしておったか、大江又三郎」


 いつものように、背後から無貌むぼうの声がした。反射的に刀に手が伸び、振り向きざまに抜き撃った。


 だが、手ごたえは無かった。いつものことで、全くもって面白くない。


「おお、怖い怖い。牙を取り戻した狼は、流石に一味違うようだの」


 いつの間にか俺の眼前に浮かんでいた無貌が、ゆっくりと地面に降り立った。奴が自分の足で地面に立つのは、初めて見る光景だ。


「つまらん嫌味を言う前に、黙って大人しく斬られるがいい」


 一つ鼻を鳴らして、俺は刀を鞘に納めた。


 周囲に人影は全くない。川のせせらぎの音が消え、不思議なことに水の流れも止まったままだ。これはやはり、俺の周りの時間が止まっているのだろうか。


「で、一体何の用だ?」


「別にこれといって用は無い、いつもの暇つぶしだ」


 無貌がにっ、と笑ってみせた。相変わらず嫌な奴だ。


「先日はお主の本質を垣間見ることが出来たのが、なかなか興味深かったな」


「……あの一連の件、ひょっとしてあれはお前が仕組んだことか?」


 もしそうだとすれば、到底捨て置ける話ではない。俺は再び刀の鍔に左の親指をかけた。


 俺の視線にたじろぐでもなく、無貌はかたわらの川の水面みなもに目を向ける。


「さて、の。われには見当もつかぬ話だ」


 おそらく嘘だろう。無貌の目に、愉悦の色が混じって見える。だが、確証は無い。


「それにしても、お主もようやくその刀を手に、新たな道を歩み始めたかと思うておったのだが……相変わらず、ぬるい生き方だの」


 整った横顔を見せながら、無貌が皮肉げに唇の両端を吊り上げた。実のところ認めたくはないのだが、一見まるで無防備なようでいて、これで存外に斬り込む隙が見当たらない。


「未だに教会の小娘なぞに縛られおって。その挙句、人足仕事から今度は子守りか?」


「ジェフ殿の死には、俺にも責任の一端があった。今更ナタリー殿や子供達を見捨てる訳にもいかん」


じゅんずるとでもいうつもりか、餓狼」


 無貌の赤い瞳が、一瞬ぎらりと光った。


「我はわらべのままごとの真似事をさせるために、お主を蘇らせたのではない。我を退屈させるな」


「俺が拾った命を、俺の好きなように使え。そういったのはお前だろう」


 俺のその言葉に、無貌は鼻白んで眉をしかめた。未だこの刃は奴に届かないが、ことの刃では一本を取ることが出来たのかも知れない。ほんの少しだけ、気分が晴れた。


「なあ……お主には何だ、こう、血沸き肉躍る活劇への憧れなどは無いのか?」


 無貌の雰囲気が、急に変わった。今まで見たことがないその表情は、まるで心底情けないとでも言いたげだ。


「今のところは、無いな」


「むう……我は役者選びを間違ってしまったのだろうか」


 ――一体何を言っているのだ、こいつは?


「まあ良い、今しばらくはお主の生き様を、見続けてみることとしよう」


 いつかの夜のように、無貌がぱちん、と指を鳴らした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る