Counter love attack

ぐいんだー

Counter love attack

 学校で自己紹介をする時、大抵出身校だとか前に何の部活をやっていた、若しくはこれからやるつもりだとか。後は無難に好きな食べ物、テレビ、漫画やらその他自分と他の人が持つ共通の話題で交友関係を築き上げる。


 女子高生であるなら尚更そういった話題に適したような趣味をいくつか持っておかないとカースト下位に属す事になってしまうので常にアンテナを張って置くことによって安定した地位を獲得することが出来る。でなければクラスでは浮いた存在になり、クラス替え迄か、はたまた卒業迄の間、酷く退屈で寂しい学生時代を送ることになる。別に孤立するだけならそんなものだけど一番厄介な状況である虐めに発展してしまうと八方塞がりになる。


 私のクラスにいる小野坂おのざか 小春こはるは虐めを受けている。別にトラブルを起こすような問題児では無いし、人の愚痴を吐いたりして反感を買ったりでも無い、少し臆病で普通の女の子。たまたま席替えの際に隣の席になった時に少しだけ喋ったが特につまらない訳でもなくて寧ろ積極的に話を盛り上げようとする所を見るに私のような人種とは違って見え、明るく健気な姿が眩しくて直視出来なかった。


 だからこそ何故虐められるのかわからなかった。そして風の噂で聞くに多分嫉妬だったわかると呆れて乾いた笑いが出た。


 女子の私でさえ目で追ってしまうくらい容姿が整っており、生まれつきの茶髪に綺麗に少しパーマのかかったボブカット、私より背が小さく145以下だろうか。そして庇護欲を煽るようなぱちくりとした目。学校の男子が挙って告白しに来ては玉砕してる中、破局するカップルが増えたのは彼女の所為だろう。


 それだけなら良いのだが本人は無自覚に男子がときめくような言動をするため尚更質が悪い、造り笑顔や振る舞いをして必死こいてるカースト上位の女子達に目をつけられ良くないことを囁かれるのは必然だ。


「ねぇねぇ聞いた? 小野坂さんまた男子を家に連れ込んでヤったらしいよ」

「マジ? 顔が良いからって食い散らかすの大概にしとけって話しよねぇ」


 公然と大声で下品に喋っているのは小野坂に聞こえるよう態とやってるのだろう。当の本人は聞こえてないフリをしているのか本をペラペラと捲って耳を傾けることもしない。


 彼女が孤立している中、私はつまらない話に相槌を適度打ち、空気を合わせてると馬鹿馬鹿しくなる。けれど小野坂の様になりたいかと聞かれれば首を横に降るだろう。

 彼女は鈍感でも無いし至って普通の女子高生だから自分が周囲からどう扱われてるのか理解してるからもうクラス内で誰かに話しかけに行ったりすることなくいつも独りだ。針のむしろにされてどんな気持ちかは想像出来るし中学時代の自分に重なるようで見ていてキツいが助け舟を出す事によって救われると思わない。


 実際私もいじめに合っていたので彼女に同情する。クラス中で無視や罵詈雑言を受けてれば人間が嫌いになる。そんな苦しさを味わって以降、自分以外は比較的どうでも良くなっても人は集団で生きる社会性の強い生き物だと絶望する。当たり障りない人生を送るために多少の不便をかけるが最善の選択だと学んだ私はクラスに無理やり溶け込んでいた。


 イジメは何処でも起きるし至って普通だ。出る杭は打たれる。飽きられるまで精神をすり減らすのは酷だ、でもそれだけで済むなら万々歳だ。事件に発展すると非常に面倒臭い。虐めの主犯は報復をしようと企む執着心の強い奴が一定数いるだろう。だからせめて小野坂が反抗せずトラブルの無い、弱き者と強き者の構図が適度に保たれた関係が続けばさぞかしマシだと思った。だがクラスの女王様は彼女をお気に召さず徹底的に叩きのめすつもりだった。




「小野坂さーん、これ小野坂さんのでしょー?」


 教卓の前に立っているのはカースト上位グループを仕切っている中山朱里なかやま あかりだ。如何にもギャルという風貌で風紀を乱しに乱している女で現像した写真をぴらぴらと片手を掲げて皆に見えるように見せている。こいつも小野坂に恨みをぶつけているらしいが元々の性格故に彼氏と別れたのだと思う。だから八つ当たりなんだろう。


「うわっ、またかよアイツ」


私の隣にいる高校一年の頃に仲良くなり未だに友達として接してくれる唯一の友人である磯山純いそやま じゅんがヒソヒソ声で言った。


「首突っ込んでも痛い目見るよ」


 こいつは割と正義感の強い奴で一学期の最初のグループが形成された後で馬が合わなかったのか孤立した子だ。大方女子グループの陰口パーティーに嫌気が刺して一人を選んだのだ。その割に交友関係は広く謎が多い。


「んなの分かってるよ。ただ見ていて気持ちが良いとは言えねえな」

「……」


 同感だ。もしも絶対的権力や人望があるなら今すぐ声を上げてあの憎たらしい顔を捻り潰してるだろう。けどそんなことをしたら私もターゲットになるのは火を見るより明らかだった。反応しない小野坂に青筋をたててそうな顔をした中山は席まで移動して拳を振り上げたので思わず飛び出しそうになるがドンッと机を叩いて脅かしただけらしく、緊張の糸が解れた。

 ワイヤレスイヤホンを外した小野坂は本をわたわたしながらたたみ、首を傾げて中山の方を恐る恐ると見た。


「ひっ……えっ……と、何でしょうか」

「はあ? とぼけんなよ。ぶりっ子しやがって。まあいいや、これなんだけどさぁ、この間歓楽街の方で小野坂さん見て撮ったんだけど隣にいる汚いおっさんと何処行ってたのかなぁ」

