第5話

 どうにか部屋を片付け終えると、ヒカリがハーブティーとバタークッキーを用意してくれた。爽やかなラベンダーの香りに満たされる。


「ユメさん、今日はありがとうございました。人手不足なもので、ユメさんにここまで手伝っていただけて助かりました」


「いえいえ、私こそご馳走になっちゃってありがとうございます」


「運んで頂いた鉢植えは後日、私たちで植え替えます。ですので残る問題は――」


 シキ部長は部屋の隅を見遣った。先程段ボールで簡易バリケードを作ったので、ポメラニアンに部屋を荒らされる心配はない。


「あの子をどうするか、ですね。このままどこかへ放るわけにもいかないですし。せめて私の家がペット不可のマンションでなければ、うちに置いておくこともできたのですが」


「すまないが、うちは妹が犬アレルギーでね。子猫ちゃんを迎え入れることはできそうにない」


「私も前に拾ってきたときにママに猛反対されて。うちでは厳しいと思います」


 それぞれ犬を飼うことができない理由があるようだ。こういう時には拾ってきた場所に返すというのが常套句だろうが、拾った場所がここではどうしようもない。

 重苦しい空気を割くように、シラベ先輩が「そうだ!」と明るい声を上げた。


「この部で飼うというのはどうだろう。前に生物部が新しいハムスターを飼う許可を学校側から貰ったと聞いたことがある。幸い僕たちは植物の世話で土日も学校に来るから、休日の飼育面については心配いらない。きちんとした手順を踏めば、園芸部の一員として迎え入れることができるんじゃないかな」


「それですよ! シキ部長、いいですよね」


 シキ部長は顎に手を当て考え込んだ。この部のことならば、その方針を決めるのは部長である彼女にある。息の詰まる沈黙がたっぷり十秒は流れ、やがてシキ部長は口を小さく開いた。


「園芸部にいたから園太郎というのはどうでしょうか」


 ん? 今のはこの犬の名前だろうか。


「ふふ、ならばガウガウ鳴くから、ガウ太というのはどうだろう」


「じゃあ……ポメ太。いや、ポメ朗で」


 シラベ先輩とヒカリも続く。皆一様にネーミングセンスが無い。

 部員たちは園芸部でポメラニアンを迎え入れることに決めたようだ。一番の選択だと私も思う。誰の家でも飼えないのなら、学校の中で飼うのが一番いい。


 ……本当にそれでいいのだろうか。

 そう思ってしまったのは、机の上にある三毛猫さまの置物を見てしまったからだ。反射的に今朝のテストを思い出す。分からなかった単語を覚えたことで、私は問題を一問解くことが出来た。

 この犬については、まだ分からないことがある。一見すると野良犬が部室に迷い込んだだけのようにも思える。しかし、それだけではないと確信できるだけの理由を私は持っていた。


「すみません、二つ確認させて貰えますか」


 分からないことは、分かるまで向き合えば良い。その性分が私に口を開かせた。

 ひょっとすると、ううん、間違いなく綺麗にまとまりかけていたところに水を差す結果になるに違いない。

 私は部屋の隅のポメラニアンに近づいた。ポメラニアンは体を起こし、私を見つめて尻尾を振っている。私も犬を飼っているから分かった。遊んでくれることを期待しているのだ。


「待て!」


 声とともに手のひらをポメラニアンに向かって掲げた。部室の片付け前にシキ部長がやっていたのと同じ動きだ。するとポメラニアンはその場で座り込み、おすわりの姿勢を取った。


「不思議だったんです。真っ白な毛並みと綺麗な手足。人に慣れていて、躾もばっち

り出来ている。……この子、飼い犬なんじゃないですか?」


 部室内に緊張が走るのが分かった。この犬が野良犬でなく飼い犬であるならば、部で飼うよりも飼い主を探す方が先だ。


「それからもう一つ。ヒカリ、私たちが二人でこの子を見つけたときには、もう鞄や三毛猫さまが部屋にあったよね。鉢植えを運ぶ前に部室に寄っていたのかな?」


「うん。教室でユメを見つける十分くらい前まで部室にいたけど」


「その時、窓は開いていた?」


 ヒカリが頭を抱えて考え込む。


「開いてなかったと思う。今日は特に寒かったから窓が開いてたら閉めてるよ」


 欲しい答えが聞けて満足した。ヒカリは犬を見つけたときにも早い段階で窓を閉めていた。今日のような肌寒い日に窓を開けている方が珍しい。


「あの窓は胸くらいの高さにある。当然、犬が一人で開けられるような窓じゃない。人の手が加わる必要がある。つまり、ヒカリが部室を出た後で、何者かが部室の窓を開けて中にこの子を入れたんだ」


 部員たちは皆一様に絶句しているようだった。これは迷子の犬が園芸部に入り込んだという微笑ましい話ではない。得体の知れない何者かが何らかの意図で犬を園芸部に放った事件なのだ。


