第57話 ブドウと地方病

「酸っぱっ!」


「確かにこれは酸っぱいですな」


 武田信玄以下一族男子と重臣の切腹により、甲斐武田家は一時滅んだ。

 残された小さな男子と女子は安土へと送られ、光輝達は軍勢を甲斐の要所に置いて暫定的に統治をおこなっている。

 そんな中で、勝沼の豪農から光輝に甲州ブドウが献上された。


 早速食べてみるが、やはり品種改良が進んでいない時代のブドウである。

 光輝には、とても酸っぱいブドウにしか感じられなかった。


「正信も、実は舌が贅沢になっているとか?」


「前に、殿から頂いたブドウは美味しかったですな」


 カナガワの自動農園と新地城内の菜園で栽培されているブドウなので、当然品種改良がされている。

 大粒で甘くて種がないので、正信もその味を気に入っていた。


 だが、種なしだから縁起でもないと食べない者もいた。

 これは、ミカンなどでも同じ事を言う人が一定数いる。

 正信はそんな迷信は信じないので、気にせずにブドウを食べていたが。


「加工すればいけるか? 今日子にジャムにでもしてもらうか」


「じゃむとは初めて聞く食べ物の名前ですか。どのような食べ物なのですか?」


「ブドウを砂糖で煮詰めた物だけど、現物を見た方が早いか」


 光輝は持参した瓶詰の中から、ジャムの瓶を取り出す。

 

「これがじゃむですか……」


 正信は、イチゴジャムを興味深そうに見ている。

 美味しいのか、気になるのであろう。

 パンがないと用事がないので、新地家の家臣でもジャムを食べた事がある者はいなかった。


「これはイチゴのジャムなんだけど、基本的な作り方は同じだな。あとは、ブドウ酒にするとか?」


「それは聞いた事があります。南蛮のお酒で、大殿も南蛮の宣教師から献上されたそうですよ」


「今日子に相談して作ってもらおうかな?」


「今日子殿は、お忙しいのでは?」


「そういえば、そうだったな……」


 光輝は、旧武田家臣の反抗などよりも厄介な敵に遭遇していた。





 甲斐に進駐した新地軍であったが、思わぬ敵に苦しめられそうになった。

 休暇中に甲府盆地の湿地帯で遊んでいた兵士数名が皮膚の痒みを訴え、その後発熱と下痢を発症した。

 休養を取らせたら回復したのだが、それを知った地元の農民が軍医にこう漏らしたという。


『泥かぶれか……そのうちに、はらっぱりで死なないといいがな』


 軍医が更に事情を聞くと、その農民は甲府盆地でも低湿地帯に住む住民が多くかかる風土病のようなものがあるという。

 最後には手足が痩せ細り、皮膚は黄色く変色し、腹水により腹部が大きく膨れ、介護なしでは動けなくなり死亡するそうだ。


『そんな病気があるのか……』


 その軍医は、助手達を連れて疾患者がいる村を回った。

 表向きは、宣撫のための無料診断という事になっている。 


『これは……』


 軍医は実際に腹が膨らんで動けない重症患者を確認したが、自分の力量ではどうにもならないと判断したのであろう。

 彼は光輝に報告をあげ、光輝も医者である今日子に詳細を手紙で書いて送った。


 すると、彼女は急ぎ甲斐に向かうと言う。


『ここは、核戦争で沈む前の日本と同じだものね。忘れてたわ』


 光輝と顔を合わせるなり、今日子は頭をかきながらそう述べた。


『みっちゃん、説明はあとでするから疾患した兵士を先に診察するね』


『任せるよ、俺は全然わからないから』


 今日子は、泥かぶれと発熱、下痢を起こした兵士を全員診察、血と便を採取してその検査を始めた。

 

『見つけた!』


 今日子は電子顕微鏡を用いて、その病気の原因を見つける事に成功した。


『これは、住血吸虫による寄生虫病だね。日本だから、日本住血吸虫症というのが正しいのかな?』


 報告にきた今日子は、光輝にそう説明した。


『寄生虫病か……』


『結構、厄介な病気だよ』


『それは、俺にもわかる』


 光輝達のいた未来では、既に地球上では住血吸虫は絶滅していた。

 根絶作戦の成果と、核戦争で多くの大陸が海に沈んでしまったからだ。


 それが理由で人類は一旦この病気を忘れてしまったのだが、宇宙開拓時代に手痛いしっぺ返しを食らう事になる。


 発見して殖民を始めた地球型惑星において、ほぼ同種の住血吸虫が多数生息していたからだ。

 医療が進んでいた時代にも関わらず、最初は医者が何の病気かわからずに多くの犠牲者が出た。

 他にも、未知のウィルスや細菌で初期の開拓民には多くの犠牲者が出ている。


 そこで、宇宙船にはこれらの疾患に対応する薬剤などが必ず常備されるようになった。

 今日子のように医者の資格を持つ船員など滅多にいないので、船員は艦内の設備で怪我や病と戦わないといけないからだ。


『こういう寄生虫には、宿主が必要なんだよね。感染ルートは経口か皮膚感染か……泥かぶれだから皮膚か……詳しく調査をしてみるよ』


 今日子は、最初に報告を送った軍医他医療チームを連れて感染ルートの調査を始めた。


『あっ、全員にこの錠剤を飲ませてね』


 今日子は、新地軍の関係者すべてにある錠剤を飲ませた。

 培養可能な殺虫ナノマシンで、これを飲むと半年ほど体内で増殖しながら住血吸虫を殺す働きをするのだと今日子が説明する。


『マロちゃんに頼んで量産しておいて助かったよ。住民への検査と薬剤の投与も同時にやらないと……』


 調査と並行して疾患患者の検査と、患者への薬剤の投与、重症患者への治療もおこなわれたが、重傷者は既に手の施しようがなかった。


 体内に入った住血吸虫が繁殖産卵し、肝臓などの臓器に溜まって肝不全、肝硬変、肝臓ガンなどに移行したり、静脈を詰まらせて門脈の血圧を上昇させ、最後には破裂したり、虫卵が脳に蓄積して重篤な脳疾患を引き起こしているケースもあったからだ。