「か、歓楽街ですか? そんな所に普段行かないので人違いでは……」


 戸惑っているのは無理もない。多分中山がクラスのオタクグループを脅してコラージュした画像なのだろう。毎度毎度下らないなと思いつつ止めもせずただ傍観に徹していた。


「嘘こくなよ、どうせ毎日色んな男とラブホでも行ってんだろ? この淫売が! いつものように腰振ってみろよ? あんっ! あんっ! てさ」


 ギャハハハハハハ!!! と馬鹿みたいに腰を振って、いつにも増して口汚く下品に笑ってる取り巻きと猿女を見ているとうんざりする。小野坂は涙声で「そんなこと……してません」と言っているがそれはただ奴らを増長させるだけだ。ニヤニヤと笑い何か思いついたように教室の隅っこにいるオタクグループの方に声を張り上げた。


「ねぇ真辺はこの女抱いて気持ちよかったあ?」


 クラスのオタクグループに所属してる真辺まなべ 海斗かいとは急に話を振られキョドっていた「え、あ、あのぼくはそんなこと……」と小さく途切れ途切れで話すので中山が「あぁん? うっせえな、黙って頷いとけよクソメガネ」と追い詰めるので首をブンブンと縦に降っていた。


「ほらやっぱりクソビッチじゃん! 金払えばヤれんだってよぉー」


けれど周りの反応が芳しくなかったので中山は不満そうに舌打ちをして今度は小野坂の席に直接行き腕を掴んだ。


「な、何!? 痛いよ中山さん!」

「あんた達も手伝え」


取り巻きたちは小野坂を囲み両腕を拘束した。


「やめっ……て! いっ……」


 小さな体で僅かな抵抗をしたが、手を出されるとは思っていなかったのかパチンと頬を叩かれた瞬間大人しくなった。目を逸らしたかったがこいつが何を仕出かすかわからない為、私は苦痛に歪む彼女をじっと見ていた。取り巻きに抑えられた小野坂は真辺の席まで無理やり運ばれ、座っている真辺は立たされた。


「おい真辺、コイツにキスしろよ」


 クソ女め。教室内にいる男子は振られた腹いせなのか、それとも興味本位なのか誰も止めようとせず寧ろ「羨ましい」とか「ビッチならできんだろ」とか好き放題に言ってる。見てられず廊下の方に行って教師を探すが居ない。まだ5分ほど休憩時間があるため来ないのだがそれでも頼りならない教員達にイラつく。だから私は仕方なしに嘘を吐いた。


「先生来たよ!」


 流石に現場を見られれば此奴らも面倒な事になると理解してるはずなので中山達含め囲んでいた男子たちは散り散りになる。中山達は「クソっ、続きは今度してやるから楽しみにしておけよ」と言い自分の席へと戻った。小野坂は涙をゴシゴシと拭いて教室を出ていった。休み時間が終わり次の時間の教科担当の教師が珍しく誰も席を立ってないと大層喜んでいた。


だが小野坂はいつまでたっても戻っては来なかった。




 放課後になり部活動に所属していない私は机の中に溜まったプリントをスクールバックに押し込み早めに帰って犬の散歩にでも行こうかと席を立った。がやがやとうるさい教室内で何となくでつるんでる連中達の方へ行くのも面倒でさっさと教室から出て階段の踊り場に差し掛かった時だった。


「なあ水谷」


待ち伏せでもしていたのか中山に肩を組まれ人目の少ない隅っこに連れられたので身体が強ばった。取り敢えず用が何であれ平身低頭で対応することが大事だ。


「えーっと……どうしたの? 中山さんが私に話しかけてくるのは珍しいよね」


愛想笑いで刺激しないよう慎重に対応しなきゃ。


「あー……ははっ、お前もしかしてアタシのこと馬鹿にしてる?」


何をどう思ったらそうなるんだ。こいつのキレどころ分からず次に何を言っても怒りを買いそうだ。黙っていると中山は私の肩に回した腕に体重をかけ耳元でドスをきかせた声で囁いた。


「惚けんなよ、お前今日教師が来たって嘘吐いただろ」


バレた? いやもしかすると中山が当てずっぽうで言っている可能性もある。それとも小野坂に飽きて新たなターゲットなのか。こいつに目を付けられるならあの時何もしなければ良かった? いや、そんなことを考えるよりこいつが納得するように話しを捏造しなければ。


「あーあれね。近くまで先生来てたんだけど忘れ物でもしたみたいで戻って行ったんだよね」

「へぇ〜でもなんか男子たちに聞いた話と違うなぁ。先生廊下にいなかったって言ってたけど」


迂闊だった。男子たちもこいつに丸め込まれていたのを忘れていた。


「水谷さんの嘘、許してあげるよ」


 打って変わってこいつはにんまりと気持ち悪く口を吊り上げた顔を私に向けてきた。その理由はわからないが嫌な予感がする。


「その代わりにさ、小野坂のスカートの中の写真撮ってきてよ」

「えっと……何故?」


一瞬言ってることの理解が出来ず思わずそういった趣味でもあるのかと疑った。


「裏掲示板に流して遊びたいからさぁ」


 そんなわけもあらず、悪意に満ちた顔で聞こえの悪い事を言った。裏掲示板、確か匿名で書き込めるサイトでうちの高校のスレッドがたっているという噂は聞いたことがある。主に愚痴や陰湿な陰口を共有をするのに使われているが未だに教師に情報が流れてないところを見るに大きな問題を起こしてないのだろう。


