第31話 本圀寺の変と畿内再討伐
「(あの将軍、もう死んでいればいいのに……)」
永禄十年の一月。
深い雪の中、光輝は軍勢を率いて京へと向かう。
新地、伊勢、伊賀、甲賀までは、ほぼ完成した街道のおかげで移動が早かったが、いまだに六角家の残党が暗躍する南近江に入ると、雪もあって進軍が鈍ってしまった。
光輝は、もし間に合わなくてもいいかと思っていたが。
他の将軍を擁立したら、少なくとも義昭よりはマシかもしれないと思ったからだ。
「今日子もお市も可愛い娘を産んだというのに、わざわざあのクソ将軍の顔を拝みに行かねばならぬとは……」
「殿、それを表立っては言わないでください」
傍にいる正信が、顔色を変えながら光輝に忠告する。
もし他の誰かに聞かれでもしたら大変だと思ったからだ。
「間に合わなくて死んでいても、不可抗力だよな?」
「殿、それも禁句です」
「第一、うちは伊賀の統治で忙しいんだ」
六角氏が滅んだので、新地家は正式に伊賀の支配も織田家に任された。
伊賀は山奥の田舎であり、支配しても旨みは少ないどころか下手をすると負担にしかならない。
信長は南近江の領有に集中するため、活躍している国持ち重臣にして義弟でもある光輝に、伊賀の支配を正式に任せたのだ。
『ありがたき幸せ』
光輝は大赤字だなと思いながら、伊賀上野、甲賀、信楽、大津、亀山などを繋ぐ街道の整備を始めている。
他にも、松永久秀の要請で伊勢と大和を繋ぐ道も整備中だ。
久秀は大和と伊勢の交通の便を良くし、大和を経済的にを発展させる事でいまだに滅ぼした豪族一族の残党が反抗している状態をなくしたいようだ。
いくら残党が蜂起しようにも、領民達が松永家の支配を支持しているのでは人が集まらない。
一揆や反乱で人が集まらないのは伊勢ではよくある事であり、久秀もそれを狙っているのであろう。
『伊勢を狙っているかもしれませんぞ』
『攻めてくれば撃退するまでだ』
日根野弘就が意地悪な聞き方をしてくるが、あの天下人三好長慶に重用された食えない爺さんが、そんな短絡的な行動を取るわけがない。
気をつける必要はあるが、義昭のように何でも疑ってかかるのはどうかと光輝は思っている。
「それよりも、生きているのかね? あのクソ将軍」
新地家は、工事中の街道を通って京へと向かっていた。
信長達の大軍が義昭の傍を離れたのを知った三好三人衆が四国から上陸し、一度降した摂津、河内、和泉などの豪族を引き連れ、義昭が仮御所としていた本圀寺を襲撃したからだ。
信長から摂津を任された池田勝正、伊丹親興、三好義継が奮戦したため、山城に入り込めた兵が少なく、京に残留していた明智光秀の奮戦に、浅井長政の素早い援軍もあって、光輝が京に着いた時には戦いは終わっていた。
「伊勢守殿、貴殿も間に合わなんだか?」
光輝とほぼ同時に到着した久秀が声をかけてくる。
「南近江の道が、まだ完成していないのですよ」
信長が、集めた人夫に銭を撒いてやらせているのだが、完成にはまだ時間がかかるはずだ。
光輝も人手を出していたが、新地領内の開発もあるので手助けは限定的なものになってしまう。
おかげで、甲賀郡から大津城までで予想以上に時間を食ってしまったのだ。
「雪の影響もありますしね」
小氷河期に入っているこの時代、冬は寒く雪も多い。
行軍の妨げになる事が多かった。
「雪が溶けたら大和との道も頼みますぞ。我らも人を出して大和国内の道を整備する予定なので」
食えない爺さん久秀は、今は大人しく安堵された大和国内の整備に奔走するようだ。
彼も戦国大名である以上は、まったく油断はならないのだが。
「義兄上ではありませんか」
二人で話しをしていると、防戦で大活躍した浅井長政が声をかけてきた。
長政は信長の妹を娶り、年齢が上の光輝を義兄上と呼ぶようになったのだ。
「大活躍でしたな。長政殿」
「義兄上と久秀殿も早い到着ではないですか。大規模な道を整備しているとかで?」
「間に合わなければ意味はないと思うけど……」
「本番はこれからですよ、新地殿。間に合わなかったのは、我らも同じでして」
京の危機に対し、信長は一部部隊を先駆けとして送り出していた。
その中の一隊である木下軍も到着し、藤吉郎が声をかけてくる。
「藤吉郎殿も寒い中大変でしたな。ええと、そちらの方は?」
「私の寄騎となっている竹中重治殿ですわ。大変に優れた方で、私も助かっています」
竹中重治は、色白でまるで女性のような容姿をした若者であった。
実質秀吉の家臣のようなものなのだが、形式上は両者とも織田家の家臣である。
だから、秀吉は重治に丁寧な言葉遣いで話した。
「竹中重治です。皆々様のご高名は存じております」
竹中重治は、礼儀正しく光輝達に挨拶をした。
「長政様を除き我らは間に合いませなんだが、大殿がこれで終わりにするはずがありません」
「また摂津討伐かぁ……」
三好方が攻めれば彼らに降り、織田方が攻めればこちらに降る。
そうそう皆殺しにするわけにもいかず、何度も同じ場所を攻めないといけないので面倒が多かった。
この時代の武士の忠誠心などそんなものであったが、光輝は『討伐くらい将軍が自分でやれよ』と思ってしまう。
