Interlude 1 人斬りの本質
「久しいな、大江又三郎」
背後から聞こえた、忘れもしないその声。俺は振り向きざまに刀の鞘を払い、そのまま真一文字に刀を振りぬいた。だが、声はすぐ真後ろから聞こえていたというのに、何の手ごたえも得られなかった。
「やれやれ、相変わらずお主は血の気が多いのう」
またもや、背後からの声。ぎょっとして振り向くと、そこには気だるげな表情の
辺りはしんと静まり返っていた。先程まで眺めていたモーファの街の灯は微かに揺らめいていたのだが、今はその揺らめきが全く見られない。これは本当に、時が止まってしまったのだろうか?
「お主をこの世界に送り出してから、もう二月ほどがたつか……ここでのお主の生き様は、いかがなものかと思い眺めておったが」
いつの間にか手にしていた煙管に口をつけ、無貌は紫煙を吐き出した。認めたくはないが、なかなか様になっている。
「何ともまあ、随分とぬるい生き方をしておる……お主、本当に『
「うるさい、余計なお世話だ。それよりもお前には、色々と言いたいことがある」
俺は無貌を睨み付けたが、当の本人はどこ吹く風といった様子で、再び気だるげに紫煙を吐き出した。
「まあ良かろう、申してみよ」
「お前はあの時、最後に『すてえたす』と唱えてみろなどと言っていたが、口にしても何も起こらなかった。あれは一体何だったのだ?」
俺の問い掛けに、無貌は目を丸くした。
「
無貌は形の良い顎に右の人差し指を当て、くすくすと笑い出した。先程まで手にしていた煙管は、いつの間にかかき消えていた。
「あれは何とも見ものだったな。よもやお主が、あそこまで愚直……いやもとい、律儀な男だとは思わなんだ」
「何?」
「あれはただの冗談だ、気にするな」
いとも簡単に言い捨てた無貌の言葉に、思わず刀を握る手が震えた。
「まあ、別の世界ではあの言葉にも、ちゃんと意味があるらしいのだが……この世界では、そうではなかったようだな」
「いい加減なことを言うな」
「それにしても、先程も申したが……お主、何故このようなぬるい生き方をしておる?」
ぬるい生き方……先程も同じ言葉を聞いたが、それは一体どういう意味なのか?
首を傾げる俺を見て、無貌は妖艶に笑った。
「ものは試しと思うて、この世界の別の街に、お主の世界の遥か後の世の少年を放り出してみたのだが、あやつは喜び勇んで冒険者とやらになって、剣を振り回しておったぞ?」
この女、言うに事欠いて俺以外の者の命も弄んでいるのか。外道め。
「何でも、げえむと同じだとか何とか、やたらとはしゃいでおったな。あやつ自身は剣を持ったことなど一度もないくせに、誠に滑稽なものだった……ああそれに、あやつは大声でステータスと叫んで何も起こらなかったことに、えらく落ち込んでおったわ」
おそらく、その少年とやらの様子を思い出したのだろう。無貌は左の手の甲で口元を被いながら、くくっと喉を鳴らして目を細めた。
「なのに、元新選組隊士のお主は、今日も今日とて人足仕事などに身をやつしておる。我は言うたであろう。お主の生きていた世界と、そう変わらぬ世界へ送ってやると」
「お前は俺に、この世界でも人を斬れと言うのか?」
俺の言葉に、無貌は随分と意外そうな顔をした。
「この世界の冒険者という連中は、時と場合によっては刃を振るうことも
「……」
「さすればお主も、もっと楽にこの世で生きていけようものを……あのナタリーとかいう小娘のことを気にしておるのか。やはり律儀な男よの、お主は」
「彼女は関係ない。それに、俺は人を斬ることを好まぬ」
「嘘だな」
無貌が、ぴしゃりと言った。
「であれば何故、お主はあんなに無心に刀を振るっておった? 何故我に向かって、その刃を向けた?」
「それは」
「お主の全知全能は、人を斬ることに特化しておる。だから新選組などという人斬り集団に身を寄せた、違うか?」
一瞬、言葉に詰まった。確かに俺は、己の技を活かせる場を求めて、新選組に入った。だがそれは、決して人を斬ることを好んでいたからではない。何人もの人を斬ったのは、たまたまそれが俺の仕事だったというだけだ。
「昨日ティナとかいう小娘にも、冒険者にならぬかと言われておっただろう。さすればお主は己が才を活かすことが出来、望むならばあの小娘のように、この
「お前の指図は受けない。言いたいことはそれだけか?」
無貌が、さも不服そうに眉をしかめた。
「色々と言いたいことがあると言うたのはお主であろうに、何とも理不尽なことを言う」
「お前が俺にしでかした数々の理不尽に比べれば、些細なものだろう」
「減らず口を叩く。我のおかげで、お主は今もこうして生きているのだ。何が不満か?」
余りにも勝手な言い草に、ぎりっと、自分の奥歯がきしむ音が聞こえた。
無貌は上目遣いに俺を見、形の良い赤い唇をゆがめた。
「それ、お主のその目よ。お主の本質は、やはり人斬りだ。人を斬らずして、人を救う
「黙れ」
我慢ならず、今度は大きく踏み込んで真向に刀を振るった。だが、やはり俺の刃は無貌に届かなかった。
「まあ良い。今宵お主をからかうのは、ここまでにしておこう」
いつの間にか俺の右隣に浮かんでいた無貌が、俺の耳元に囁いた。
「お主が拾った命だ、お主の好きに使うがよかろう。だが、お主は己の本質をゆめ忘れぬことだ……それは近々、お主自身が身に染みて分かることになろう」
それだけ言い残すと、無貌がぱちん、と指を鳴らした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
又三郎は、我に返った。
確かに先程まで、無貌が側に居たはずだった。だが今は、その影も形も存在しなかった。大きく声を荒げたこともあったはずだが、誰かが起きてきた様子もない。
気が付くと、又三郎の背中には冷たい汗が流れていた。
「俺の本質は人斬り、か」
又三郎は夜空を見上げた。輝く月の位置は、全く変わっていなかった。
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