 こいつが小野坂の写真を流すことによって波紋を呼ぶのは目に見えていたが今朝の出来事を思い出して私は黙って頷くことしか出来なかった。従わなければこの教室に安全地帯が無くなる。天秤に掛けるまでも無いんだ。私は降りかかる火の粉をぱぱっと払うだけで良い。


「じゃ、よろしくねえー」


 中山から解放された後、考えることを後回しにしてとぼとぼ歩いて昇降口につくと見知った人物がいた。今、中山の次に会いたくない人間、小野坂だ。


 放棄していた思考が悲鳴を上げながら板挟みで動けない状況の私を更に押しつぶそうとする。。結局放課後まで何処にいたのか、何故まだこの子はここにいるのか気になった。この子も確か帰宅部のはずだが待ち人でもいるのか靴を履いたまま座っていた。理由を聞きたいし大丈夫か心配だ、けど小野坂に声を掛けるのを躊躇った。情が移れば私は小野坂を無視できないから。私は小野坂を視界に入れず自分の靴箱を開けた。


「あ、水谷さん……」


 か細い声は無視できないくらい悲しみに満ちて私の心臓にキリキリと痛みが走った。あぁ、だってこの子は私を正義の味方だと思ってる。助けなきゃ良かった。等の前に私は間違いを犯していたみたいだった。


「……帰り?」

「うん……水谷さんも?」

「ちょうどね」

「そっか」


 虐めの標的である小野坂とそれを傍から見てるだけで加担してるのと変わらない私という関係が隔たりを生み空気を重くしていた。


(……気まずい)


 上靴を入れローファーを出して履くまでものの数秒のはずなのに異様に長く感じる。履き終わって昇降口から出る短い時間の中私は迷った。私の一言で関係性はいくらでも変えれてしまう。またね、と言えば小野坂の側。なにも言わなければ私は……。振り返れば小野坂は私の方を見ていた。綺麗で不安に揺れてる瞳。その瞳は私を貫き選択を急がせ、私の纏まらない思考を遮るように小野坂は口を開いた。


「水谷さん」

「な、なに?」

「またね、水谷さん………………それと、ありがとう」


小野坂は見たこと無いような笑顔で最後に呟かれた言葉は呪いの言葉のように私を縛った。今日の空は何色だったのだろう。


 翌日、再度取り巻きの連中から通達され明日の朝に写真を渡せと言われる。つまり今日の放課後に接触して撮らないと吊るされるわけで、考える時間もなく無理難題を押し付けられた。小野坂とは確か同じ電車だったはずなので上手く活かして撮らないといけない。


 小野坂が教室を出た後少し時間を空けてから私も同じように出る。駅まで尾行をするのは良いがこの時間帯だと生徒が疎らで隠れて撮るのは難しい。後ろからそっと下からスマホで撮るのが確実な方法だが住宅街なこともあって近所の人に見つかる可能性が高く迂闊に撮れない。しかも駅に近づくに連れ人が多くなり結局ホームまで何もせずただ着いていくだけだった。


 電車が到着しどうしようか考えていると天啓が降りた。小野坂が座っても立っていても使える策だ。同じ車両に乗り込み小野坂は席に座ったのを確認し隅っこの方で肩掛けのスクールバックにスマホを這わせる。


(ごめん小野坂)


そして態と片手に持って座っている小野坂の前に立った。私が来たことに気が付いた小野坂は最初どう接すればいいのか分からなさそうに視線を彷徨わせていた。私に対しての警戒心は多分合って無いようなものだが、自然に振る舞う為に私は彼女に話しかけた。


「よ、奇遇だね」

「うん、同じ電車がなのは知ってたけど一緒に帰るのは初めてだね」


 話しかけられて嬉しいのかニコニコと返事をする彼女を見てると今すぐにでもこんなことやめた方がいいんじゃないかと葛藤が生まれ手が震える。写真を撮るのは難しいと判断し録画を回しているが角度的にスカートの中が映って無さそうだし後々言い訳出来るだろう。あと2~3駅程で降車する間適当に話しをして上手く撮れなかったことにすれば良い。

 だが私は失念していた。私の通学に使っている電車、実はこの先くねくねと蛇行する場所があり吊革に掴まらないと転びそうになるくらい揺られる。けど中山に対する言い訳や逃げ道の事を考えていたせいで忘れていたのだ。そして思考を割かれている私は当たり障りない会話をしながら考えに耽っていたため小野坂が静かになったことに直ぐ気付くことが出来なかった。


「嫌だよね……私と話すの」


 突拍子もなく言うので我に返って先程何を話していたか思い出そうとしたが何を言っていたのか覚えてないくらい適当な返事をしていたせいで落ち込ませてしまったらしい。


「いやごめん、ちょっと考え事してて……」


 眉を下げる小野坂を立ち直らせるために色々フォローして言い訳を述べていた。そんな必死さが伝わったのか綻んだ小野坂は再び控えめながらも口を開いた。


「そうなんだ、ごめんねなんか勘違いしちゃって」


虐められている人間は気苦労が多く人との関係に敏感になりがちだから仕方ないと思う。


「……あのね、初めて水谷さんと喋った時のこと覚えてる?」

「覚えてるけどそれがどうかしたの? というかたった三ヶ月で忘れる程記憶力悪くないんだけどね」


 あの時はまだ水谷が孤立する前の2年になって1ヶ月目あたりの時だ。隣の席になった小野坂はとは最初全く喋る気は無くただの同じ教室にいる男子が好きそうなゆるふわっぽい子という印象を抱くだけで興味は無かった。


「……そう、だね。あの時の私すごく緊張してて色々ドジしてたから迷惑かけちゃって申し訳なかったって思ってるよ。でも水谷さんは嫌な顔せず……んー、ちょっとは嫌な顔してたかな? けどいつも助けてれてたから優しい人だなって思ってたけどやっぱり今でも変わらないね」