「義昭公からのお言葉である。間に合わなかった者もいるようだが、それは摂津平定などで取り戻すようにとの仰せである」
光輝は、その使者がいい印象を抱いていない細川藤孝であった事から余計に内心で腹を立てた。
光輝には、藤孝が義昭の威光を傘に着て威張っているようにしか見えなかった。
正直、お前は何様だと思ったのだ。
「伊勢守殿は藤孝殿がお嫌いですか。彼も命令で仕方なくああ言っている部分もあるのですよ」
知り合いらしく久秀が藤孝を擁護するが、光輝は義昭主従をあまり好きになれなかった。
『お前らがちゃんとしていないから、俺達が苦労するんだ!』と思っているからだ。
「今度こそは、三好三人衆の首を獲るべし!」
更に翌日、信長も諸将と軍勢を引き連れて京に現れ、義昭に挨拶をしてから摂津へと進軍する。
『信長殿、今宵は夜の歌会があるのだが参加せぬのか?』
ただその時に、義昭は戦よりも公家との付き合いを優先し、それを信長にも強要しようとしたのでひと悶着あったらしい。
何があったのかは、二人の間に不和があると周囲に漏れると困るので秘密にされてしまったらしいが。
「かかれや!」
二度目の摂津討伐だったので、今度の信長は容赦しなかった。
降伏した高槻城の入江春景を処刑し、他にも信長に討ち取られたり、城や領地を捨てて逃げたりする国人衆が多い。
再び逃げる三好三人衆に対しても執拗に追撃を行い、遂にその中の一人筆頭格にして長老の三好長逸を追い詰める。
「かかれ!」
長逸を追い詰めたのは、近隣の地図を見ながら彼の逃走ルートを予想し、そこに軍勢を伏せる事に成功した木下藤吉郎と竹中重治であった。
長逸の家臣である板東信秀、竹鼻清範、若槻光保、江戸備中守などが次々と討たれ、最後に長逸自身も木下家に仕え始めて間もない仙石秀久に組付かれて首を獲られている。
「藤吉郎がやったな。我らも手柄首を狙うぞ!」
信長から東美濃に所領を与えられた一益も、この戦いに参加していた。
彼も、三好三人衆の一人岩成友通の軍勢を捕え、丹羽長秀、前田利家隊共にこれを追撃、直接友通の首を獲ったのは、一益の一族にして家臣である前田利益であった。
彼は前田利家の兄利久の義息子であったが実父が滝川一族なので、義父利久が前田家当主の座をはく奪され出奔してからは、滝川家に籍を置いている。
これも臨時の処置のようだが、彼が前田家に戻るのかは今のところ不明であった。
「これで、あと一人か」
信長の命もあり、織田・浅井軍は執拗に三好一族や重臣の首を狙った。
また四国に逃げられてしまうと、すぐに体勢を整えて畿内に兵を出してくるからだ。
「殿、前方に一軍あり」
「敵だろうな」
光輝も一軍を率いて進撃するが、立ち塞がった敵軍の指揮官は意外な人物であった。
「斎藤龍興か……」
稲葉山城陥落後に長島に逃げ、そこから畿内入りした斎藤龍興一行が手勢を率いて新地軍に挑んでくる。
「弘就、旧主との戦になったな」
「思うところはありますが、どうせ内応しても私は碌な目に遭いませんので」
龍興の傍には亡くなった長井道利の息子達がいて、弘就には道利が戦病死した原因があるからと、彼らから恨まれている。
降っても碌な目に遭わないと、弘就は予想していた。
「既に、私は新地家の家臣です。早く終わらせましょうか」
斎藤軍は浪人衆や一揆勢まで集めて編成されていたが、数、質、鉄砲の数でも新地軍に及ばなかった。
「伏兵など、完全にお見通しだ。あとは一気にケリをつけるぞ!」
遠距離攻撃で兵力と士気を削られたところに、島清興が指揮する精鋭部隊が斎藤軍に向けて突入。
龍興は逃げおおせたが、道利の息子三人のうち頼次と時利の首級をあげる事に成功する。
追撃を続行する新地軍は、ここで思わぬ難敵にぶち当たる。
織田方である池田勝正の家臣であった荒木村重、中川清秀、高山友照・右近親子が率いる連合軍と戦いになったのだ。
「強いな……」
全員が優れた武将のようで、新地軍は数が多いにも関わらず戦況は膠着状態となった。
新地軍は行軍速度を優先して大筒を持ってきておらず、摂津衆は銃撃を防ぐための竹束製の盾を準備、地の利を生かして損害を極力減らす戦法に出たからだ。
それでも、絶え間ない鉄砲の射撃と矢が新地家の特徴である。
新地軍側には損害がほとんどなく、粘りながらも徐々に損害が増していく摂津国人連合軍は、崩壊する前に巧みに兵を退いた。
「逃げられたか……」
戦場は摂津のみならず、河内と和泉にも広がっていく。
全体的な戦況でいえば、織田方が多くの三好方一族、家臣、従っている国人衆を討ち、その城を落とし奪っている。
柴田勝家により三好三人衆の最後の一人三好政康が討たれ、三好政勝、三好康長、篠原自遁、安宅信康、細川真之などの一族、有力家臣達も後を追った。
その他家臣、兵の損失も多く、三好三人衆と並ぶ実力を持つ篠原長房が信長と和睦を行って四国に撤退する。
多くの一族重臣を失い、三好家は暫く畿内に手を出す余裕をなくしてしまう。
だが、畿内にはまだ織田家に逆らう国人衆や寺社勢力などもあり、畿内の安定にはまだまだ多くの時間を必要とするのであった。
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