第2話 地下施設崩壊
オオカミ少女と呼ばれる私の話は誰にも信用されず,事件は事件として処理されなかった。集落の大人たちのなかには私が芽虹里に何かしたのではないかと言う者さえあったが,母と芽虹里の祖父だけは私を信じてくれた。芽虹里の祖父は,あの日交通事故に遭って病院に運ばれた私の見舞いに来てくれた。そのとき初めて芽虹里に両親がいないことを知ったのだ。幼くして父母を亡くした芽虹里は,クラスの誰よりも悲しくて寂しかったはずなのに,誰よりも明朗で努力家だった。私はそれまでの己を恥じ,一念発起して勉強にもスポーツにも精を出した。
そして15年が経過した今,私は戻ってきた。FBIの捜査官となってザンバリーネ怪道に再び立っている。コートに忍ばせた拳銃に手をやって足を踏みだした。ブーツの踵を高く打ち鳴らしてみせる。
集落は都市化が進んだが,この林だけは何もかわらない。そうだ――確かこの辺りで落武者と遭遇したのだ。
「去ね――去んでしまえ」途切れとぎれの掠れ声がようやく聞きとれた。すぐさま振り返り,周囲を確認する――
もつれあって枝垂れかかる樹木の間隙に小さな影を認めた。近づこうとすると逃げていく。
「待って!――おじいさんなんでしょ。私を助けてくれたおじいさんよね」
影が立ちどまり,ため息のような声を漏らすなり,啜り泣きをはじめた。
「ずっとお礼を言いたかったの。私を助けてくれてありがとう。よかった,生きていてくれたのね。あのあとは大丈夫だった?」
啜り泣きが号泣にかわった。「済まない――申し訳ないこって――」
「ねえ,おじいさん――芽虹里はどうしているかしら? 私と一緒にいた男の子よ。元気にしているわよね?」
泣き声がぴたりとやんだ。
「おじいさん,ねえ?――私,そっちに行っていいかしら?」
「いけねえ!」声を振り絞り,懇願するように叫ぶ。「わしは何にも言えねぇし,危ねぇ目に遭わないうちに去んでおくれでないかい」
「お願いよ,力を貸して。おじいさんだって,息子さんのしていることをやめさせたいと思っているのでしょう? 15年前の事件について誰も私の話を信用してくれないの。一緒に警察に行って証言してちょうだい」
「そげなことしたって揉み消されるだけじゃがね。警察は飼い犬だけん。うちの子の組織の飼い犬だ。あの子の組織はでっけぇよ。人体実験してるおっかねえ組織だ」
「人体実験ですって?」
「ああ,そうさね。嬢ちゃんの友達も人体実験されて――」
「おじいさん?」
背後に気配を感じた――しまった! 油断していた。拳銃を取りだそうとするが,間にあわない。振り向きざまに湿った白布を口元に押しつけられる。
黒目がちな両眼,細い鼻筋,薄っぺらな唇,異常にこけた頰――鳥肌が立った。いけ好かない顔面に肘鉄を食らわした。
男が後方によろめいた。
「まだクロロホルムなんて使っているの? 古いわね――免疫ができているからきかないわよ」
男が革製ジャケットのポケットからスタンガンをつかみあげた。
「それも古いわね。イカれた組織は何処にでもあるものなの。例えば,高電圧の攻撃を加えた相手に,増幅した電圧を伝導する人体――うちの組織では既にありふれた改造技術よ――試してみる?」そう睨みつけて接近する。
男は蒼白になって逃げだした。
「待ちなさい!」拳銃を身構えたが,体あたりされる。落武者だ――
「やめてくだせぇ――命だけは助けてやってくだせぇ――わしはどうなっても構わんけん。ですけん,この老いぼれの命と引きかえに,あの子の命だけは――後生ですけん――」皺まみれの皮と骨だけの小さな身体で取り縋ってくる。
「おじいさん――私を信じて。これは麻酔銃よ」ゆっく老人を地面に座らせ,狙いを定めた。
命中した。男は弾け飛んで,落ち葉の吹き溜まりにダイブした。老人が悲鳴を発して息子の名を泣き叫んだ。大丈夫だからと落ち着かせ,男のもとへ走り寄る。
「プログラムの消滅を指示する」ぼそりと呟き,男は気絶した。
木立の一角から爆裂音があがり,降り積もった落ち葉が噴き飛んだ。立て続けに雑木林の方々から地響きが生じ,次々と爆発が起こった。大地が揺れ動き,大気が乱舞する紅葉に埋め尽くされていく。
「あの子が,あの子が,地下施設を破壊してしもうた」
芽虹里は――芽虹里は――「地下施設のなかにいるの!」
老人が力なく頷いた。「その子も,ほかの子もぎょうさんおった……」
そんな――そんなことさせない。
地面の亀裂に飛びこんだ。爆風に押し返され,樹木の幹に叩きつけられた。
体内から突きあげるものがあった。大量の血液を吐いた。内臓を潰したかもしれない。視線を落とすと,腹部に直径5センチほどの木枝が突き刺さっていた。
どうしても動けない。何と無力なのか……
「そんなことない。助けに来てくれると信じていたよ」
振り返るとそこには見知らぬ青年が立っている。
「薄情だな――分からないの,僕だよ」
「あんた――芽虹里なの!」
眼前の屈託のない笑顔が,記憶のなか芽虹里のそれと重なった。
「噓――何で,茶髪のロン毛なの。おまけに背丈まで伸びちゃって。何,どこのブランドのスーツなわけ? そんなのダサいあんたじゃないわよ」
「僕だってイケメンにくらいなるさ」
「さすがに耳ピアスはキモいけど」
「耳ピアスじゃない。所謂,通信機さ。10年後の未来ではみんなが普通に使っているものだよ」
「10年後の未来?」
「僕らは人体改造されて未来と過去とを往来する任務を課せられている。時空の流れのなかで数多くの仲間が灰塵のように消えていった。辛く苦しい任務だ。僕らは飼い慣らされた振りをして,未来に反乱軍の基地を秘密裏に構えた。残す問題はこの世に管理される生命拠点体を未来に移送することだ。生命拠点体を時空をこえて移動させるためには強力なエネルギーを燃焼させる必要がある。たった今,生じているような爆発的なエネルギーをね」
「それってつまり――」
「ああ,そうさ。君が来てくれたおかげで,僕らは生命拠点体を移送するためのエネルギーを得られたのさ」芽虹里の全身に靄がかかり,その姿がかすんでいく――
「芽虹里?――」
「仲間が呼んでいる。もう行かないと……」
「ねえ,あんたは過去と未来とを往来できるんでしょ? だったら過去に戻ってあの日をかえられるんじゃない? 2人ともザンバリーネ怪道に入らないようにすればいい!」
「それは……」悲しげに微笑む。
「何でよ――何でできないのよ!」
「今から大事な任務が控えているからね。絶対に僕が,果たさなければならない使命だ。僕らは自身の存在や組織の下僕となった同類を消すために未来へ行く。時空超越体が消滅することで,人類は時空を超越する力から解放されるのさ。時空を超越する力は恐ろしい。権力者によって過去の歴史が塗りかえられ,人々の自由と尊厳は蹂躙されてしまうのだから」芽虹里の影が乱れ,輪郭が歪みながらぷつりと消えた。「さようなら,本当にありがとう」その声も爆風にさらわれてしまった。
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