 あれは助けたというより見ていられなかっただけだ。教科書を忘れ運悪く教師に指されたり、試験中シャーペンの替芯を出さず書けなくなって涙目になっていたり、体操着を忘れオロオロして移動しなかったりととんだポンコツ女で見て見ぬ振りをすればするほど何かやらかすので仕方なく手を差し伸べていた。またその頃は虐めが苛烈ではなく私も普通に接することが出来ていたというのもある。だから私に優しいなんて言わないで欲しい、これから裏切るような事をしようとしていたんだから


 そんなことに気を取られていたためか蛇行ポイントまで後数秒。私は吊り革を掴みもせず小野坂に言いようのない気持ちをを抱いていると、電車の車輪とレールが擦れ合うと同時に私達の乗っている車両と前後の車両がうねるように揺らし吊革に掴まっていなかった私は前にツンのめって小野坂に覆いかぶさった。すんでのところで両手を前に出したので、頭が小野坂にぶつからなかったのか衝撃が来ることはなかった。ただ唇にふにふにと何か当たっている、まさかと思いそっと目を開けると私の目線と同じ高さに小野坂のまん丸と開いた目と合った。


「ご、ごめん!」

「……ぅん」


 急いで離れたのは良いがまだ若干この悪路は続くためバランスを崩しかけ上に伸ばした手がつり革を掴んだ。そっと視線を小野坂に向けると俯いて黙っている。とんだアクシデントだ、多分小野坂も目を開けていたから何が起こったのかはわかっているはず。


 ガタンゴトンと疎らにいる生徒達を揺らしながら進む電車。私達が黙ると人が身じろぐ音や咳、マナーモードを忘れたのか鳴る通知の音がよく通る。一体どのくらい時間が経ったのか、後何駅で降りなきゃ行けないんだろうか。背中に汗が伝って気持ち悪く、固まったまま身動き一つしない私はまるで地蔵のようだった。


「あの……」


小野坂のか細い声が私の耳に入るだけで私の頭は冷静さをかき乱される。


「えっ、あ……ど、どうしたの?」

「私そろそろ降りるので……」

「……あっ! ご、ごめんね、今退くよ」


 私は座っている小野坂の前から退くとおずおずと席を立った小野坂は私の横を通り過ぎてドアの前に立った。声を掛けようとしたと同時に電車は駅に到着しドアが開いた。小野坂は「またね」と言って早足で振り返らずに降りていった。すれ違った時頬を赤く染めた理由は私と同じだったのか、その日の夜は妙に冴えた頭を勉強に使いもせず本棚から引っ張り出したホコリっぽい恋愛小説を読み耽っていた。胸のこの窮屈さはずっと続いたままだった。




寝不足気味の目を擦りぽけーっと通学路に沿って歩いていると後ろから「よっ」と言われ磯山が片手を上げてる。


「おはよう、って眠そうな顔してるけどどうした?」

「んー……ちょっと悩み事」


眠くなる様な陽気がさらに眠気を加速させ歩きながら眠りそうだ。


「ふーん……恋愛か?」

「はっ、はぁ!? 違うけど……」


嫌に鋭いこいつのツッコミに頭の中を覗かれてるのか、テレパシーなのか、それともに気づかぬうちに漏れていたのか。


「お前キスマーク付いてるぞ」

「へ? 嘘!?」


わたわたとしていると思いっきり笑われた。


「いや冗談だって」

「はあ!? あんたねぇ」


 コイツぶん殴ってやろうかと拳を握りしめたが身長と力を鑑みるとこっちにとっては分が悪いので諦める。というか乗せられてた私も私だ。そもそも小野坂とキスしたのは、その……く、唇であってキスマークが付くはず無いのだ。磯山の罠にまんまとかかってしまうくらいに心を乱されてるのは、小野坂のことを好いているのだろうか。


「でもその反応、もうやることやってるってことか」

「そ、そんなわけないでしょ! したのはキスだけで……」

「ほお、キスはしたんだなキスは」

「あぁぁぁ煩い煩い!そうよ! キスしたわよ! ただ事故でしちゃったってだけで別に好きとかそういうのでは無い…はず」


今日は嫌に口が滑る。そういえば朝ごはんは何だったっけ。何も考えが纏まらなくて話すのすら億劫になってくる。


「はずってなんだよ。それ絶対好きなやつじゃん」

「どうなんだろう。でも好きなって良いのかわからない人」

「なんだそりゃ」

「あんまりこの話したくない」

「一応恋のキューピットととして活躍してるから」

「あっそ……」


 求めているのは小野坂じゃなく平穏だということを努々忘れないようにしてるつもりだが何度も電車でのことが頭に過ぎっている。横でぺちゃくちゃと話している磯山の話しなんか全く入ってこず、結局小野坂の事を払拭することが出来ないまま学校に着いてしまった。


 2年生になって随分経ち階段をのぼることを忘れて前の教室に行くことは無くなっていた。真っ直ぐにつまらない教室を目指す。

 教室ではいつもの様に端っこでオタクグループが固まり身を縮こまらせて趣味の世界に、カースト上位陣は前に陣取り煩く喋り、私と磯山を含め他4人の小さなグループはクラスで焙れないよう薄っぺらい会話をする。小野坂はその中で一人ぽつんとしてる。教室に入っても小野坂と顔を合わせるでもなく挨拶も交わさない。それはいつも通り。


 だから私はいつも通りに小野坂がちょっかいを掛けられてるのを視界の端っこに捉えてるだけで何もしない。彼女が困っている顔をしてる。彼女が傷つく様な言葉が投げかけられる。彼女の表情が歪む。彼女の頬に手が伸びる。ギャラリーの中に止めるやつなんて誰もいない。バチンと音がした、だが伸びたその手は彼女を痛めつけることはなかった。


