第32話 戦場食と瓶詰
「戦も終わったし、早く家に帰りてえだな」
「んだ、早くカカアとガキ達に会いたいべな」
残念な事に……ではなくて幸いにも、三好三人衆による足利義昭討伐は失敗に終った。
運悪く……ではなくて運よく援軍が間に合い、信長自身も大軍を率いて上洛して再討伐が行われ、逆に三好三人衆はその首を京に晒す事になる。
後に、それらの首は講和を結んだ篠原長房に返還されたが、三好家は大損害を受けて四国に逃げ帰る羽目になった。
討伐作戦は無事に終わり、現在織田軍は畿内各地に分散して駐屯している。
無事に討伐作戦も終わったので、各武将が率いる兵士達はすぐにそれぞれの領地に戻る予定だが、それも信長から命令が出てからだ。
兵士達は、陣を敷いて主君の命令を待っていた。
戦が長引けばストレスが溜まるが、今回は戦の性質上、それを発散する手段の一つである乱捕りが禁止されていた。
違反すれば、足利義昭を奉じて上洛した時のように信長から容赦なく首を刎ねられる。
いわゆる『一銭斬り』が、今回も通達されていたからだ。
ただ、兵士達を押さえつけるのみだと暴発の可能性もあるので、信長が彼らに交替で休みを与えたりしている。
褒美で銭も配ったので、兵士達が故郷に戻る前に家族にお土産を買ったり、女を買いに行く自由を与えたのだ。
だが、それでも滞陣がつまらないのに変わりはない。
休み以外は食事くらいしか楽しみがなかったが、戦の時に食べられる物は限られている。
勿論、新地軍だけは例外であったが……。
「さあてと、飯の時間だな」
「畿内平定もひと段落した事ですし、早く伊勢に戻りたいですな」
京の郊外に張られた新地軍の陣地において、光輝、方泰、弘就、清興など首脳陣が一緒に食事を取っていた。
メニューは、雑穀飯、ワカメの味噌汁、スズキの味噌漬け、切り干し大根と高野豆腐の煮物、カブの漬物となっている。
なお、合戦中は兵士も指揮官も全員同じ物を食べるのが決まりだ。
もし他に何か食べたければ、自分が金を出して陣地に近づく行商人などから買う事になっていた。
「殿、食事が届きましたぞ」
新地軍には専門の炊事部隊がいて、彼らが全員分をまとめて調理する事になっている。
この方が燃料と食材を無駄にせず、時間も節約できるというわけだ。
炊事部隊は戦闘がなくても忙しいし、戦闘があるともっと忙しい。
光輝や指揮官達への毒殺の危険もあるから、身元と技能が確実な者しか配置されず、一般の兵士よりも給金が高かった。
一種の技能職扱いされていたからなのと、炊事部隊の指揮官は予算を預かって食料を現地調達する仕事も任される。
金を持ち逃げされては堪らないからだ。
腕っ節や指揮能力に自信がない者は、補給や炊事でも出世を目指す事が可能であった。
修行代わりに炊事部隊で銭を貯めながら働き、警備隊を辞めて飲食店を開くという選択肢もあると新地家で提案したところ多くの希望者が集まり、それも新地軍の食事の質をよくしている。
「殿、前にいただいた瓶詰を戦の時に使えれば、もっと食事がよくなるのでは?」
食事をしながら、清興が戦場食に瓶詰めを使えばいいのにと言う。
前に光輝から褒美でもらい、えらく感動した記憶があったからだ。
どのくらい感動したかというと、中身を食べて空になった瓶を後生大事にとってあるくらいだ。
清興の妻が、家で花瓶代わりに使っているらしい。
「なるだろうけど、瓶詰めは重たいからな」
それに、割れるという欠点もある。
戦場までが悪路続きだと、輸送に大きな手間がかかってしまうのだ。
「そういえば、輸送の手間を考えませんでしたな」
他にも、生産工場の建設などでも手間と時間がかかる。
瓶の材料であるガラスの生産体制も整っていないし、職人も教育中で数が少ない。
工芸品用のガラス産業を育てるのを優先しているので、瓶詰の瓶を作る人員を割く余裕があまりないのだ。
以上のような理由があり、缶詰工場と共に小規模な物は建ち上げて生産は開始していたが、当面は新地家のみで消費するか、贈答用に使うくらいであった。
軍で使う保存食は、塩蔵、味噌漬け、乾物、燻製、発酵などで対応している。
「清興、他の軍勢を見てみよ。我らは物凄い贅沢をしているのだぞ」
