【N原マサキ】


 村中に、聞いたことのない不気味なサイレンが響き渡った。何年か前に河川氾濫警報が鳴り響いたときも、こんなに不安になったことはない。

「なんのサイレンや。正午にはまだ早かろう」

 畑仕事の最中だった爺ちゃんが、だらだら垂れる汗を拭きながら言う。俺は尻ポケットに差し込んでいたスマホを取り出した。

「待っとりい。調べちゃるけえ」

 電源ボタンを押した途端、待ち受け画面に踊った大量の通知に、俺の心臓が跳ねた。ついさっき通知は全部確認したのに――たった数分間のうちに十も二十もメッセージを受け取っている。

 その多くは大学時代の同級生からだった。見慣れた名前がいくつも並ぶ中に、D川の名前を見付けた。D川はY町出身の幼馴染だ。大学卒業後は上京したままY町には帰らず、音沙汰もなくなっていたが……。

 メッセージアプリの通知が並ぶ中、ひとつだけ見慣れないものがあった。防災速報。警報を示す赤いバッジ。

「ミサイル……攻撃?」

 なにかのいたずらか。ナントカアラートの訓練かな。

 現実味がないながらも、奇妙に強烈な不安感が拭えない。震える指で、その通知をタップする。内容を読むなり、俺は家の中に飛び込んだ。


「母ちゃん、母ちゃん!」

 結婚して子供が産まれてからというもの、妻のことを「母ちゃん」と呼ぶのが当たり前になってしまった。そしてそう呼ばれるのが当たり前になってしまった女が「なあによう」と台所から顔を出す。

「か、母ちゃん……チハルはるや」

「チハルなら、ユキエちゃんと遊び行くって朝から出かけとるよ。そいよかさっきの警報……」

 炊事に濡れた手を拭きながら、不安げに寄ってくる妻の身体を、俺は無言で抱きしめた。中年と呼ばれることにも慣れ、肉がつきシワの増えた妻の身体は、妙にしなっとしている。

 あと五分では、娘のチハルに会うことは叶わないだろう。世界で何よりも愛しい二人の女。出来ることならば二人を両腕に抱え込み、最期の瞬間まで恐怖や痛みを感じないように守っていてやりたかった。


「五分……」

 震える声で呟いた。

「五分間だけ、こんままにしとってくれ」

「何ね、どうしたんね……」

 戸惑いながらも微笑んだ妻の、家事に傷ついたふくよかな手が、俺の頭を優しく撫でた。


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