ロシアンルーレット

松長良樹

ロシアンルーレット


 

 ジョン・エリオットは黙って目を閉じ、こめかみに銃口を当てた。引き金に指をかけたところで言い知れぬ恐怖が圧し掛かって指に力が入らなくなった。


 

 すでに唇は渇き、目さえ虚ろだ。


 

 怖いのだ。この命をかけたロシアンルーレットがとても怖いのだ。


 無理もない。もし一発目に銃弾が装填されていたら、ジョンの頭がい骨は肉片と共に砕け散るのだから。




 暗い部屋の中で小さな円卓をはさんで二人の男が向い合わせに座っている。



 一人は美青年のジョン、もう一人は実業家のゴードンだ。ジョンはまだ二十代の青年で、ゴードンは四十近い男だった。


 しかしなぜこんな馬鹿げた事が行われているのか?


 それは一人の麗しい女性を巡っての戦いと言っていい。




 つまり時代錯誤の決闘だ。女はスーザンといって、とても美しい令嬢で、彼女はこの二人がまんざら嫌いではないらしい。


 


 そして二人の男はスーザンが好きで仕方がない、心から愛してしまっている。


 それぞれがスーザンに求愛したのだが、当の彼女が煮え切らないから、若いジョンが血気にはやってこんな気違い沙汰を申し出たのだ。




 ゴードンとしても男の意地にかけて引くに引けず、この勝負を受けて立ってしまった。


 なんと野蛮な、常識はずれな決闘なのだろう。


 だいいちこれは合法的でない。人一人が死んだら事件になるに決まっている。




 もっと尋常でないのは美貌のスーザンがそこに同席していると言う事だ。


 彼女は女の魅力を辺りに振りまくような格好で、しかも涼しい顔をして二人の紳士の表情をへんに見比べながら恐ろしい程落ち着いて、部屋の隅の洒落た椅子に座っている。


 色白でか細い彼女の指にワイングラスがのっていた。スーザンは男と男が命を賭けた、この小さな闘技場で酒を飲みながら、観戦でもしようと言うのか。




 銃はリボルバー(回転式拳銃)でそのシリンダーに実弾一発を装填し、適当にシリンダーを回し交互に引き金を引く。こめかみから銃口を外すことも可能だが、もし不発であればそれで負けが決定する。




 またリボルバーの場合、シリンダーのどの穴に弾が入っているか視認できるから残りの穴にダミーカートリッジを装填するようになる。




 ジョンは長い沈黙の後、意を決してついに引き金を引いた。かちりと音がして不発に終わった。ジョンが深いため息をついた。スーザンが微かに微笑む。




 さあ、今度はゴードンの番だ。やはり簡単に引き金を引けるものではない。


 とうに顔面から血が引いている。勝負とはこんなにも過酷で残忍なものだったのか。


 が、突然、ゴードンが変にニコニコ笑い出した。




 恐怖がゴードンを狂わせたのだろうか? しかし急に真剣な顔をしてゴードンが銃口をこめかみに持って行って引き金を引いた。不発であった。




 もう筆者としても息苦しくて仕方がないので、二人の地獄の苦悶のような表情の機微を描写するのをやめにしておく。



 そしてお話は佳境に入る。



 二人は不発のまま五回目にジョンが自分のこめかみに当てる場面だ。


 

 すなわち銃は六連発なのでこれで勝負が決まるのだ。不発ならジョンの勝利、そうでなければジョンは死ぬ。さすがにスーザンも神妙を極めた表情をして黙ってじっと事の成り行きを見守っている。



 しかしスーザンはこのばかげた決闘を、なぜやめてとは言わないのだろう? 


 女のプライドがそれをさせないのか、それともこの興奮と刺激に酔っているのか、男二人が自分の為に命を賭けるという状況が、スーザンにこの上ない満足感を与えていると解釈すればよいのか? 



 ともかくジョンが引き金を引くにはとてつもなく長い時間を要した。


 もういくらか夜が白み始めていた。




 そして渾身の覚悟の末、ジョンは引き金を引いた。かちりといったきり、銃弾は発射されず……。この瞬間ジョンの勝利が決まった。




 おもわずジョンの真っ白な顔に生気がみなぎった。それに引き替え、ゴードンの意気消沈ぶりは無残であった。ゴードンは絶望に打ちひしがれ、幽霊みたいな顔をして天井を見上げていた。


 

 そこでジョンがこう言った。


「ミスターゴードン。僕は貴方の命まではとるつもりはないですよ。こうして勝負が決まった以上、スーザンは僕がもらいます。異存はないですね」


 ゴードンは暫らく悶絶するようだったが、恥ずかしくも泣きべそをかき


「うわーーーーーっ!!」


 と絶叫したかと思うと、いきなり銃口を自分のこめかみに持って行った。


 だが、その瞬間、ジョンが銃を右手で叩き落とした。


 


 恐ろしい程の沈黙がその場に横たわっていた。重い沈黙である。


「あーっ! こんな生き恥をさらせるものか!」


 ゴードンが泣き喚いた。


   


  *    *




 翌日、スーザンは化粧をほどこして場末の地下酒場に単身で入って行った。


 どうもそこはスーザンみたいな令嬢が一人で出向くような場所ではない。中は煙草の煙が立ち込める、異臭のする世界だ。




 そしてその酒場の奥にドアがあり、そのドアの向こうはいくつものテーブルの並ぶ賭場のような場所があった。そこでスーザンはコートと帽子を脱いで一人の白髪の紳士の前に立ち止った。そして椅子に座った。


 紳士はかるく微笑んで会釈をして懐から、ゆっくりと帯封付きの札束を取り出した。


 そしてスーザンに見せ、札束を丁重に黒いバッグに入れた。


 


 スーザンが頷いてバッグを受け取ると、紳士は馴れ馴れしく、少しばかり悔しそうにこう言った。


「今回はジョンという青年の勝ちでしたね。私は貴女の言うとおりに外から気づかれないように覗いていましたよ。だから仕方がありません。あなたがまた、ロシアンルーレットを企画してくれる日を私は楽しみにしていますよ。今度はぜひ貴女に勝ちたいものでね」




 スーザンは科をつくるようにして言った。


「あら、わたし、あのジョンに本気で惚れたかもしれない。だから当分ルーレットはなしだと思ってくださいね」



「――そうだとしたら、とても残念ですね。でも、あなたの事だからわかるものですか。きっとまたやりましょう」



 スーザンは返事もせず、そのバッグを小脇に抱えると嬉しそうにその場を立ち去った。





                     了



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ロシアンルーレット 松長良樹 @yoshiki2020

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