Episode 2-5 月夜
その日の晩、いつもであれば就寝している時間だったが、又三郎は刀を手に自室を出た。月の綺麗な夜だった。
子供達の部屋とジェフの部屋の明かりは既に消えており、ナタリーの部屋の扉の隙間からだけ、光が細く漏れていた。
貧しい教会には、廊下の明かりなどは無い。だが、これだけ月が明るければ、窓から入ってくる光だけで全く不自由はない。
皆に気付かれぬよう、そっと部屋を抜け出すつもりだったが、古い建物の廊下を歩く音は、完全には消せなかった。又三郎が勝手口から出ようとするより早く、背後から声がした。
「マタさん、ですか?」
又三郎が振り返ると、手燭を手にしたナタリーの姿があった。
これから就寝するところだったのだろう。いつもの見慣れた長衣姿ではなく、寝間着姿の肩からシーツを一枚羽織っていた。闇の中に柔らかい身体の線が見て取れたが、やはり全体的にか細く、
ナタリーは又三郎が刀を手にしていたことに気が付き、小さく息を飲んだ。
「あの、マタさん、一体どこへ?」
年頃の娘の寝間着姿など、いつまでも見ているものではないな――又三郎は頭を掻きつつ、そっと視線を外した。
「少し外に出て、久々に刀でも振ってみようかと思ってな」
「どうして、こんな時間に?」
「やはり刀は、子供達に見せるようなものではないだろう」
「そうでしたか……良かった、てっきり泥棒でも入ったのかと」
「相済まぬ、いらぬ心配をかけた」
又三郎が勝手口の扉を開けた。月の白い光が、又三郎の姿を照らし出した。
ナタリーはなぜか急に心細くなり、羽織っていたシーツの端をぎゅっと掴んだ。彼女が次の言葉を発するよりも先に、又三郎が軽く笑って見せた。
「少し身体を動かしたら、またすぐ部屋に戻る。安心して休まれよ」
「……分かりました。余り遅くならないようにして下さいね。それでは、おやすみなさい」
又三郎は、教会の裏庭に出た。辺り一面が、月の光に照らし出されていた。
小さな菜園と花壇に、使い古された薪割り台。少し離れたところには、井戸と納屋。そして、エミリアという名の娘がいつも大事そうに持っている、木を削り出して作った粗末な人形が一つ、足元に落ちていた。
教会の孤児の中では最年少だったエミリアは、この人形を使って一人でままごとをしたり、講堂で勉強をする時に人形を机の上に置いていたりした。おそらくはうっかり落としてしまい、そのまま気づいていないのだろう。
又三郎は人形を拾って土埃を払い、そっと懐にしまった。明日の朝、エミリアに返してやろう――又三郎は刀を抜き、
二度、三度、刀を振るった。静かな夜、切っ先が鋭く空を切る音が響いた。以前であれば毎日のように手にしていた刀だったが、久々に握った柄の感触が妙に懐かしかった。
遠くには、うっすらと輝くモーファの街の明かりが見えた。交易都市モーファの街の夜は、明かりが絶えることがない。
何十回か素振りをした後、又三郎は刀を鞘に納めた。少し汗をかいたので、腰の手拭で汗を拭った。頬に当たる夜風が心地よかった。
次の瞬間、又三郎の周りの時間が止まった。
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