「……オイ、何すんだよ水谷」

「……」


 私は取り返しのつかないことをしたかもしれない。ただそれでも衝動が抑えられずに身体は前に出ていた。取り巻きたちは固唾を呑んで見守り、チラッと先程までいた場所を見ると磯山はいつの間にかいなくなっていた。あいつを巻き込んで少しでもヘイトを分散できればと思っていたが私にはこの教室に一人として味方はいないようだった。助っ人が消えたのは予想外だがもう後には退けない。中山を睨みつけると嘲笑うように私の腕を振り払おうとした。


「水谷さんって本当にバカなんだね。大人しくしてればよかったのに正義の見方ぶって一緒に破滅していくって、惨めすぎて見てらんなーい。まあでも私の指示に従っててもおもちゃにするつもりだったからどの道変わんなかったかもねー」


私は掴んだ腕を振り払い中山に言った。


「うっさいな、猿みたいに喚いてるから相場に振られたんでしょアンタは」

「は?」


 そう言った瞬間私は脳を揺らすような衝撃を受け小野坂と机諸共崩れ落ちた。小野坂は私に押しつぶされて呻いているので急いで退いた。頬がじんじんして口の中はヌルリとしている。殴られた方とは逆の机の角にぶつけた方の頬を切ったみたいで血が口の中に溜まっていくのが気持ち悪い。


「死ね!死ね!死ね! 死んじまえよクソビッチが!」


 転がった私を執拗にガンガン蹴りを入れてくるので私は思わず頭を抱えて蹲る。後何回痛みが続くのかと思ったら「何をやっているんですか! 中山さん!」と担任がヒステリックに叫んだ。だが中山は苛ついた表情で担任を見るとコロッと表情を変えた。


「せんせぇ確か既婚者だったよねぇ―? この前だったかなぁ? 教頭先生と何処かに行ってたの見たんですけどぉ」

「な、何を言ってるのかしら? そうやって気を逸らそうとしてるのでしょうけど無駄よ」

「えぇーでも写真撮ったし後で教頭先生に聞いてみればわかりそうだなぁー」

「ッ!……あ、貴方今何してるかわかってるの? こんなの脅迫よ! 犯罪行為だということを自覚なさい!」

「SNSで晒しても良いんですけどねぇ」


 それっきり担任は黙り込んでしまい再び中山はこちらを見据えた。取り巻きは「やばいんじゃない」とヒソヒソと後ろで囁いている。対峙した中山の形相はまるで人を人として見ていない様で身が竦むが後ろにいる小野坂が傷つかないように守らなきゃいけない。らしくもなく意志を強く持って殴られても良いように耐える姿勢を取る。小野坂は後ろで声を震わせてなにか言っているが今は構ってられないので片手を握った。するとそんな中山は私を見て嗤った。


「お前、もしかしてレズ? 小野坂のこと好きなんだろ」


 こいつから的確な言葉を突かれ頭が真っ白になる。なんで小野坂の事が好きなことがバレたのか。狼狽えていると中山が「え? お前マジで好きなの? きっも」と言われ頭が急速に冷えた。そうだ、そもそも女が女を好きになるのなんておかしい。きっと小野坂だって嫌なはずだ。だから私は後ろにいる小野坂に言い聞かせるように言った。


「小野坂のこと、その、恋愛的に好きだなんてことは無いよ。ただ鈍臭いのが見てられなかっただけだから……だから安心してよ」


 後ろを振り向かず言った言葉に説得力なんてあるわけないし反応が帰って来ないことにもう頭はぐちゃぐちゃだった。


「お前ら本当にキモいわ。仲良くくたばっちまえよクソレズ」


 中山は嫌悪感を顕にして私の顔に向かって思いっきり蹴りを入れようとした時、顔を伏せるのが遅れて駄目だと確信した。


(今度は意識飛ぶかも)


 正直ここまでやられてこいつがお咎めなしなはずが無い。HRが終わるまでに他のうちの使えない担任以外の教師が気がついてくれたらの話だがまあ流石にクラスメートでも黙って入れば不味いことになるのは理解するだろう。


 頭に衝撃が加わり視界が安定しない、グラグラ揺れる頭の中、中山はスッキリした顔をしていた。後ろにいた小野坂は「水谷さん!」と悲鳴の様な声で倒れた私を涙を流しながら抱きしめた。


 「ヘドが出るんだよクソレズどもが」と毒を吐き小野坂の方に歩いていった。それを許すわけにもいかず私は目の前を通り過ぎた足を今出せる限りの力で思いっきり引っ張った。すると中山はすっ転び情けなく倒れた。


