ノーサイド・サマーヒーロー

深見萩緒

プロローグ


 九州地方の山間部、湾曲した川にしがみつくようにY町は存在した。

 元はY村であり、九十年代の終わり頃に隣接する集落をいくつか飲み込む形で町の称号を手にしたY町は、しかし努力虚しく、集落の頭に「限界」を付けられて衰退の一途を辿っていた。

 だから――Y町の名が臨時ニュースで読み上げられたとき、多くの日本人は「どこ?」と疑問に思ったと同時に「あーよかった」と感じた。

 東京じゃなくてよかった。大阪じゃなくてよかった。そのほかの――聞けば「あそこだ」と分かるような、大きな都市じゃなくてよかった。


 あと五分で核ミサイルが落ちてくる。その目標地点は、Y町。


 現実味のないニュースに国民全員が虚脱状態になったのは言うまでもないが、現実的にものを考えていた国民も多かったのだ。

 歴史上、二度にわたって核の驚異を頭上に掲げられた国。閃光、爆風、放射線。その威力を文章で、映像で、地図資料で様々な角度から叩き込まれた――こと「原子爆弾という兵器の被害」に関しては、恐らく世界いちの知識を誇るであろう国民たち。

 彼らはニュースの画面に映るY町の位置を見ながら、咄嗟に考えた。あそこに核ミサイルが落ちるとして、被害の範囲は? 放射線が及ぶ地域は?

 そして多くの人々は「なんだ、大丈夫だ」と結論付けた。それほどまでにY町は、日本という国の根幹から外れた辺境にあったのだ。


 日曜日の午前。スクランブル交差点の大型画面に映されるニュース速報を見ながら、人々の感心は被害の外側へと逸れていった。すなわち、一体どこの国が核ミサイルなど打ち込みやがったのか。次は東京が狙われるなんてことにならないか、我が国の防衛はどうなっているのか……。

 そんな中でD川は、ニュース速報の映像から目を離せずにいた。画面に映し出される、見覚えのある風景。

 あと5分で核ミサイルの直撃を受ける、懐かしき故郷。


 衝撃が抜け去ると、D川は弾かれるようにスマホを取り出し、同郷であり大学も一緒だったN原という男に簡単なメッセージを送る。

『ニュース見たか?』

 それから……何を送ればいい? 地下に逃げろと送りかけて、あんな田舎に地下などどこにもないことに気が付く。ならば頑丈な建物の中に……学校か町役場? それすら、頑丈というには心もとない古びた建物だ。

 自分に出来ることのあまりの少なさに、D川は呆然と立ち尽くす。D川はふらつく足取りで道路の隅に移動し、座り込んだ。

 呆然としたまま、脳裏には懐かしい子供時代の記憶が蘇る。こんな暑い夏の日には、駄菓子屋で買った棒アイスをかじりながら帰ったものだ。田舎なので子供の数が少なく、二・三歳差ならば皆同級生のようなものだった。

 娯楽の少ない町だったためか、素朴で、趣味に傾倒する子供が多かった。


 N原は昆虫が好きで、あらゆる虫を標本にした。O野は文学少年で、ノートにびっしりと自作小説を書き連ねていたし、S木は数学の天才で、中学の時には超難関大学の入試問題をいともたやすく解いた。I島は粗暴な男だったが身体の使い方が天才的に上手く、怪我さえしなければ体操のオリンピック選手になっていただろう。

 そうだった。とD川はため息をつく。何かしらの得意分野を持っている彼らの中で、D川は得意なものも、寝食を忘れて傾倒するようなものも持っていなかった。D川と一番仲が良かったのがE田という男だったが、彼もまた何の特技もないつまらない少年だった。それで意気投合した二人は、退屈な青春を怠惰のままに浪費した。

 E田は厄介な少年で、自分は超能力者なのだと吹聴してまわっては疎まれていた。D川は、E田のそういうどうしようもないところが好きだった。しかし高校に上がってもE田の虚言癖はなりを潜めず、やがて世間体を気にしたD川も、E田との付き合いをやめてしまったのだ。


 上京したっきり故郷に帰らないのは、両親が早くに他界し、帰省の必要がないせいも大きいが――青春のほろ苦い後ろめたさのせいも、確かにあったかもしれない。今となっては、そんなものを気にしていた自分が恨めしい。

 もう二度と会えない友人たち。草の生い茂ったあぜ道も、品揃えの少ない寂れた駄菓子屋も、喉の焼けるような暑い夏の空気も――Y町の全てが吹き飛んでしまう。

 熱いアスファルトが尻を焼く。必死に声を抑えながら泣くD川に、道行く人々が視線を向けながらも、足早に去っていく。

(もう二度と会えない……声を聞くことも……)

 ふと、手の中のスマートフォンに視線が落ちた。この薄べったい板が電話であることを、唐突に思い出した。

 声を聞きたい。

 D川は殆ど無意識に、電話帳に登録されたE田の名前をタップしていた。


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