紅のザンバリーネ怪道

せとかぜ染鞠

第1話 ザンバリーネ怪道

 また遅刻しそうだ。今度遅刻したら,ママを学校に呼んで注意すると言われているのに。そんなことになったら,1人で私を育てるために夜も昼も働いているママに迷惑がかかる。どうしよう……

 ビニールハウスの連なりに影を落とす木立が曇天の下に広がっている。

「ザンバリーネ怪道かいどうを行くしかないな」学級委員の芽虹里めぐりが背後に立っていた。

「もしかして――遅れたの! 5年7箇月無遅刻無欠勤のあんたが?」

「好きなアニメが遅くまであって……」頰を赤らめて野球小僧にありがちな頭を搔いたが,表情を引きしめ,私の手をとった。「まだ決まったわけじゃない。模範小学生の名を返上するつもりはないから!」そう言ってビニールハウスの列のなかに走りこむ。

「ちょっと,あんた――マジでザンバリーネ怪道を行くつもり!」

 返事のかわりに鼻先だけを後ろに向けて親指を立ててみせる。

「噓……」

 ザンバリーネ怪道を使えば,10分の時間節約が可能だとか。もちろん余裕で遅刻を回避できる。

 だが,ザンバリーネ怪道には落武者が出るそうなのだ――

 ザンバラ髪を振り乱し「ね,去ね」と喚きたてながら通行人の行く手を阻むために,その林道は「ザンバラ去ね怪道」と呼ばれるようになった。そして,いつしか4番目と5番目の音が連声れんじょう現象を起こし,今では「ザンバリーネ怪道」という呼称で罷り通っているのだ。

 ハウスとハウスとの間を抜けて林道に入るなり,ぞっとするような寒気と静寂に襲われた。

「芽虹里,やめようよ」

 2人の足音だけが周囲に響いていた。アスファルト舗装の道路が砂利道に切りかわり,ぬかるんだ赤土の凸凹道へとかわった。

 突然,芽虹里が足をとめる。話しかけようとすれば,「しっ」と指を唇に押しあてる――

 タッ,タッ,タッ,タッ――足音が聞こえる! 背後から誰かがついてくる!

「絶対振り返るなよ」2人だけに聞こえる囁き声で言ってから,芽虹里はまた走りだす。前のめりになって猛スピードで駆けていく。徒競走の部で6年間優勝という不動の地位を築いてきたスポーツ万能少年の足についていけるわけがない。

 2人の手は離れ,私はこけた。

真生まき!」駆け寄った芽虹里の視線が私を通り過ぎ,そのまま釘づけになった。

「去ね,去ね――すぐ引き返せ!」

 振り返ると奴がいた――

 頭頂部は禿げていたが,黄色がかった白髪を振り乱し,甲高い声で伝説どおりの文句を連呼してくる。おまけに甲虫みたいな甲冑を身に纏い,赤く朽ちかけた鍬で虚空を「☓」の字に切り裂きつつ,腰のひどく折れ曲がったありさまで迫ってくる!

 私たちは一目散に逃げだした。

「去ね,去ね! 去んでしまえ!」

 何度振り返ってみても落武者がそこにいる。決して追跡を断念しようとしない。

「いけん! いけんのじゃ! 引き返せ!」

 ぎゃあああぁぁぁ……

 とりが断末魔の叫びを発したかのような声だった。

「何よ,今の――ねえ,芽虹里,今の声は何」

「振り返っちゃ駄目だ」今にも吐きだしそうなものを懸命にこらえるみたいな顔つきで,同じ言葉を繰り返す芽虹里の手が震えていた。走る速度も徐々に落ちていく。

「芽虹里,芽虹里――芽虹里ってば!」

「振り返っちゃ駄目だ」

「そうじゃなくって!――」私は手を振り解いた。「おかしいと思わない? 絶対おかしい。もうとっくに林を抜けていていいはずよ――迷ったんだわ!」

「そんなはず……」芽虹里が振り返るなり,両眼を押しひらき,何か怒鳴った。私は彼に突き飛ばされて林道の枯れ葉のなかに埋まった。

「何すんのよ!」顔をあげれば,芽虹里のそばに男がいる。黒いフェイスシールドをつけた長身の男が,携帯電話に似た器具を芽虹里の首筋に押しあてているのだ。器具の先端から青白い光が照射され,男の腕に捕らわれた小さな体が激しく痙攣した。

「逃げろ,真生……」弱々しい声だった。「お願いだから……助けを呼んで……」その頰を流れる涙が,真っ赤に染まる落ち葉に滴る瞬間を,低速度再生のように眺めていた。涙と同時に芽虹里の体も吹き溜まる紅葉のなかに落ちた。紅葉が八方に飛んで周囲が紅に染まっていく……

 芽虹里の頭の上をまたいで,男がこっちに来る。駄目だ,足が立たない……

「去ね! 去んでしまえ!」落武者が背後から男に飛びついた。男が振り落とそうとするが,猿みたいにしがみつき,決して離れようとしない。額から鮮血が流れ,顔面全体が真っ赤だ。

「父さん――いい加減,僕の研究を邪魔するのはよしてくれ。今度こそスタンガンを使うよ。老いぼれた身にはこたえるのさ。間違いなく死ぬからね」

 落武者の目からとめどなく涙が噴き流れた。「去ね――嬢ちゃん,去んでくれ」

 無我夢中で駆けた。何処をどう走ってきたか分からない。木立の途切れたところでトラックにぶつかって意識を失った……

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