【短編】夢色 -ゆめいろー

NAOKI

夢色 -ゆめいろー


 高架を走る車窓からは、果てまで続きそうなほどに住宅街が広がるのが見える。


 楓香ふうかはまるで個性的でない家々が、列車の速度に合わせて流れて行くのをぼんやりと眺めていた。次の駅に着けば、神崎くんが乗車してくる。


 朝の8時。都心とは逆方向に進む電車は、通勤ラッシュほどの混雑にはならないが、楓香と同じ高校に通う生徒でそれなりに混み合っている。ただ、車内で会話をする人は少なく、電車が走行する音以外はほとんど音がしない。乗車する生徒の多くは、流行りのワイヤレスイヤホンを両耳に装着して、思い思いに好きなアーティストの曲を聞いている。


 楓香は、Feelを買おうか買うまいか、半年ぐらい悩んていた。


 少し前に大手家電メーカーから発売された、気分が見えるワイヤレスイヤホン「Feel」。合成樹脂で出来た白色のイヤホンを耳に差し込み、付属のイヤーカフのような金属を耳たぶに挟む。Feelには最新の「感情検知AI」が組み込まれており、センサーが検知した脈拍や体温などの情報をもとに、感情解析アルゴリズムが人間の感情を振り分け、イヤホンの白色の外装を様々な色に変化させる。


 気分が高揚していれば赤色系、気持ちが沈んでいるときは青色系、平穏で落ち着いたていり晴れやかな時は緑色系など。

 機能に比して購入しやすい価格だったこともあり、中高生を中心に瞬く間に広まった。


 仲の良い友達は全員が購入済みで、お互いにイヤホンの色を見て「なんか良いことあった?」とか「どうしたの、相談に乗るよ」などと、挨拶がわりのように上手に使いこなしている。


 楓香も欲しい気持ちはあったが、どうしても一歩踏み出せないでいた。自分の感情が他の人に漏れてしまう様で、勇気が出なかったからだ。



 同じクラスの神崎くんとは、毎朝、通学電車で挨拶をする程度の仲だ。用事もないのに気軽に話しかけられる雰囲気でもない。意識しすぎているからだろう、楓香は神崎くんの前では口籠ってしまう。


 大抵は、楓香は車窓を眺める振りをして、チラチラと神崎くんをのぞき見る。


 神崎くんはいつも独りで吊革に掴まり音楽を聴いていた。

 Feelの色は赤だったり青だったり緑だったり、その日によって違う。


 楓香は神崎くんのイヤホンの色を見ながら、彼に起こったかもしれない出来事を勝手に妄想する。青であれば、喧嘩でもしたのかな?風邪でも引いたかな?とちょっと心配になる。緑のときは心が安らぐような素敵な曲でも聞いているのだろうと想像する。


 赤の時は・・・。

 何か良いことがあったんだろうけど、あまり想像したくない。

 神崎くんが他の女の子と言葉を交わしている時など、楓香の鼓動は早くなる。

 そっと薄眼を開けて一瞬だけFeelを確認する。


 お願いだから、ピンクだけにはならないで。


 ***


 ある日、帰りの電車で偶然に神崎くんと一緒になった。

 

 思春期の女の子には、高感度で高性能の思い人感知センサーが備わっている。人混みの中で好きな人を見つける確率は100%に近い。目から飛び込んできた信号は、心臓に伝わって鼓動を速め体温を急激に上昇させる。Feelをつけていなくたって頬は薄紅色に染まっているに違いない。


 恥ずかしさで気付かれぬように距離を取っていた楓香に、話しかけて来たのは神崎くんのほうだった。


「あれ、北川さんもいま帰り?」


 苗字+さん、で呼ばれる。

 楓香だって神崎くんと呼んでいるのだから当たり前なのだけれど、クラスメイト以上には成れないような距離感を感じる。滅多にない偶然と、突然に話しかけられた困惑で、楓香は何も答えられないでいた。


