第6話
夜の動物園前はどこか寂しさを感じさせる。普段の賑わっている様子を知っているからそう思わせるのかもしれない。ニコニコ顔で「ようこそ」と笑う象のイラストも力無い笑顔に見えた。
入園無料のこの動物園は中学時代の私たちの遊び場だった。でも今日は遊びに来たわけでは無い。私がやって来たことに気づき、いつも待ち合わせに使っていた木の陰から彼女が姿を現した。
「話ってなに?」
久しぶりに聞いたウツツの声は、悲しげだった。私とは目を合わせようとせず、俯いている。一度家に帰ったのか、彼女は黒のワンピースにチェック柄のストールを羽織っていた。私服に黒を好むのがいつものウツツで少しだけ安心した。
「久しぶりだね、ウツツ」
「久しぶりって、毎日学校で見かけているじゃない」
見かけているだけだ。話したことなど一切無い。
木の下のベンチに二人並んで座る。夜風に当てられて私の体は冷え切っていた。私は一度深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。
「少し面白い話があったんだ、ウツツに聞いて欲しい」
私は今日一日あったことを全てウツツに話した。テストが出来なかったこと。教室から校舎裏へ向かうウツツを見たこと。ヒカリと鉢植えを運んだこと。園芸部室に犬がいたこと。園芸部員たちの証言。そして、ウツツを疑っていること。
ウツツは時折頷きながら私の話を真剣に聞いていた。私が最後まで話し終えると、ウツツは何故か爆発したように笑い出した。
「あはははははははは」
ウツツの高笑いが静かな空間に響く。奥の方で猿が驚いて「きー」と鳴いていた。こんなに笑うウツツを見るのは初めてだ。犯行を指摘されてやけになったのかと思ったが、どうも様子がおかしい。心から可笑しくて笑っているようだ。
「そっか、全部私の勘違いだったんだ」
「ウツツ? 勘違いって何?」
「ううん、こっちの話。ユメが聞きたいのは、部室にポメラニアンを置き去りにしたのは誰かだったよね」
ウツツが私の瞳をじっと見つめる。飲み込まれそうなほど澄んだ黒色の瞳だった。
「シラベ先輩よ」
挨拶をするような気軽さで、そう言ったのである。
電灯が切れかかっているのか、チカチカと点滅を繰り返している。薄暗い夜の中でも、私はウツツの姿をはっきりと視認できた。
「いま何て? シラベ先輩が犯人であるように聞こえたけど」
「ええ、そう言ったわ」
「私の伝え方がまずかったかな。シラベ先輩は学校から片道三十分離れたホームセンターへ買い物に行ってたんだよ。犯行時刻であるシキ部長が部室を出た直後には、シラベ先輩はまだホームセンターの近くにいたはずだから、犯行はできないよ」
「いいえ。ユメたちが確認したのはシラベ先輩が土を運んでいたということだけよ。シキ部長とシラベ先輩が合流した公園の近くに前もって土を用意しておけば、ホームセンターに行く必用は無いわ。時間的な余裕は充分にあったはずね」
つばをゴクリと飲み込む。ウツツの言う通りかもしれない。シラベ先輩がホームセンターに向かったというのは、彼女の証言の中だけの話である。後から手助けに行ったシキ部長も公園で合流したため、ホームセンターまでは行っていない。部室から誰もいなくなるまで庭園近くに潜み、シキ部長が部室を出て部室が空になったタイミングで犯行に及ぶことは可能である。
「分かりやすいように、ユメの視点で話しましょうか。あなたは教室で校舎裏へ向かう私の姿を見たのよね。確かに私は庭園にどんな昆虫がいるのか見たくて、校舎裏に向かったわ。人手不足と噂の園芸部に勧誘されたくなくてきょろきょろしてたから、それが怪しく映ったかもしれないわね。ユメが私を見たとき、教室には誰もいなかったのよね?」
私は首を縦に振る。誰もいなかったからこそ、私はウツツの席に座るということも出来た。
「だったら、同じクラスであるヒカリさんはとっくに教室掃除を終えて部室に訪れているはずよね。その頃なら、シラベ先輩は学校を出てホームセンターに向かっているはずだわ。すると証言が合わないのよ。私が校舎裏に行ったのはシラベ先輩がホームセンターに向かっている頃のはずなのに、シラベ先輩は部室を出るときに私を目撃しているのよ。