「そういえばそうでしたな。新地家にいると、今までの感覚が狂うのです」
清興は、自分を窘めた方泰に申し訳なさそうに謝る。
彼が筒井家にいた頃は、戦中の飯といえば干し飯と焼き味噌くらいであったのだから、それを思えば物凄い贅沢をしているのだと気がついたのだ。
「大殿が、新地軍の食事を見て驚いていらっしゃりましたな」
戦場での食事に関しては織田軍ですら似たようなもので、信長は新地軍の軍制を見てこれを真似ようと決意している。
それでも、現地での乱捕りに頼らない補給体制を確立しているのだから、織田信長という人物は名君と呼ぶに相応しい能力を持っているというわけだ。
「ただ、戦場の飯もいいですが、そろそろ新地に戻りたいですな」
弘就がそう言ったからかは知らないが、それからすぐに光輝達にも帰国許可が出た。
早速、新地軍は帰り支度をしている。
荷を纏め、全軍一斉に新地勢へと発てるように準備をしていたのだ。
「殿、それは瓶詰ではありませんか」
自分も荷づくりをしていた清興が、ふと光輝の荷物の中にある瓶詰を見つけた。
実は、試作品ではあるが光輝は瓶詰も持参していた。
自分だけが食べると不公平感が出るので、箱に仕舞ったままであったのだ。
瓶の密封は、ねじ巻式の蓋でカナガワ艦内でしか生産ができないし、コルクで栓をする方法もコルク自体が簡単に手に入らない。
そこで、日本国内でも入手可能なアベマキの樹皮を加工してコルクの代わりにしている。
蓋を開けるまで密封されていればいいので、これで十分というわけだ。
中途半端に中身を使ってから再封印すると衛生面で問題があるので、瓶詰はまだ全部密封されたままだ。
竹の子や山菜、キノコの水煮、野菜のピクルス、ビワ、山イチゴ、ザクロ、桃、瓜、杏子、ブドウなどのシロップ煮、各種佃煮、塩辛、色々な魚のオイル漬けと唐辛子漬け、肉は味噌漬けだったり、ペースト状に加工した物などがある。
試作品なので種類が多く、これらはすべて清輝が趣味で試作した物であった。
「そうだ、試食してくれって清輝に言われていたんだ」
「ですが、数が少なくて兵士達全員には配れませんな」
大きな木箱一箱分しかないので、新地軍一万人に配れるはずがない。
『特定の人だけで食べると不公平になるのでは?』と清興が心配した。
普段は光輝もそんな事は気にしないが、今は軍を率いている最中なので、自分達だけで食べてしまうのは気が引けてしまう。
「ここを発つ前に、藤吉郎殿達と宴会をする予定だから、そこで調理して出してしまうか」
光輝も織田家の家臣である以上は、仲がいい同僚達との飲みにケーション(死語)も必要というわけだ。
陣中なので酒と粗末なツマミだけにする予定であったが、味見と称してこれらを出せば喜んでくれるかもしれない。
「うん、そうしよう」
光輝は、接待で出すのだから公的な理由があると判断した。
「いやーーー、新地殿の宴会に出るといいものが出ますな」
陣払いの前に光輝が主催した宴会には、藤吉郎、一益、長秀、利家と、今回は時間が取れたという理由で村井貞勝も出席した。
藤吉郎は、瓶詰めの中身を調理した宴会料理に大喜びであった。
封を解いたら使い切るという前提の物なので、極端に味が濃いわけでもない。
新地家でも腕がいい炊事兵が調理をおこない、宴会には沢山の料理が並んだ。
「なるほど、南蛮で作られている硝子の容器に食料を保存する瓶詰ですか」
「重さと、硝子自体が高価なのが欠点ですな」
料理に舌鼓を打ちながら、一益と長秀は瓶詰めの欠点について話を続けている。
「密封している間は中身が長持ちするのですから、硝子でなくて陶器に入れて密封すればいいのでは?」
「あっ! そうか! 陶器でもいいんだ!」
光輝は缶詰や瓶詰には馴染みがあったが、保存容器に陶器を使うという発想がなかった。
前に惑星『ネオワカヤマ』の土産物屋で、壺に入った梅干しを見た時くらいだからだ。
「密封が中途半端だと中身が腐るので、大量の塩、酢、酒に漬けたりした方がいいのかな?」
少量なら簡単に作れるが、やはり軍隊で運搬、使用するとなると色々と問題が出てしまう。
これは、時間をかけて解決しないと駄目なだと光輝は思った。
「ところで、飯はないのですか?」