「白状すると、この部室はいつも鍵がかかっていない。誰でも部室に出入りできてしまうんだ。その子を放った何者かというのは、子猫ちゃんの元の飼い主なのかな」


「断定は出来ませんが、蓋然性は高いでしょう。他人の家の犬を盗んだり、道ばたで拾った犬を使ったというよりはよほど自然です」


「一体どうして、自分の飼い犬を捨てるような真似を?」


「それはまだなんとも。私がこの部屋に入ったとき鞄は三つありました。先輩方も一度部室に鞄を置きに来ていますよね。よかったらそのときの様子を聞かせていただけませんか」


 シキ部長とシラベ先輩はお互いうなずいた。先にシラベ先輩が手を上げる。


「この中で最初に部室に来たのは僕だと思う。僕はまず鞄を置いて、今日の植え替えで使う道具を確認してたんだ。今日は校門の鉢植えを庭園へ植え替える予定だったからね。準備していると、植え替え用の土が足りていないことに気がついて、ここから片道三十分ほど離れたホームセンターに買いに行ったんだ。もちろん僕がいた時に子猫ちゃん――ポメラニアンはいなかったし、窓も空いていなかったよ」


 シラベ先輩の言葉に私は頷いた。ヒカリ一人に鉢植えの運搬作業を任されたのは、先輩がホームセンターに買い出しに出ていたという背景があったようだ。

 シラベ先輩が話し終えたと判断して、ヒカリが続けた。


「次に部室に入ったのは私かな。教室の掃除が終わって部室に来たとき、シラベ先輩の席にもう鞄が置かれていたから。シラベ先輩がどこに行ってたのか分からなかったけど、先輩方が揃ってから作業を始めるものだと思って、スマホをいじって待ってたよ。それから三十分ほど経って、遅いなと思い始めたら、シキ部長が来たんですよね」


 シキ部長が頷く。


「ええ。私は日直の仕事があって少し遅くなってしまいました。部室に向かっている途中でシラベから連絡がありました。『植え替え用の土を買いにホームセンターへ来たけれど、重くて学校まで持ち運べそうにないから手伝って欲しい』と言った内容です。ですので、私は部室にいたヒカリさんへ先に鉢植えの運搬作業を始めてもらうよう指示しました。ヒカリさんは真っ直ぐ校門には行かずに教室に助っ人を探しに出たようですけどね。その後でシラベに再度電話して、ホームセンターと学校の間にある公園で落ち合う約束をしてから、部屋を出ました」


 その時もまだ窓は閉まっていました、とシキ部長は付け加えた。


「どうかな。何か分かったかい?」


 私は首を横に振る。

 私とヒカリが鉢植えを運搬している頃は庭園への出入りを何度もしているから、何者かが誰にも気が付かれずに部室を訪れるのは難しい。ならば、犯行時刻はシキ部長が土を買いに行ったシラベ先輩と合流するために部室を出て、同時にヒカリが運搬作業の助っ人を探している頃。分かったのはそのくらいだった。


「部室ではなく庭園の様子はどうでしょう。普段と変わったところはありませんでしたか」


 尋ねると、シラベ先輩が「そういえば」と声を上げた。


「私が部室を出たとき、庭園に女の子を見かけたよ。庭園のバラを見ていたようだった。園芸に興味があるのかもと声をかけようと思ったら、こちらに気付いて慌ててどこかに走り去ってしまったんだ。顔やタイの色までは見えなかったが、くせっ毛で小柄の可愛い女の子だったよ」


 くせっ毛で小柄の女の子。思い浮かぶのはただ一人、ウツツだった。

 確かに私もウツツが校舎裏に向かうところを教室から目撃している。ウツツが犯人に繋がる何かを知っているかもしれない。

 それとも。悪い考えが脳裏をよぎる。ウツツが部室に犬を放った犯人じゃないのかと。

 そんなことはあり得ない。動機が無いし、あの動物好きのウツツが犬をぞんざいに扱うなどあり得ない。

 一方で私の中の悪魔は囁いていた。「ならば、ウツツは私を避けるような女の子だったのか」と。

 高校生になってからというもの、ウツツに関して知らないことが増えてしまった。最近何をしているのか分からない。お昼は何を食べているのかだって分からない。今日のテストの出来だって分からない。もしかしたら、私のことは嫌いになったのかもしれない。動物を捨てるような真似をするようになってしまったのかもしれない。


 だけど。


「その女の子に心当たりがあります。もう一日だけ時間をくれませんか」


 分からないことは、分かるまで向き合えば良い。これまで避けられてばかりでウツツと真剣に話をしたわけではなかった。

 たとえこれでウツツと決別することになっても、私は彼女と向き合おうと決めたのだ。

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