第3話

「ごめんねー。手伝ってもらっちゃって」


「構わないよ。ちょうど体を動かしたい気分だったし」


 それなら良かったと、ヒカリが微笑む。深く言及されなくて安堵した。

 よっと腰を入れて鉢植えを持ち上げる。春の日差しを目一杯浴びたマリーゴールドは黄色がはっきりと色づき、生き生きと見えた。園芸部の手入れが良いのかもしれない。


 ヒカリから依頼されたクエストは校門前の花を運ぶことだった。校門前を彩る花道は、私も前から目を引いていた。花はいつも校門前に飾られているわけではなく、入学式や学園祭などイベント限定で庭園から校門へ移しているらしい。新入生歓迎の意が込められた花を新入生自身が後片付けするというのはおかしな話だが、何分園芸部は人手不足のようだ。先輩は先輩で別の仕事があるらしく、手の空いた園芸部員はヒカリ一人だった。一人での作業が困難だと判断したヒカリは助っ人として私に白羽の矢を立てたのである。


「知らなかったな。ヒカリは園芸部だったんだね」


「小さい頃から占い、特に花占いが好きでね。ところ構わず花占いのために花をむしってたら、ある日ママに『植物を育てることがどれだけ大変か知りなさい』って鉢植えを渡されてちゃって。それから真剣に植物を育てみたら、これがどハマりってわけ――あっと!」


 突風が吹き、ヒカリのバランスが崩れる。あわや鉢植えを落としそうになるが、すんでの所で踏み止まって、にっと笑った。春一番だろうか。それにしては風が冷たい。もう四月だというのに今日は平年の東京よりもずっと気温が低かった。春休みの間に行った祖母の家のある岩手のほうがよほど暖かかったぐらいだ。


「今も占いは好きだけど、花を無闇にむしることはもうできないな。あの日鉢植えを渡してくれたママに感謝だよ。それがなかったら、校門の花は全部私がむしっちゃってたかも」


 好きには好きのきっかけがある。

 ならば、嫌いには嫌いのきっかけがあるのだろうか。ウツツが私を嫌いになった原因が。悪い思考が過ぎり、私は頭を振った。今は目の前の作業に集中しよう。

 鉢植えをもってヒカリについて行くと、どんどん校舎の方へと向かっていた。庭園へ運ぶはずだが、そういえば庭園の場所を私は知らない。庭園というからには外だろうし、校舎とは別の方向のはずだ。


「ヒカリ、庭園ってどこにあるの」


「ユメは行ったこと無いんだ。すごいんだよ、この学校の庭園。校舎裏だから、わざわざ行こうと思わないと見れないんだよね。もっとみんなに見て欲しいんだけどなあ」


 校舎裏。ウツツが向かっていた方向だと反射的に考えてしまう。しかしウツツを見かけてから時間が空いている。もう彼女はいないかもしれない。そのことに私は安心したのか残念がったのか分からなかった。

 人が横に二・三人程度しか広がれない程度の校舎脇を通り抜け、裏へと回り込む。

 最初に感じたのは匂いが違うなということだった。上品な花の薫りとどこか懐かしい土の薫りがする。心地の良い春の香りだ。

 校舎裏に出るとテニスコート三面分ほどの空間に、バラ、チューリップ、ガーベラ、色とりどりの花があたりを埋め尽くしていた。直線的に剪定された草木が、西洋の庭園を感じさせている。まるで絵画の中に迷い込んでいるようだった。


「綺麗でしょ。私、オープンキャンパスでこれを見て、この高校に決めたんだ」


「うん。これはなかなか。いや、かなり」


 園芸部のヒカリがすごいと言うだけのことはある。目の前に広がる絶景に私は言葉を失っていた。維持するのに園芸部がどれだけの苦労をしているのか、素人ながら良く理解できた。あまり人に知られていないのか、辺りを見回しても人っ子一人見当たらない。それが非日常を感じさせていた。


「ずっと見てるのもいいけど、鉢植え重たいでしょ。早く運んじゃお」


 ヒカリの声で我に返る。どうやら庭園に見入っていたらしい。

 三十分ほど校舎と庭園の往復を繰り返し、ようやく全ての花を運び終えた。最初は何てこと無かった作業だったが、繰り返していくうちに気が付くと握力が無くなってきていた。ヒカリはけろっとしているようだが、私は使い慣れていない腕と腰が悲鳴を上げている。


「ユメ、ありがとうね。あったかいハーブティーでも淹れてあげる」


「お、やったー」


 これだけの庭園を築き上げた部員の淹れたハーブティーだ。上等なものに違いないと期待が高まる。ヒカリに連れられ、庭園の奥にある小屋へと向かった。丸太作りの小さな小屋が園芸部の部室になっているらしい。


「あれ?」


 小屋に近づいたヒカリが呆けた声を上げた。どうしたのかと私は目で問いかける。


「窓が開いてるね。閉め忘れたのかな」


 見ると、小屋の側面に見える窓が確かに開いていた。窓は胸の高さほどの位置にあり、カーテンが掛けられていて、中の様子までは確認できない。

 ヒカリは特別気にする様子も無く小屋のドアを開けた。瞬間、ヒカリの目が驚きの色に染まる。遅れて私も部屋の中を検めた。

 七畳ほどの部屋に四人がけのテーブルと本棚と電気ポットやティーセットの置かれた棚がある簡素な部屋だった。テーブルにはパイプ椅子が四脚あり、そのうち三脚は近くに鞄が置かれていた。部屋の隅にはスコップやはさみなどの園芸用品のほかに、五・六個の鉢植えが置かれている。中にはサボテンや盆栽もあり、ここは西洋庭園から切り離された空間らしい。

 異常だったのは、本棚に収まっていたであろうの本や書類、机の上のペンや置き時計が乱雑にばらまかれていたことだ。泥棒が押し入ったかのような荒れっぷりである。そしてなにより、机の上に、新雪のように真っ白な毛並みのポメラニアンが尻尾を振っていたことだった。


「この子が庭園の番犬ってわけ?」


「いや、初めて見た子だよ。新入部員かな?」


 花を育てるどころか食べてしまいそうな新入部員である。ヒカリは机の前で屈み、可愛い客人と目線を合わせた。


「野良犬なのかな。キミ、どこから来たの?」


「ガウ!」


 小さな体のどこから発せられたのか、大きな声が響く。必要以上に大声で先生に挨拶をする園児のようだ。ポメラニアンはそのままヒカリの横を通り抜け、部屋中を駆け回った。床に落ちた紙類が子犬に蹴り飛ばされ宙を舞う。

 状況からして、部屋を荒らしたのはこの犬だろうか。元気そうなこの子なら、本棚の書類も机上の荷物もぐちゃぐちゃにしてしいまいそうだ。容疑者の姿をじっと見つめる。丸い瞳と小さく綺麗な手足が愛らしい。犯人であっても全てを許してしまいそうだ。

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