タキシードミー・マーメイド
雨藤フラシ
1. あたしは海を吐き出せない
『キョーコちゃんにカレシができたら、リスカしちゃおっかなー』
入学式が終わったばかりの教室で、
『なに言ってんだ、ばーか』
『本気だよ~? カレシ作ったら死んでやるからっ』
真っ赤なリボンタイつきのブレザーは、小柄なカナによく似合っていた。中学からの習慣で、こいつに髪をくくられているあたしからは見えないけれど。
『カレシなんて、すぐごみ袋につめてポイだ』
『ホント? カレシかわいそ~』
『だったら、カナがあたしのカノジョになれよ』
それはダメ、と言うあいつを問いつめたら『私じゃキョーコちゃんに釣り合わないよ』ときたもんだ。そんなワケないだろ。
生まれつき茶色い髪のカナは、あたしのダサい黒髪をうらやましがってた。だから毎日みつあみを結ったり、お団子にして遊べるよう、わざわざ長く伸ばしてたんだ。
『あんたがカノジョになってくれたら、毎日あたしの髪さわれるじゃん』
そう言って笑っていたのが去年の春。あたしは結局カレシなんてできなかったけど、代わりに自分をゴミ袋に詰めこむハメになった。
何度も内側から口を閉める練習をした、大容量45リットル。あたしの体をすっぽり包んでくれる頼もしい相棒を持参して、一人で陽が落ちた屋上に立っていた。
ここから見る梅雨の空は、じっとりとよどんだ灰色に曇っている。
下に広がる町の景色も、なんだか泥みたい。この景色の中、誰にも結われないあたしの髪も、ドブみたいに濁っているだろう。
ヘドロみたいな世界のどこかには、青紫や赤紫の、みずみずしく花びらを開く紫陽花があるんだろうか? あたしにはもう見えない。
(しっかし、まさか半年も壊れた鍵ほっとくなんてねー)
廃墟みたいにさびれた雑居ビル、不用心な扉の施錠に気づいたのはずいぶんな昔だ。不法侵入者ながら、ちょっと感心してしまう。
ここに入っていたマンガ喫茶には、カナとよく来たっけ。店がつぶれてからは来なくなったけれど、あの時気づいた屋上の鍵が、今こうして役に立つなんて。
灯りのない狭い屋上を懐中電灯で照らし、低い鉄柵の向こうにある足場を確認する。これを乗り越えたら、袋に入って飛び降りるだけ。
身を投げ出したら、そのまま泳げそうなじめじめした空。
ちゃんと地面にたどりつけますように。
「タビダツフコーヲオユルシクダサイ、とか言うんだっけ?」
この世で最後の深呼吸は、あんまり美味しくなかった。
◆
甘泉カナは、自分の家から100mも離れていない所で、車にはねられて死んだ。自動車を発進させながらシートベルトをかけるズボラなおっさんが、その日はベルトがたまたまシフトレバーにひっかかって、慌てて直そうとしたらアクセルを踏みこみ、レバーはバックに入っていて、後ろにはカナがいた。
中途半端なことに、即死じゃなかったのも良くない。
あたしも甘泉家もきっと本人も、「まさかここでは死なないだろう」と思っていたのだ。それも二、三日のことだったけれど。
なんだろうこれは、とお葬式の席であたしはぼんやり考えた。ノリツッコミをしたら生き返るとか、そういう場面じゃないのは分かってる。
でも、何か言わないといけない気がして、一言も出てこない。なんだよ、期待させやがって。死んでんじゃねえよ。とか、なんかそういうことを。
笑っている遺影と、棺桶のギャップに、笑い出しそうになってくる。
それをこらえたのは不謹慎だから、ってより……やっちゃったら、やめられる自信が、あたしにはなかった。親友の葬式で笑い続けるあたしは、さぞかし不気味で罰当たりだろう。でも、そうなった方が楽だったのだろうかとも思う。
涙がこぼれるまで笑えば、そのまま流れで泣きわめけたんじゃないかって。泣いてしまいたかった、泣けるものだと思っていた。自分の中に広がっている底なしの海が、ぜんぶ大津波になって吐き出せるに違いないって。
なのに一滴もこぼれないんでやんの。
『帰島さあ、意外と平気そうじゃん。あんなにベッタリだったのに』
同じクラスの女子がそう言って、あたしは、なんて返事したんだっけ?