「北川さん、聞こえてる?」


「あっ、ごめん、聞こえてる」


「イヤホンしてるから聞こえづらいのかな」


「ううん。私、イヤホンしてないんだ」


 肩の上で切りそろえたストレートの黒髪を、少しだけ掻き上げて耳を神崎くんに向ける。嘘じゃないよ、と言いたくて咄嗟に出てしまった行動だが、我に返ると凄く恥ずかしい。男子という生き物は他人の耳の形にこだわることなど絶対無いのだが、楓香にはそういうことは分からない。


 変に思われなかったかなあ・・・。

 不安しかない。


「ほんとだ。北川さんはFeelは買わないの?」


「買おうと思ってるんだけど、ちょっとね・・・」


「そうなんだ。これ色の話ばかり話題になってるけど、音も結構いいんだよね。おすすめだよ」


 そう言って、自分の耳からFeelを外し手に取って楓香に見せた。差し出された大きくて硬そうな手には、白色のイヤホンが乗っていた。


 失敗した。

 会話が始まった時に神崎くんのFeelが何色だったか見逃してしまった。


 でも・・・。

 青とかだったら泣き出してしまいそうだから、良かったのかも。


 楓香が黙っていると、神崎くんが重ねて勧めてくる。


「北川さんも絶対に買った方がいいって」


「うん。じゃあ、考えてみるね」


 ***


 その日から、毎日毎日考えた。


 結局、あの日は神崎くんが降りる駅までずっと話をすることが出来た。緊張して言葉がたどたどしくなる楓香の話にも、辛抱強く優しい顔で聞いてくれた。返される言葉は、どれも楓香の心を温かくしてくれるものばかりだった。


 少しだけ距離が縮まった。

 楓香はそう思っている。

 思いを伝えたいけど、きっとまだ早い。

 ただ、これ以上距離を縮めるためには楓香が積極的にならなければいけないことは分かっている。でも、告白なんてとてもじゃないけど怖くて出来ない。メッセージも何て書いていいか分からない。


 勇気が欲しい。

 砂粒ぐらい小さくていいから。


 ギリギリ色でなら頑張れる、かな・・・。


 貯めていたお小遣いを握りしめて、楓香は家を飛び出した。


 ***


 翌日の放課後、友達には用事があると嘘をついて、駅で独り神崎くんを待った。


 耳には買ったばかりのFeelをつけている。


 神崎くんはちゃんと楓香に気付いてくれた。


「あれ、北川さんどうしたの」


「Feel買ったの。神崎くんに一応報告しようかなって思って」


「あっ、ほんとだ」


 楓香が、先日と同じように髪を掻きあげると、神崎くんは楓香の耳のあたりを覗き込んだ。


 神崎くんは、じっとFeelを観察している。

 恥ずかしい・・・、けれど一生懸命に悩んで考えて決めたんだ。


「とっても綺麗な薄紅うすくれないだね。少し薄くなったてきたから淡紅たんこう色か桜色さくらいろかな」


 たぶん気付いてもらえた。でも、神崎くんには特別な反応が見えない。


 薄紅、淡紅色、桜色・・・


 楓香には、自分のFeelが具体的にはどんな色をしているか分からなかった。


「神崎くんは、色の名前に詳しいんだね」


「うん。昔から絵とか好きで。出来れば将来は色を扱う仕事に就きたいと思って、少し勉強してるんだ」


「へえ。もう将来のこととか考えてるなんて凄いね」


 大丈夫。落ち着いて会話できてる。

 勇気を出して、気になっていたことを質問してみる。


「神崎くんは、何で私にFeelを勧めてくれたの?」


 楓香の周りから音が消えた。


「・・・北川さんの気持ちが知りたかったから」


 鼓動があちこちを疾走する。

 その連打はカフスを通じてFeelに伝わってるだろう。きっと、楓香のFeelは見たことも無いような、変な色になっているに違いない。


 予想外の告白だったが、楓香にとっては夢にまで見ていたことが叶った瞬間だ。神崎くんに気付かれないように、ゆっくりと息をして、Feelをそっと覗き込む。

 

 私の気持ちが知りたいって、そういうことで、いいんだよね? 夢じゃないよね?


 ピンクが少し薄くなった色で、でも桜の花弁はなびらよりは濃くて。


 ただ、楓香は色の名前に詳しくないので、何色と呼べばいいのか分からない。


 夢ではないが夢のよう。


 うん、夢色って名前でいいや。

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