Episode 3-7 回想

 随分な時間がたってから、ナタリーは応接室を出た。手燭の灯は、もうほとんど消えかかっていた。


 自分の部屋に戻るためには、正面玄関を通る必要があった。玄関の扉や絨毯などは、教会を昵懇じっこんにしてくれていた者達の手で綺麗に修復されていたが、未だに血の匂いが残っているようにナタリーには感じられた。少し気分が悪くなり、足早にその場を離れた。


 そっと廊下を歩き、子供達の部屋の前に来た。扉の向こう側からは複数の、規則正しい微かな寝息だけが聞こえてくる。


 昨夜は珍しくミーシャが夜泣きをして、寝かしつけるまでがなかなかに大変だった。あの時は又三郎が「大丈夫だ、何も心配することはない」と言って、ミーシャが泣き疲れて眠るまで、ずっと彼女の側にいてくれた。


 そのミーシャも、今夜は静かに眠ってくれている。ナタリーは廊下で一人、ほっとため息をついた。


 次にナタリーは、又三郎の部屋の扉を開けた。部屋の中はやはり、もぬけの殻だった。


 部屋の中は綺麗に整頓されていて、クローゼットの中に数着の衣類が残されているだけだった。又三郎が寝起きしていた頃から、この部屋にはほとんど物が無かった。


 窓際の机の上には、木を削り出して作った粗末な人形が一つ置かれていた。エミリアが又三郎へ、ナタリーや自分達を助けてくれたお礼だといって渡したものだ。


 傍らには「エミリアへ」とだけ記された添え書きが残されていた。その人形を、ナタリーはそっと胸に抱きしめた。


 先程又三郎は自分のことを、こことは異なる世界から来た人間だと言っていた。とても信じられるような話ではないが、そう言われてみれば又三郎の言動や変わった装束、身にまとった不思議な雰囲気、そのすべてについて説明がつく。


「まさか、ね」


 薄暗い闇の中、ナタリーは力なく笑った。


 だが、今こうして笑えるのは、自分が生きているからだ――そしてあの時、又三郎は確かにこう言った。「この世界で初めて出来た、大切な者達を救うため」と。


 きっと又三郎も、何の理由も考えも無く、好き好んで人を殺めたという訳ではなかったのだろう。誰かと殺し合うという行為に、恐怖を感じなかった訳でもなかったのだろう。


 ここ数ヶ月の間、同じ屋根の下で寝食を共にしてきた中でも、又三郎が粗暴な言動を取ったことなどは一度たりとて無かった。又三郎は口数が少なく、ともすれば素っ気ないように見えることもあったが、誰に対しても礼儀正しく、そして誠実な男だった。


 又三郎は自分と子供達を守るために、その剣を抜き、人を殺した。又三郎の言った通り、そうしなければあの場にいた全員が死んでいたに違いない。


 女神エスターシャの教えにもあるとおり、人を殺めるという行為そのものは、決して許されることではないと思う。だが、自分達を守るために敢えてその罪を犯した又三郎を責めるような権利が、はたして自分にあったのか。又三郎が犯した罪は、決して許されるべきものではないというのか。


 そう思った途端、ナタリーは心の中にぽっかりと大きな穴が空いたような気がした。そして、居ても立ってもいられない焦燥感と不安感に駆られた。


 教会中の部屋を、くまなく探した。だが、どこにも又三郎はいなかった。窓から教会の庭を見たが、そこにも又三郎の姿は無かった。


「ナタリー姉ちゃん、どうしたの?」


 気が付くと、眠そうな目をこするケインが廊下に立っていた。おそらくは自分が廊下を行き来する足音で、起こしてしまったのだろう。


 ケインに余計な心配をさせたくない。そう思ったナタリーは、優しく笑った。


「大丈夫よ、何でもないの。さあ、夜はもう遅いわ。部屋に戻って休みなさい」


 ケインは少しの間呆然としていたが、やがて小さく頷いた。


「うん、分かった」


 ぼんやりとした表情のケインが自室へ戻るのを見送ってから、ナタリーは足早に教会の外へと駆け出した。

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