「ざまあみろ……クソアマ」


 ユラリと立ち上がった中山は喚き散らしながら私を襲ってこようとしたが意識が持たなくなってきた私に何しようが後の祭りだ、せめて人が来るまで小野坂が無事なら……。


「おーっす」


閉まっていたドアが開いて中山が驚いた顔をしていた。


「磯山、さん?」

「おっ、丁度良かったわ、相場先輩連れてきて正解だったな。そう思うだろ中山?」


明るい声に反して凄みのある顔で中山を睨んでいる磯山。


「朱里?……お前何やってんだ?」


そして隣りにいる中山の恋する相場先輩とやらが困惑した表情で中山を見つめていた。


中山は顔面蒼白になり呼吸が荒くなっている。「わりぃ、遅れたわ」と言って磯山は私の容態を確認した。


「随分と暴れたな。小野坂ちょっとどいてろ、こいつのこと今から保健室に運ぶから」

「は、はいっ。あ! わ、私も手伝います!」


磯山と小野坂に支えられてよろめきながら歩いた。


「海斗サンキューな」

「うん」


一度足を止めた磯山はオタクの海斗からスマホを受け取ったスマホの映像を流した。


「それとさ、先生がこの状況見逃したのうちの友だちが撮ってたから安心して裁かれなよ。虐めを容認したクズ教師としてね」


先生は崩れるように座りぶつぶつと何か呟いてる。中山はヘラっと笑っていたが本当にアホなんだなって。


「もちろん中山、お前もの分もあるから安心しろよな?」


また蒼白になり次には切れて喚いてる中山は百面相みたいに面白かったのを堺に私は目を閉じて眠った。




 目が覚めると頭痛は多少残っているが起き上がるのが辛いわけではなかった。妙な重みがあるなと思い起き上がるとベッドに膝立ちの状態で眠っている小野坂がいた。


「天使?」


 いや天使ってなんだ天使って。でも天使のような寝顔なら天使と思われても仕方ない。だから私は悪くない。そもそも悪くないってなんだ。これはもしかして悪いことなのか? 無防備な顔を見てることに罪意識を感じ始める。頭を殴られ蹴られ歯が浮くような言葉が出でしまったが眠っている小野坂には届いてない様で良かった。


(小野坂もストレスを感じていたせいで碌に休めなかったのかな)


おっかなびっくり小野坂の髪を梳くとふわっとした花の香がした。


(髪サラサラだし綺麗な髪してるから頑張って手入れしてんのかな)


 自然と近づいて髪の香りを嗅いでしまう。落ち着く香りだ。顔を退いて小野坂から離れる途中顔を見ると彼女はしゅっと目を閉じた。


「起きてるでしょ」


 目を瞑ったまま呼吸を抑えて固まる小野坂をつんつんと突くとくすぐったそうに顔を緩める。面白くて耳たぶを引っ張ったり顎を触ったりして起きてるのを認めさせようとするが以外に強情で身体を震わせながらも目を開けようとしない。今度は何処をくすぐってやろうかと思った時ふと小野坂の唇に目がいった。


「ねぇ、目を開けなくていいからさ、聞いて欲しい」


 何かとんでもないことを言おうとしてる自分はまるで他の誰かが操っているみたいに勝手にしゃべる。


「電車内でキスしてごめんね。わざとじゃなくても嫌だったよね……でもさ、私あの後……」


 やっと言うのを止めたが良いがこれでは何でも無いなんて言えない。ここらか踏み込むしか無い。もう後には戻れないけど、小野坂との関係を明確にするチャンスでもある。でも同時に互いがトラウマを作り出す原因にもなってしまうんじゃないか。


 恐らく小野坂は断っても嫌な顔せずに「お友達のままでいよう」なんて言ってくれるだろう。小野坂は優しい子なんだ、でも正直思いっきり嫌われたほうが諦めが付くことを知らない残酷な選択をする子でもある。潔くは諦められないかもしれないけどあんなクソみたいな男どものようにはならない。だから口に溜まった唾を飲み込んで言葉を続けた。


「あの後キスしたこと後悔してないよ」


事故でも嬉しかった。


「小野坂はどうなんだろうってずっと考えてた」


彼女に嫌われたかなんて気にして眠れなかった。


「私はずっと見てるだけで虐められてるのを容認してたようなものだし唯のクズかもしれない」


とんだ臆病者。


「今回のだって贖罪にならなかったかもしれない、小野坂は私を恨んでも良い権利だってある」


私にはこんなこと言う資格すら無い。


「けど、それでも伝えたい。私は小野坂のこと――――」


言え、言っちまえ。徒に持て余した感情に終止符を打つんだ。


だがそれは叶わなかった。


「待って、水谷さん」


 あれ。空いた口が渇く。私の言葉を遮り、目を開いた小野坂は顔を上げて真剣な表情をしている。この表情は前に見たことがある。屋上とか、中庭とか、教室とか。この子が告白を受け真摯に向き合って断る時の顔。


「水谷さんは恩人だよ。私は水谷さんのこと責めたりしない。だって貴方が身体を張ってまで助けてくれたんだから。寧ろ私は関係のない水谷さんを巻き込んでいっぱいいっぱ傷ついて」


ジワリと目元から決壊したダムのように涙が出る。断られてしまうなら玉砕覚悟だった。


「何も出来なかった私こそ償わなければならないのだから私は水谷さんのどんな言葉でも受け入れるよ」


けどそのクソみたいな優しさは望んじゃいなかった。


「……小野坂のそういうところだいっきらいだよ。そんな受け取り方するなら私は言わない。なんにも小野坂に望まない」


 悪意が無いからって許せる発言じゃなかった。流れそうな涙を抑えようと爪が手に食い込むくらい握った。誠実じゃないこの子の言葉で泣くなんてバカみたいだし有象無象の奴らと同じ様に負け犬になるみたいで嫌だった。


「ふふっ、やっぱり水谷さんのそういうところ好きかも」


 態と言ってるのかわからない。今やっと嫌いになって話しを終わらせようとしたのにこの子は一体何がしたいんだ。顔を歪めて耐えていると小野坂は私の手を優しく握ってふにふにと遊び始め、困惑する私をクスクスと笑っている。小野坂は私の反応に楽しそうにしているし、挑発してんのかってくらい腹が立つ笑顔をする小野坂は天使が微笑んでいるようでやっぱり嫌いになれなかった。


「小野坂もう一回寝たふりして」


 キョトンとした顔をした後素直に目を瞑ってくれる。綺麗なまつげを揺らしゆっくりと閉じ、シミひとつない顔に私は触れた。今からめちゃくちゃにしてやりたいけどそれじゃクズ共と変わらない。私は小野坂に選択肢を与えるだけだ。


