Episode 2-3 疑問

「マタさん、実はかなり強いでしょ?」


 次の日、教会の裏庭で薪割りをしていた又三郎の背中に、ティナが声を掛けた。


 武具の類を身に着けない、この世界の普段着姿のティナは、モーファの街で見かける町娘とそう変わらない。昨日初めて出会った時とは違い、なかなか華のある姿だった。


 昨晩ナタリーから聞いた話では、ティナは元々この教会にいた孤児だったが、今は冒険者を生業としているとのことだった。そして昨日のように、時折ふらりと教会に帰ってきては、食べ物や金を置いていく。教会としてはティナの好意をありがたいと思う反面、若い娘が冒険者などに身をやつすのはいかがなものかと思う――ナタリーはそのようなことも言っていた。


 命を危険にさらすこともある冒険者という生業を、ナタリーがあまりこころよく思っていない原因の一つには、どうやら彼女のことも関係があるようだった。


「何を根拠にそう思われるのか?」


 一瞬手を止めた又三郎は、蹲踞そんきょの姿勢のまま、軽くにじんだ額の汗をぐいと右手の甲で拭った。


「昨日握手をした時、大きくて凄く力のある手だったから。それに、マタさんのその左のてのひら


 ティナに言われて、又三郎は自分の左の掌に目をやった。新選組にいた頃は、竹刀を使った打ち込み稽古は日課の一つだったが、最近では時々、暇を持て余した時に軽く木の棒を振る程度である。竹刀だこは、随分と薄く小さくなっていた。


 飄々ひょうひょうとしているように見えて、なかなかに抜け目がない娘だと又三郎は思った。


「子供達にも聞いたよ。マタさん、部屋に剣を二本も持っているって」


 ティナの目が、すっと細くなった。


「ねえ、マタさんって一体何者なの?」


 又三郎は薪割り台の上に薪を置き、左手で手斧を振るった。身体の中心線に沿って、手斧の重みを意識して真っすぐに左手を振ると、乾いた音が響いて、その場で薪が綺麗に割れた。本来又三郎の利き手は右だったが、左手を使って薪を割っているのは、刀を扱う際にきもとなるのが左手の握りだったからだ。


「アタシもここにいた頃は、よく薪割りの手伝いをやっていたんだ。それ、上手く割るのってなかなか難しいでしょ? 下手に割ったら形がいびつになったり、割った薪が思ってもいなかった方向へ飛んで行っちゃったり」


「それがしはただの行き倒れ、行くあてが見つからない居候だ」


「嘘ばっかり」


 くるりと身をひるがえすと、一転してティナは明るく笑った。その姿は、まるで初夏の太陽の日差しのように眩しかった。


「子供達はマタさんのこと、ちょっと変わってて目つきが怖いけれど、いい人だって言ってたよ」


「あいにくこの目は生まれつきだ、変えようがない」


「ああ、別に悪く言うつもりはなかったんだよ。誤解させたのなら、ごめん」


 ばつが悪そうにティナが笑った。くるくると表情が良く変わると、又三郎は思った。年頃の若い娘とは、本来はこういうものなのかも知れない。


「で、ティナ殿、そなたが言いたいことは何だ?」


 怪訝な顔をした又三郎に、ティナは慎重に言葉を選びながら続けた。


「アタシが知らない間にマタさんがこの教会にいたことは、ちょっとびっくりした。でも、お父さんがマタさんをここに置いているってことは、きっとマタさんは悪い人じゃないんだと思う」


 又三郎は、右手の人差し指で鼻の頭を掻いた。次の薪を薪割り台に置く。また乾いた音が響いた。


「ナタリー姉がね、凄く喜んでいたよ。お父さんももう歳だし、マタさんが色々と手伝ってくれて大助かりだって……アタシも実はそのへんのこと、ちょっと気になっていたんだ」


 再び薪の割れる、乾いた音。


「だから、ね……マタさんが何者なのか、言いたくないってのなら、もう聞かない。でも、その代わりって言ったらなんだけれど、マタさんがここにいる間だけでいいんだ。お父さんやナタリー姉のこと、出来るだけ助けてあげて欲しい。こんなこと、出会った次の日にいきなりお願いするのもおかしな話だけれど」


「そこまで気になるというのならば、冒険者など辞めて、街で何か違う働き口を見つけられてはどうだ? そなたがずっとこの教会にいれば、皆も喜ぶだろう」


 又三郎の言葉に、先程までは明るかったティナの表情が少し曇った。


「ううん、それは無理。普通に街で働いて稼げるお金なんて、たかだか知れてるから。自分一人だけが生きていく分には、それで良いかも知れないけれど」


 言葉遣いは蓮っ葉だが、性根と頭は良い娘のようだった。そして、なかなかに鋭いところを突いてくる。は、ここ最近の又三郎の悩みの種でもあった。


「アタシが冒険者として稼げば、ある程度まとまったお金を持って帰ってくることができるし、日頃はここにいないから、一人分の口を減らすことだってできる。ここのみんなには本当に良くしてもらったから、出来るだけ何か恩返しがしたいんだ、アタシ」


 「なるほど、そなたの事情は相分かった。では、最初の質問の意図は何だったのだ?」


 又三郎の問いに、ティナは今度は目を逸らして、やや気まずそうに頬を掻いた。


「あ、いや、マタさんは行くところがなくてこの教会に居るって聞いたけれど、何だか凄く腕が立ちそうな感じがしたからさ……他にすることがないのなら、冒険者になるのはどうかなー、なんて思ったりして」


「そなた、表情もそうだが、言うことも随分ころころと変わるものだな」


 見ていてなかなか面白い、という言葉までは口にしなかった。


 又三郎の言葉に、ティナが軽く口を尖らせる。


「良いじゃんか、別に! でも、ナタリー姉は冒険者って仕事を毛嫌いしているけれど、やってみるとそんなに悪くないもんだよ?」


「ふむ?」


「さっきも言ったけれど、何よりそこそこのお金が手に入るし、アタシみたいなどこの馬の骨とも分からないようなのでも、腕さえ立てば誰にも文句は言われないよ」


 ティナの物言いに、又三郎はふと思った。冒険者と新選組は、案外良く似ているものなのかも知れない――新選組を新選組たらしめた数々の禁令の有無は、大きな違いだったが。


 又三郎は次の薪を、薪割り台の上に置いた。ティナが言葉を続けた。


「別に強要するつもりはないけれど、自分のこれから先が分からないっていうんならさ、いっぺん考えてみてよ。その気になったら、アタシが色々と教えてあげるから」


「そなたの当初の質問の意図も分かった、少しは考えてみよう……だが、それがしもナタリー殿からは、くれぐれも冒険者などにはなるなと釘を刺された身だ。そなたに続いてそれがしも冒険者になったら、ナタリー殿はさぞお怒りになるだろうな」


 又三郎はふと、振り上げた手斧を見た。自分が冒険者になったら、この手斧を持ったナタリーに追い回される羽目になるかも知れない。その光景を想像して、又三郎は思わず苦笑した。


「あ、そうだ、ナタリー姉って言えばさ」


 再び身をひるがえしてその場を立ち去ろうとしていたティナが、意味ありげに笑った。


「マタさん、この教会に居てくれるのは別にいいんだけれどさ、ナタリー姉に変なことしたら承知しないからね」


 ばきりと、いびつな音がした。手元が狂って不揃いな形に割れた薪の一方が、又三郎の左ひざに強く当たった。立ち去っていくティナの手前、又三郎は痛みに耐えて声をかみ殺すしかなかった。

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