この矛盾を解決する方法が二種類あるわ。一つは私が二回校舎裏に行っている場合。一度、庭園でシラベ先輩に目撃された後、二度目に教室にいるユメに目撃される、というパターン。二つ目はシラベ先輩が二回部室を出ているという場合。一度目に土を買いに行くふりをして部室を出て、二度目に何らかの事情で部室に戻って、その帰りに私を目撃するというパターン。さて、どっちが真実なのかしらね」
ウツツが猫のような怪しい笑みを浮かべる。綺麗だなと場違いなことを思った。
「彼女が二度部室を訪れたことは明らかよ。シラベ先輩は床に落ちた三毛猫さまがヒカリさんの持ち物だと分かっていたようだけど、そんなことがあり得るかしら?」
あの三毛猫さまは今朝ヒカリが買ってきた物だ。シラベ先輩に見る機会はなかった。これが開運グッズらしい見た目なら、ヒカリが占い好きという特徴から推測できないこともないが、三毛猫さまのファンシーショップに売っているような見た目では難しい。シラベ先輩に三毛猫さまの持ち主を特定することは不可能だったように思える。
「三毛猫さまがヒカリさんの物だとシラベ先輩が知る方法はただひとつ。ヒカリさんの後に部室に入ることよ。他の部員が部室にいる時、シラベ先輩を見かけていないから、彼女が部屋に入ったと考えられるのは犯行時刻だけね」
「ちょっと待ってよ、ウツツ。仮に先輩が犯行時刻に部室にいたとしても三毛猫さまがヒカリの物だって分かるの? 私はヒカリ自身に三毛猫さまを見せてもらったから知ってるけど、誰もいない部室でそれがヒカリの物だと知ることは出来ないんじゃない?」
「いいえ。ヒカリさんは証言で、『シラベ先輩の席に鞄があった』と言っていたわ。つまり、園芸部の席はあらかじめ決まっているの。ヒカリさんは部室に鞄を置いた後、自分の席に三毛猫さまを飾ったのよ。それを見たシラベ先輩は、三毛猫さまがヒカリさんの物だと記憶したのね」
事件の全容が見えてきた。
まずシラベ先輩は部室に行き、ホームセンターに買い出しに出たフリをして学校近くに隠していたポメラニアンを取りに行く。
三十分ほどして、土が重くて持ち運べないと伝えて、シキ部長と公園で待ち合わせる。部室から人を遠ざけるためだろう。
その後、部室に人がいなくなったタイミングを見計らって、部室に犬を置いておく。この時にシラベ先輩はヒカリの机の上の三毛猫さまとウツツが庭園にいるのを目にする。
あとは公園近くに隠しておいた土を持って、ホームセンターに行ってきた程を装って、シキ部長と合流する。ホームセンターに行っていたというアリバイを作りながら、犯行に及ぶことができるのだ。
「シラベ先輩はポメラニアンに名前を付ける時、『ガウガウ鳴くからガウ太』と言っていたわね。ポメラニアンがガウと鳴いたのはユメとヒカリさんの前だけなのに。前々からあの犬を知っていた、飼い主だったのだと思うわ」
「どうして、シラベ先輩がそんなことを」
「これは半分想像だけれど、妹が犬アレルギーになったのは最近のことなのではないかしら。後天的にアレルギーが発症したのか、妹が新しく生まれたのかは分からないけど、ともかく飼っていた犬を手放す必要が生まれてしまった。それでもそばにいたいと思ったから、偶然部室に犬が迷い込んで、部内で飼うことになったというシナリオを描いたのよ。最初に部で飼おうと提案したのはシラベ先輩だったわね」
ペットを飼っている私にとって、シラベ先輩の行動は理解できないことではなかった。私だってある日突然、犬アレルギーの症状が現れるかもしれない。そのとき私はどうするのだろう。どんな手段を使ってでも、ペットと一緒にいるという選択をするのかもしれない。
「シラベ先輩だってポメラニアンのことが大好きなだけだったはずよ。好きなのに遠ざけなきゃいけないなんて……悲しいわ」
どこか遠くを見つめて言ったウツツの言葉は、何か別のことを示しているようだった。
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