まあビンタしたような記憶はないから、なんだっていいや。人間の〝つらい〟とか〝楽しい〟とか〝悲しい〟の表現にはテンプレがあって、そこから外れた感情なんてないと思ってるやつのことなんか。知ってるんだ、カナが言っていた。
『人間はさ、悲しすぎると逆に泣けなくなっちゃうんだって』
『へー。マジで惚れた相手とセックスすると、好きすぎて勃たない、みたいな?』
『シモネタだあ。でも、たぶん近いんだと思う』
いつかの昼休み、図書室だったか、中庭だったかも忘れたけど。そんな話をしたんだ。あたしも、多分カナもセックスは経験無いけど、少しその状況を想像してみた。
大好きな相手に、いよいよ思いの丈をぶつけようとした時。とんでもなく悲しいことにあって、苦しさを抱え込んでしまった時。
あまりにも気持ちが大きくて、かえって機能がぶっつぶれてしまったとしたら、と。あたしは『つらそ』と、平々凡々な感想をこぼした。
『つらそう。キョーコちゃん、私が死んだ時はちゃんと葬式で泣いてね。わんわん泣きわめいて、みんなをビックリさせて』
『なにそれ、縁起悪っ。絶対泣かねえ~』
カナはむむっと両目を吊り上げて、こぶしを振り上げた。
『泣ーけーよー! なんでだよー!』
『泣かねえ~!』
泣くべき時に泣かないと、人間はそのうち壊れちゃうんだぞ、とカナは言っていた。あの時の、泣けよ~、という声が、頭の底でリフレインする。
それを聞きながら思ったんだ。別にあたし、壊れてもいいじゃん、って。
◆
自殺者は天国に行けないと言うけれど、それぞれに苦しんで死を選んだ人間を地獄に落とす神さまなんて、こっちから願い下げだ。
「お嬢さん、お嬢さん」
さあ、行こうか。
「もしもし! そこの女子高生! ちょっと顔上げてくんないかな!」
「へ?」
ふってわいた声を聞いて、あたしはそいつを見つけた。屋上の柵とフチの向こう、何もない空中に浮かぶ真っ黒な小舟と、そこに立つ怪しいローブの男だ。
ローブ、いわゆる昔話の魔法使いがよくやってる、着る毛布みたいなズルズルだぶだぶした格好で、フードを被ってて、性別がよく分からない。
でも声の感じは男、それもややおっさんっぽい印象だった。
「……何? 死神ってやつ?」
「ああ、良かった聞こえた。オレは〝
渡し守ってなんだ、いかにも三途の川を向こう岸まで連れて行ってくれそう。
「やっぱあの世からのお迎えじゃん。来るの早いけど、あたし地獄行きとか決まってるワケ?」
悪い奴はみんな、悪いものじゃないって言うんだ。……平然と受け答えしているけど、あたしはそれなりに混乱していた。
いや、心の一箇所がぐるんぐるん「なんだこれ!? 人が空に浮いてる!! 妖怪!? 死神!? 今日死のうと思って屋上に来たのは夢なの!?」と七転八倒しているんだけど、そこを別の小部屋みたいにブロックして、当のあたし自身はなんか冷静、という状態だ。自分自身が分割されている感じ。現実感がない。
「やだなあ、そういうのじゃないよ」
渡し守と名乗るおっさんは、手にしていたオールにもたれつつ、ケラケラと手を振った。なれなれしいというか、妙に緩いというか。
少し、腹立たしい気持ちもある。超常的すぎてフリーズしていたけれど、こいつは今あたしの邪魔を思いっきりしているのだ。こんなことをしてる場合じゃない。
「今見ていたけれど、君、真面目に死のうとしてたでしょ。そこの柵、乗り越えようとしていたよね。もうこの世に未練はないわけだ」
「そうですね」
やっぱり見られていたか。ああ、これは面倒くさいぞ、とあたしは思って身構えた。どうせ死ぬなとかお説教されるに違いない、と。しかし。
「どうせ死ぬなら、うちで人魚になってくれない?」
ぐ、と渡し守が顔を近づけて、あたしは初めて相手が思ったより若いことに気づいた。長く伸ばした前髪の間から、少年のようにキラキラした大きな目がのぞく。
明るく澄んだ海のような、やけに綺麗なブルーだった。
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