Episode 3-8 夜明け前

 夜のモーファの街からは、ともしびが途絶えることが無い。


 既に夜も更けていたが、ようやくこの街にたどり着いたのであろう旅の隊商キャラバンの荷馬車の音が、深夜の街の大通りに寂しく響く。その脇を、ナタリーは息を切らせながらも走った。


 街の中には、明け方近くまで店を開けている酒場や宿屋がいくつも存在した。ナタリーはその一軒一軒を、又三郎を探して回った。だが、どこにも又三郎の姿は無かった。


 いつぞや二人で歩いた商店街の通りも見て回った。既に夜も更けているため、店は皆戸口が閉められていて、数件の店の二階の窓から微かな明かりが漏れているぐらいだ。そこに人影は見られなかった。


 気が付くと、東の空がうっすらと明るくなってきていた。街中を走り回ってすっかり疲れ切ったナタリーは、最後に教会とは反対側の街の外れにある、街道へとつながる一本の橋のたもとにやってきた。


 見慣れた後ろ姿が、そこにあった。


「マタさん!」


 ナタリーは最後の力を振り絞って駆け寄り、大声で叫んだ。その声に振り返った又三郎は、何とも困ったと言わんばかりの顔で笑った。


「若い娘がこのような時間に外を出歩いているとは、何と不用心な」


「ちょっと、マタさん、一体、どこへ、行く、つもり、なのですか」


 激しく息を切らして苦しげに喘ぐナタリーの問いに、又三郎は再び街道の彼方へと視線を向けた。


「うむ……実はずっと、それを考えていた」


「それを、考えて、いたって」


「ああ。だが困ったことに、何も良い案が思い浮かばなんだ」


 ナタリーは喘ぎながらも、じっと又三郎を見つめた。激しい動悸は、急いで走ってきたことだけが理由ではなさそうだった。


所詮しょせんは己一人の身のこと。何とでもなるだろうと、たかをくくっておったのだが」


 そこで一度言葉を区切った又三郎が、何とも気まずそうに頭を掻いた。


「こうして街道まで来てみたものの、これ以上は足が前へと進まなんだ。ナタリー殿の手前、多少は恰好をつけてみたのだが、には存外にこの街への未練があったらしい」


 そう自嘲する又三郎に、ナタリーは無性に腹が立った。


「だったらどうして!」


 ようやく息が整ってきたナタリーが、語気を荒げた。だが、それに続く言葉は、ひどく弱々しかった。


「どうして、一緒に居てくれないのですか……私だって今は、マタさんと同じ。父はもういないのです」


「子供達がいるではないか。それにティナ殿も」


 又三郎の目が、真っすぐナタリーを見据えた。いつか見た、深く澄んだ湖のような目。


「俺とナタリー殿とでは、命の捉え方がまるで違う……俺をこの世界へと連れてきた、無貌むぼうを名乗る神に言われたのだ。お前の本質は人斬りだ、と」


 そう言うと又三郎は、腰に差した二本の刀に触れた。


「俺はきっとこれからも、必要があればこの刀を抜く。人を斬る。そのような者が、そなた達と同じ屋根の下にいたというのが、そもそも無理な話だった」


「そんなことはありません」


 ナタリーは伏し目がちに、握った右手を又三郎に向けて差し出した。そっと開いたてのひらの上には、エミリアの人形があった。


「マタさん、忘れ物です。ちゃんと大切にしてあげて下さい」


「いや、それは」


 言い淀んだ又三郎に、ナタリーが深々と頭を下げた。


「本当に、ごめんなさい……マタさんがいてくれたおかげで救われた命は、確かにあったのです。この私の命もそうです」


 頭を上げたナタリーの双眸からは、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていた。


「ナタリー殿に謝ってもらうような覚えは、俺には無い」


 気まずくなった又三郎は、思わず視線を逸らした。ナタリーが続けた。


「あの時のマタさんが、さっきまでのマタさんが怖かったのは、本当のことです……でも、マタさんがいなくなってしまうのは、もっと怖い」


「いや、そう申されてもな」


 ふわりと、甘い香りが又三郎の鼻をくすぐった。ナタリーが、又三郎の胸に飛び込んできた。


「だからお願いですマタさん、これからもずっと一緒にいて下さい。父もいなくなってしまった今、一人でいるのはとても怖いのです」


 又三郎の胸で泣きじゃくるナタリーは、とてもか細かった。気丈に振る舞っているように見えたが、やはり父を亡くしたことが相当辛かったのだろう。


 早朝に街を発つ隊商の列が、二人のすぐ横を通りがかった。荷馬車の上からは、次々と好奇の目が寄せられる。護衛役の冒険者の中には、小さく口笛を吹くものもいた。


 又三郎はナタリーの両肩に手を掛け、そっと己の身を引き離した。ようやく昇り始めた朝日が、二人の横顔をわずかに照らした。


 又三郎は、困ったような笑みを浮かべて言った。


「そなたがいなくなって、子供達もさぞかし心配していることだろう。急いで帰るとしよう」

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