「キス……嫌だったら目を開けて私のこと思いっきり振ってね。その方が諦められるからさ。本当に私のこと想いに真摯に向き合ってくれること、期待してる」


 思い切ってキスをしたいのを我慢してゆっくり、ゆっくりと時間を掛けて近づく。あと数センチで触れてしまうのに小野坂は動かない。これは本当に彼女の気持ちなのかわからない。さっきの言葉が未だに脳裏を掠めてキスしてはいけない気がしたがそれでは私が小野坂を裏切るようなものだ。


多分あと3秒、カチカチと鳴り響く時計の針の音より早くなる拍動。


後2秒、小野坂の呼吸音と私の呼吸音が混ざる。


後1秒、もうすぐ触れ合ってしまう。


1秒を切った辺りで覚悟を決めてキスをしよう。 


といったところで保健室のドアがガララッと開き私は身を一気に退いて後ろの壁に思いっきりゴンッ! と頭をぶつけた。


「お前ら何やってんだ?」


磯山が後ろ手にドアを閉めながら何も知らなそうな顔をして頭を抱えて悶え苦しむ私を見ていた。一方の小野坂は私のベッドの掛け布団に頭を埋めて「あぅ~」と唸っている。


「空気読め」

「……」


恨みがましい目で睨むと不服そうな顔をして私の横に座った。


「な、何だよ。よくわからないけど悪かったな!」


それよりだ、と打って変わって真面目な話しを切り出してきた。


「中山の件は一先ず教育委員会に任せたんだがお前がイジメに加担してるって聞いて証拠もお前のスマホにあるって言うんだ。そもそも私等全員加担してるようなものだけど学校も大事にしたくないから関係性が強い奴を人柱にするって魂胆じゃないか。それで教育委員会の奴らはお前にも確認を求めてる」


 忘れていたが電車で盗った動画の事だろう。まあ中山は写真だと思ってるんだろうけど動画の方が尚更不味い。実際私は中山達の命令で小野坂の弱みを掴んで流そうとしたのは虐めに加担しており同時に犯罪だった。


 当然小野坂には心当たりが無い。あの電車内で盗撮していたことは気づいてないのだから。


「で、お前一体何をしたんだ?」

「それは……」


言い淀んでいるといつの間にか小野坂が私のスマホを弄っていた。


「小野坂っ!? ちょっと待って! 見ないで!」


スマホからは電車の音がガタンゴトンと響きあのシーンを思い起こさせた。


「お前を疑いたいわけじゃないがここは大人しくしてもらうぞ」


 私の前に立ちはだかるこいつはやっぱり正義感に満ちていてそこがまたムカつく。小野坂が再生して1分程でこれが何の動画かわかったのだろう。


「これって盗撮?……」

「は? どういうことだ」


磯山も小野坂の持っているスマホに顔を寄せた。訝しむように見るこいつの顔はあまりにも険しい顔をしていた。


「ごめん、違うんだよ小野坂。私は……」


 顔を手で覆う。言い訳はもう意味が無い。贖罪の時だ。磯山は本当にいい友達だ、こいつは何もしてなかったようでこのイジメに終止符を打ってくれた一番の功労者だった。だがその正義の剣を私に振りかざすことは厭わないだろう。


「おまっ……そういうことだったのか」


 磯山は小声でびっくりしたような声を上げ、小野坂は黙ったままだった。私は甘んじて罪を受け入れるつもりだ。今更何を言うこともない。これで私の初恋は潰えるのだと思うと笑えてくる。


「小野坂は……こいつのことどう思ってるんだ」


 この期に及んでまだ私を苦しめるようなことをするつもりなのか。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。聞きたくないセリフが幾つも幾つも頭の中に浮かんでは消え繰り返す。そうだ、耳を塞いで何も聞かなければ良い、そうすれば私は……私はどうなるんだろう。もうこんなのは懲り懲りだ。閉じている目から涙が滲む、抑えても止めどなく溢れてくる。


「私は…………です」

「そうか………」


二人の声が微かに聞こえる。聞きたくない。一層強く手で耳を抑える。


「…い…………お……ろって!」


知らない。私は絶対に外さない。諦めてくれるまで絶対に。


「おい! 華奈! 聞けって!!!」


そんな決意は直ぐに無意味だと思い知らされた。無理やり手を外され顔を上げさせられ磯山は怒ったような顔をしている。


「ひっでぇ顔してんなお前」


 磯山は笑った。何でこいつは笑ってんだよ。虐めてた奴をいびるのが楽しいのか? 撤回だ撤回、こいつはやっぱ友だちなんかじゃない。こんなエゲツないことしてるやつ認めてやるもんか。綯い交ぜになった感情が怒りに変わっていく。


「泣いたり怒ったりお前は大変だな。でもちゃんと小野坂の話しを聞け」


 この際何を聞けっていうんだ。悪魔かこいつは。胸がはちきれそうだ。イヤイヤと首を振っていたら「水谷さん!」と叫ばれ固まる。深呼吸をする姿もかわいい。振られても見てるだけで幸せになれるなら良いかなんて諦めがついてきた。


「私は水谷さんのこと好きです。もちろん恋愛的に……嘘じゃないよ?」


ワタシハミズタニサンガスキ。何の呪文だろうか。私の脳がうまく処理出来ない。遂に私の耳と脳はイカれてしまったようで都合の良い世界を作り上げようと自己防衛に走ったようだ。


