どこまでも現実世界で生きなければならない成人男性は異世界転生物を見た。

出目握砂

第1話

 最近、やたらと異世界転生物のWEB小説を読むようになった。

 トラックに轢かれたり過労死したり、修学旅行で事故に遭ったかと思えば、自殺やら病死やら自然死やら、とにかくこの世界での人生を終えて、その記憶をもったまま新しい世界での日々を主人公が始める。そういう物語だ。

 主人公はたいてい何か特技ないしは専門知識をもっていて、異世界でそれらを駆使して成り上がり、爵位や領地を得て、奴隷かメイドに囲まれて過ごす。田舎でスローライフ、というパターンもある。その後は新しい敵とヒロインを適時投入しつつ、主人公はますます名をあげていく。敵の性格は悪ければ悪いほど良く、最後には無様に主人公にひれ伏して読者を悦ばせる。ヒロインは主人公に夢中で、ことあるごとに彼を賞賛しては他の男性キャラクターをこき下ろす。夜の生活では信じられないほど乱れ、ラッパのような嬌声をあげて主人公に縋りつく。主人公が女性だと悪役令嬢物が流行っている。美形の貴族にずれた返答をしているといつのまにか惚れられているアレだ。

 まあ、全てが当てはまる作品などないだろうが、たいがいはいずれかの要素をもつ。そしてこれらをなぞり終えると、あとはやることがなくなって連載が終わるか、それはまだ良い方でひっそりと更新が止まり、新しい作品が始まることも多い。

 私はこれらの物語に夢中になった。空想上の異世界に対して現実世界の常識や技術が優位に立つと、私の胸には優越感が生まれた。異世界人が驚き賞賛する事物を当たり前に享受する自分が、とんでもない偉物に思えるのだ。最初の内は蔑まれていた主人公が周囲を見返すのも気分が良い。何より、自分も転生したらと想像を膨らませるのは大変快い。畑に灰を撒いて休耕地を作り、魔法を改良し、経済の仕組みを発展させ、国王やら皇帝やらにハッタリを利かせて一目置かれ、虫にたかられる街灯のように美少女に囲まれ、前世を忘れて傲岸不遜に振舞うのだ。一人称は我とか我輩にしてみようか。

 ところが半年ほど経った今、私はそういう妄想をまったくしなくなった。

 理由は簡単で、自分が異世界転生したところで活躍できないだろうなと思い直したからだ。当たり前の話だ。親のスネを齧って形だけ大卒の身分を得て、地元で公務員になった。恋人はなく、数少ない友人と一か月に一度の飲み会、カラオケ。そこそこ幸せだが、丸い小さな石ころのような日々。角がないせいで収まるところがなく、風に吹かれればころころと転がり、この世界になんら影響を与えることのないつまらない存在。それが私だ。異世界に投げ込まれたところでさざ波の一つも立てられないだろう。

 今では、このくだらない人生から逃避して即席の快感を得るために小説投稿サイトのランキングページを徘徊する日々。

 自分で創作するなどもってのほかだ。あまりにも薄っぺらい人生を送ってきたものだから、小説に昇華させる個性などない。小説投稿サイトの個人ページには無駄に設定だけまとめたファイルだけ増えていく。その一つを潰してこれを書いているわけだ。

 想像してみるがいい。物が散乱した一室の中央で炬燵に足を突っ込み、背中を丸めてディスプレイを覗き込む成人男性を。つまらなそうにページをスクロールして異世界転生物を漁り、次々に開いては閉じてを繰り返す。時折気に入ったものを中盤あたりまで読んで、また次の小説へ。その合間にエロ動画とエロ画像だ。ある意味器用なことに、同時にスマートフォンを操作してソーシャルゲームに勤しんでいる。それが包み隠さぬ私の休日だ。

 土曜日を終えようとするこの時、衝動的に書き始めたこの文章にどんなタイトルを付け、どのジャンルに振り分けるのか、私は分からない。そもそも投稿するのかも。

 もし投稿するとしたら、一つ断っておきたいが、これは異世界転生物の否定ではない。むしろ私は、何もかも気に入らない日々の中で数少ない安らぎをそれらの中に求めている。同好の士を馬鹿にしてもいない。何なら彼らは私にとって精神安定剤でさえある。

 ただ私は自分を憐れんで、一人ではこの憂鬱に耐えられそうになくて、これを書き始めたのだ。いくら夢を見て想像を膨らませても、どこまでも現実で生きていかなければならない私にとって、そんな自分こそを否定したいのだが、できないからただ吐き出しているのだ。

 石を投げる時、人は何を求めるのか。

 水面の波紋か、石の跳ね様か。

 ただ石を投げたくて投げてみる。そんな時があるだろう。今の私がそれだ。

 だから私は川辺に立って、石を投げてみるが、その後すぐに振り返って家に帰る。

 これを投稿したらログアウトして、パスワードは消してしまおう。

 そうしたら新しいアカウントを作成して、また新たに異世界転生物を探す。何も変わらない日々が始まる。川は滞りなく流れていく。それでいい。たまたま石が当たった人には、平に謝るしかない。すみません。

 現実世界は私に一人前の条件を突きつけ、人生の充実を求める。健全な心身、豊かな人間関係、経済の自立、私には手を掛けることすら難しい数々の幸福の壁を立てる。

 しかし異世界はどうだ。無条件に私に快感を与えてくれる。浅いぬるま湯の海でいつまでも漂わせてくれる。

 異世界万歳。

 作者様万歳。

 メディアミックスにも万歳。

 願わくば、私好みの作品が増えますように。

 世に現実逃避の芽が絶えませんように。

 よろしくお願いします。

 

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どこまでも現実世界で生きなければならない成人男性は異世界転生物を見た。 出目握砂 @sinkaigyo

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