Episode 3-6 命の在り方
ある日の晩、子供達がようやく寝静まった頃、ナタリーが又三郎を教会の応接室へと招いた。
そこは普段ほとんど使われることが無い部屋で、応接室と言っても年季の入ったソファとテーブル、テーブルの上の燭台を除けば、特にこれといった調度品の類は置かれていない。部屋の掃除は行き届いていたが、少し埃の匂いがした。
「マタさん。あの時、なぜあの男の人を殺したのですか?」
抑揚のない声で、ナタリーが尋ねた。あの日の夜、最後に首を
「あの手の
そもそもモーファの街であの三人と関わってしまったことが、結果的にジェフの命を奪ってしまったのではないのか…今までに何度となく思った悔恨が、再び又三郎の胸中に湧き上がる。ジェフが死ななければならない理由は、どこにもなかったはずだった。
「それでも、人を殺すのはいけません。良くないことです」
「そなたや子供達を守るためには、致し方なかった」
「どうしてですか? マタさんはモーファの街で、あんなにも鮮やかにあの三人を捕らえたではありませんか。あの時と同じように」
そう詰問するナタリーの言葉を途中で遮り、又三郎は苦笑した。
「あまりそれがしを買いかぶりすぎてもらっては困る。
いくら又三郎に柔術の心得があるといっても、自分一人の身であれば何とか守りようもあっただろうが、人質を無事に救い出し、かつ自分の身を守ることなどは到底できない。
又三郎の言葉に、ナタリーはややあってから呟いた。
「それでも、人を殺すことは駄目です。エスターシャ様もお許しになりません。命はかけがえのないものなのです」
「ジェフ殿の命は、あの男達に奪われた」
「それでも、駄目です」
ナタリーは静かに、だがきっぱりと言った。
「父が亡くなったことは、とても辛いです。父を殺したあの男達が憎くないと言えば、嘘になります。でも、己の罪を認め、許しを請う者を殺すようなことは、あってはなりません。犯した罪を悔い改める者には、救いの手が差し伸べられるべきです」
返答に困り、又三郎は思わず頭を掻いた。話が全くかみ合わない。
又三郎がいた新選組でも、基本的には下手人を捕縛していたが、それが叶わない時にはためらいなく相手を斬っていた。そうしなければ、地面に転がり冷たい
ましてや、こちらが大勢で相手を取り囲むのならばまだしも、相手の方が人数が多くて自分は一人、そのような状態で相手の剣をかわしつつ捕縛することなど、到底不可能だ。
そして何よりも、又三郎とナタリーとでは、罪人に対する意識が余りにも違い過ぎた。過失や
「何故マタさんは、あんなにも簡単に人を殺すことが出来るのですか?」
ナタリーが質問を変えてきた。その質問に、又三郎は心の内で己の過去を振り返った。
初めて人を斬った時こそ、悩みのようなものを感じたことはあった。自分が斬った相手にも、父母兄弟もいれば、想い人や家族がいたのかも知れない。相手の命を奪うことで、その命が未来に成し遂げたであろう何かをも断ち切ったのかも知れない。そう思った時、人を斬った時の
そんな時、もしも自分が斬られた時に、自分を斬った相手がそのことをどれだけ思い悩むだろうかとも想像した。
否。おそらくその相手は、自分を斬ったことで思い悩むことなど、毛筋程もないだろう。それが武士の在り方である。そう思えるようになった時にようやく、人を斬ることに対する抵抗感は無くなった。
又三郎はしばしの間沈黙し、ややあって答えた。
「それが俺の仕事だったからだ」
「それがマタさんの、お仕事?」
ナタリーは怪訝そうに眉をひそめた。又三郎が続けた。
「ナタリー殿に信じてもらえるとは、到底思えぬのだが……実は俺は、この世界の人間ではない。
「……はい?」
「京の街で、不逞の輩を斬ることで街の人々を守る。それが俺達新選組の仕事だった」
「このような時に、ふざけた冗談を言うのはやめて下さい」
ぴしゃりと冷たく言い放つナタリーに、又三郎は小さなため息をついた。
おそらくこれが、ごく普通の人間の反応だろう。自分自身、今の自分の境遇が未だに信じられないぐらいなのだから。
「私が知っているマタさんは、ちょっと目元が怖くて言葉数はあまり多くないけれども、生真面目でよく働いて、子供達にも優しく接してくれる人でした」
「……」
「なのに、マタさんがあんなに平然と、あんなに冷酷に人を殺すことが出来る人だったなんて、思ってもいなかった」
ナタリーは己の両肩を抱き、小さく身体を震わせた。
「私は、怖いのです……あの時のマタさんが。そして、人を殺して今もなお平然とされているマタさんが」
その一言で、ようやく又三郎はここ最近のナタリーの変化の原因を理解した。
確かに又三郎は、自分が斬った三人の男達のことなど、既に何とも思っていない。又三郎は新選組で攘夷志士を名乗る浪士達を、新選組の禁令に背いた仲間達を、数多く斬り捨ててきている。こと人を斬るという一点において、又三郎は今更これといった感慨などは持っていなかった。
人を斬って嫌われる。京の街でも、よくあったことだ。
「相分かった、ナタリー殿」
又三郎が、深く頭を下げた。そろそろこの辺りが潮時だろうと思った。
「これまで長らくのご厚情を賜り、誠に感謝いたす」
そう言い残すと、又三郎は席を立って部屋を出た。扉の向こう側から、微かにすすり泣く声が聞こえた。
又三郎は自室に戻って身支度を整え、眠った子供達を起こさないよう、そっと廊下を歩いて教会の外へ出た。満天の星空が、又三郎の頭上で瞬いていた。
又三郎はゆっくりと、地面を踏みしめるようにして歩き出した。教会を振り返ることはしなかった。
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