酒とツマミとおかずは堪能したが、やはりご飯は食べたいと藤吉郎が言う。
「ありますよ」
光輝が給仕をしている若い炊事兵に命令すると、全員に炊いた白米と味噌汁が出てきた。
「最後にご飯と味噌汁ですか。贅沢ですな」
みんな普段は玄米と雑穀しか食べないので、白米のご飯に大喜びだ。
「とっておきがあります」
続けて光輝は、いくつかの瓶詰を取り出す。
鮭フレーク、イクラの醤油漬け、イカの塩辛、ウニの塩漬け、カニミソなどであった。
「ご飯に載せて食べると美味しいですよ」
「鮭とはご馳走ですな」
貞勝は、この時代では高級品扱いの鮭に大喜びだ。
イカ、ウニなどは伊勢でも手に入るが、鮭とカニは蝦夷に船を派遣してアイヌとの交易で入手、現地で加工して伊勢に運び込んでいる。
今日子が鮭好きなので、夫である光輝が交易船と新地水軍の船を派遣していたのだ。
『まさか、鮭とカニを加工するための船を建造するとは……』
九鬼澄隆は、鮭とカニの加工と瓶詰をする大型船を給糧船だからと光輝に押しつけられ、困惑していた。
これと他の産物の取り引きをおこなっている交易船に護衛をつけ、定期的に蝦夷への船団を出している。
新地家は支払いがいいので、アイヌ達も喜んで蝦夷の産物を売ってくれた。
他にも、琉球やルソンに船を出して交易している。
交易は儲かるし、船員への訓練にもなって一石二鳥だ。
利益から船員に遠隔地手当てが出せるので、新地水軍の人集めにも貢献していた。
交易の代価は、米、琉球の砂糖、中国磁器、製造が始まったばかりのガラス製品やトンボ玉、そして私鋳した永楽通宝である。
アイヌ部族の権力者が富を誇示するために大量に保持したり、他の交易相手との取引で使ったり出来るので銭を欲しがったのだ。
アイヌ社会にも、徐々に銭が浸透しつつあった。
「ご飯に鮭の身とイクラの醤油漬けを乗せ、これに蝦夷産の昆布を使った出汁を注ぐと鮭の親子茶漬けの完成です」
「なるほど、鮭とその卵が使ってあるから親子茶漬けですか。名も味もよしで素晴らしい」
藤吉郎が絶賛した鮭親子茶漬けは、今日子の大好物であった。
これを好きな時に食べられるようにと、新地家は蝦夷との交易を開始したのだから。
これに加えて鮭を獲りすぎて減らさないよう、鮭を売ってくれるアイヌ部族に簡単な人工ふ化と放流の方法まで教えていた。
「これは最高の味ですな!」
「贅沢な気分になれます」
「まつにも食べさせたいです」
「新地殿、今日は招待していただき本当にありがたい」
宴会は好評の内に終わり、余った果物のシロップ漬けはお土産として藤吉郎達に渡した。
「ねねやカカサマが喜びます、ありがとうございました」
果物のシロップ漬けは、みんな家族へのお土産にするとの事で、大切に仕舞って帰った。
「瓶詰は商売になるけど、問題は瓶の製造だよな」
これも時間をかけて解決しないと駄目だと光輝は思いつつ、新地へと帰る新地軍と光輝であった。
「殿、大殿より文が届いております」
「何だろう?」
光輝が新地城に戻ってから数日後、正信が信長から文が届いたと知らせてくれた。
早速封を切って中身を読み始める。
「『ミツ、お前は貞勝やサル達と共に美味い物をたらふく食ったらしいな。戦が終わった後の事なので問題はないが、なぜここで我を招待するという考えに至らないのかが不思議だ……』また?」
会社の同僚同士の宴会で、社長を呼ぶ人などいないはず。
それなのにその社長である信長から愚痴を言われ、光輝は困惑してしまう。
「『ここで怒るほど我は子供ではないので、その宴会で出した瓶詰なる物をこちらに送ってくれれば問題はないぞ』ねぇ……」
まさかの主君からの要求に、それでも光輝は様々な種類の瓶詰めを岐阜へと送るのであった。
「確かに輸送では不利だな。だが、瓶が再利用できるのはいい。それにしても、この桃の砂糖汁漬けは最高であるな」
多数ある瓶詰の中で信長が一番気に入ったのは、意外にも桃のシロップ漬けであった。
そして中身を食べた瓶は、島家と同じく花を挿す花瓶として再利用したり、味噌や梅干しを入れる瓶として再利用される事となる。
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