『初期疾患者の治療と、新たな感染患者を防ぐのを優先しないと……』


 それは他の軍医に任せ、今日子は自分も疾患しないようにフル装備で住血吸虫の宿主を探し始める。

 直接川や沼に入り、宿主候補のサンプルを探し始めたのだ。


『奥方様、この地域の老人達は川遊びをする子供達に、ホタルやセキレイを捕まえると腹が膨れて死ぬと言っているそうです』


『川遊び……ホタル……餌のカワニナ?』


 早速カワニナを多数捕えて調査するが、住血吸虫は発見されなかった。

 他の水中生物を次々と捕まえて調査するが、なかなか答えが出ない。


『やっぱり、皮膚感染だね』


 感染多発地域にある沼の水から住血吸虫が発見されたので、今日子は感染を防ぐには水に入るのを止めるようにと農民達に告げた。


『んだども、オラ達は水田に足を入れないと生活できないから……』


 水田で米を作って生きていかないといけない以上、農民達の感染を防げない。

 かと言って、いきなり住血吸虫を全滅させるなど不可能であった。


『奥方様! 宿主を見つけました!』


 軍医達の努力により、住血吸虫の宿主がカワニナに似た小型の貝類である事を突き止めた。

 だが、その貝は感染地に大量に生息している。

 これを全滅させるのは至難の技であった。


『貝と住血吸虫を殺す薬を撒くしかないのでは?』


 報告に来た今日子に、光輝は自分の意見を述べた。

 

『範囲が広大すぎるんだよ。それに、もう私達は関われないし』


『そういえば、そうだった』


 新地軍が甲斐を暫定統治していたのは、今は北信濃で事後処理に奔走している羽柴秀吉に与えられる事が決まっているからであり、数日後には彼らが軍勢を率いて甲斐に来る予定になっていた。





「貝を利用して小さな虫が大量に繁殖し、その虫がいる水に手足をつけると体に潜り込まれて病気になるのですか……」


 今日子から住血吸虫病に対する報告を聞いた正信は、その病の恐ろしさに身震いしていた。

 

「殿が持っている薬で感染は防げるが、効果は半年。貝は獲り切れないほどいる……羽柴殿にお任せしましょう」


「正しい意見ではあるな……」


 どうせ数日の後に秀吉がくれば、光輝は甲斐に対して何もできなくなってしまう。

 なぜなら、秀吉が甲斐の領主になるのだから。


「薬だけ販売してさしあげれば?」


 そんな正信の冷たいようだが現実的な意見に、当の秀吉は泣いて今日子に縋った。


「そんなぁ……せっかく一国の主になれたのに、助けてくださいよぉ。半兵衛、お前も今日子殿にお願いせい」


「今日子殿、甲斐の他にも似たような地域がある可能性がある。もしその地を新地家が治める事になった時の練習としては?」


 最近、人たらしとの評判も高い秀吉は、誰に憚る事もなく泣きながら土下座をして今日子に対策を頼んだ。

 まず普通の武士ではできない事だが、こうも頼まれてしまうと光輝と今日子も断り辛くなってしまう。


 もう一方の、この度美濃の所領を放棄してまで正式に秀吉の家臣となった竹中半兵衛は、新地家が風土病対策で経験を積むためだという、もっともな理由で今日子に対策を頼んだ。


「出来るだけの事は協力します」


「ありがたい!」


 秀吉は、今日子の手を取って嬉しそうにお礼を述べた。


「それで、対策は?」


「そうですね……」


 まずは、新たな感染者を出さない事。

 これは、体内に入った住血吸虫を殺す薬を秀吉が光輝から購入、販売価格は大分抑える事になった。

 初期感染者なら、この薬を飲めばすぐに体内の住血吸虫を殺せる。

 だが、薬効が切れたあとにまた水に入れば感染してしまう。

 その辺の知識を住民達に知らせるのは、秀吉の仕事となった。

 

 次に、感染地の住民が直接川や沼、水田の水に触れないようにする。


 不要な湿地帯は埋め立てて貝の生息地を奪い、彼らには米作を止めさせて、ブドウ、桃、桑の栽培を行わせる。

 用水路や小川に殺貝を行う生石灰を定期的に撒き、貝の天敵であるアヒルの飼育を行い、貝が生息しにくいように用水路のコンクリート化も計画された。


「多分、完全な撲滅には長い年月が必要でしょう。根気よく対策を続けていくしかないですね」


 それでも、感染初期なら薬で治療が可能だという事実がわかり、感染地に住む住民達は安堵した。

 甲斐の新領主となった秀吉は、住血吸虫の宿主である貝の撲滅を、水田を減らし、他の農作物の生産量を増やす政策と共に実施し、次第に住血吸虫症の感染者を減らしていく。


 特に、手遅れで重篤化する患者がほとんどいなくなったのは朗報であろう。


 だが、完全に住血吸虫症が根絶されるまでには、まだ二世紀ほどの時間を必要とするのであった。


「格安とはいえ、薬剤は備蓄しなければいけないし、用水路と治水工事に使う特殊な漆喰も大量に購入しないといけない。代金は甲斐の金があるので大丈夫だが、やはり新地光輝は恐ろしい……絶対に敵に回しては駄目だな」


 竹中半兵衛は、改めて新地光輝の恐ろしさを再確認するのであった。

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