「なあこいつ動かないんだけど意識あんのか?」


 ぺちぺちと頬を叩くリズムが心地よい。私の見えている風景が幻想の様でふわふわとして、なんかこう薬物をやっている人間ってこんな感じなのかなって思える。


「磯山さん。ちょっと退いてもらっていいですか」

「え? ああ、うん」


 ベッドで寝ている私の上に跨った小野坂は頬を膨らませてちょっぴり怒っているみたいだ。何か怒らせるようなことしたかな? でも謝ったらきっと許してくれるだろう。だって小野坂は優しくて可憐で可愛くて可愛くて、可愛いの最上級が無いことが悔やまれるから可愛いの2乗3乗を与えちゃう。またキスがしたいな。小野坂の甘い唇が欲しい。グロスを塗っていないのに綺麗で甘い香りが漂って誘っているみたいだ。真っ赤に染まるほっぺたは薄っすらと色づき始めたりんごみたいでいつまでも見ていられる。ぽけーっとして小野坂の全てを堪能していた。


でも次の瞬間視界いっぱいに小野坂の顔が埋まった。


「おぉう……私は少しお花を摘みにでも」


 やっぱりこの子はいい匂いがする。唇に何かあたって呼吸が出来ないけどこのまま死ぬのかな。鼻呼吸も忘れて私はじっと小野坂を見つめていた。でもだんだんマジで苦しくなってきてヤバい。本当に窒息する。そう思った瞬間小野坂は離れた。


「ぷはあっ!」


 二人して大きく息を吸った。夢うつつの脳に酸素が周りだんだんと目が覚めてくる。あぁこの子とキスをしてしまったんだ。加減がわかっていなかったのか小野坂は肩で息をしていてとても愛おしい。


「み、水谷さんがいけないんだよ! 私の心の隙に突然入り込んで来て、私の恋心を徒に奪ってさ。電車内で私が聞いたのって2年の時の事じゃなくて1年生の時の事! 無理矢理私のことを組み伏せてきた人を蹴散らしてくれた時のことを聞いてたのに水谷さん覚えてないんだもん!」


 まあそう言われれば確か1年の文化祭中にそんな事があったような気がする。あの時は校外の中学生が襲われでもしてるのかと思って助けたが確かに背が低い小野坂と重なる。


 男子生徒を掴んで磯山と一緒にシバいた後小野坂は隠れて私の事を覗いてらしいし割と私の事を見ていたようだ。この子ってもしかしてストーカー気質なのか? ぷんすかと怒りながら私の胸に顔をぐりぐりとしているのがかわいいからこの際どうでも良いかもしれないが。


「あの時水谷さんが助けてくれなかったら、見過ごす様な酷い人だったらこの学校辞めてたし、もしかしたら……」


その言葉に続くのは胸が抉られるような内容だろうか。想像しただけで頭がおかしくなり吐き気がする。


「けど救ってくれた。2年生になってからも、今日も。だから好きになっちゃった。ううん、ずっと前から好き。もう隠さないよ」


顔を上げた小野坂は私の手を両手で掴んで心臓にあてた。ドクドクと生き急ぐかのように激しく動かしている。これが小野坂の気持ち、私と同じそれ以上に動く鼓動が物語っていた。


「私の気持ち、本物だってわかってくれる?」


こくりと頷いた。


「じゃあ」


真っ赤な頬を染めて潤んだ小野坂は自分の唇を私の指を使ってなぞらせた。


「ここに、華奈からしてよ」


 もう現実か夢かもわからない。ただお互いの小さな息遣いが耳朶を痺れさせる。目を閉じた小野坂の唇がてらりと光って色っぽい。


ドキドキと収まらない心臓の音を鳴らしながら近づいて後少しだ。


そのはずだったのだが。


「お二人さんもう事は済んだ?」


こいつは本当に……。


「糞山……」

「磯山さん……」

「いや流石に私も今のは無いなって思ったよ。ごめん……」


 こいつが今度は意図的に邪魔したのは明白だったため小野坂ですら蔑んだような目で磯山を見ていた。頭をぽりぽりと掻いた磯山は「イチャイチャすんのはいつでも出来るだろ?」と風情もクソも無いことを言いやがった。何が恋のキューピットだ、世のカップルがお前のこと刺しに行く前に真っ先に絶命させてやる。


「まあ怒りなさんなって、でさ、結局これどうすんだ」


 磯山が言う机に置かれたスマホは多分押収されこの動画は見られてしまうだろう。私も改めて見直すと小野坂のスカートが取れてはいないが盗撮したには違いない映像が流れている。しかも何故かキスしてる所は綺麗にブレもなく映ってしまっていて猛烈に恥ずかしくなり途中で見るのをやめた。どうしようかと悩んでいると思いついたかのように手をぽんっと叩いて小野坂が提案した。


「私に考えがあります」




校長室に呼び出された私達3人は複数人の教員に囲まれて軽い尋問の様な形で質問されるみたいだ。


「中山さんが言っていた盗撮の件をはっきりさせたくて水谷さんだけを呼んだんだが」


私の両隣の人物を見て不思議そうに見る。


「どうして君等もいるんだい? しかも被害者である小野坂さんまで」

「校長先生、その件については誤解があります」


私を庇うように前に出て大人しかった小野坂は強い口調で擁護し始めた。


「なんだ、言ってみなさい」

「中山さんは盗撮をしたと仰いましたが、今からお見せするものは決して盗撮では無いんです」

「うぅむ。しかし君が脅されている可能性も否定できないだろう」

「実際に見ていただければわかります」


 そして複数人の教員に再生され始めたスマホを覗き込まれとてつもなく死にたくなった。今からでも良いから罪を認めようかな。でも見せるには変わらないかと思い、諦めて普段考えもしない授業内容を頭の中で反芻していた。


「あの、これは盗撮か? いや盗撮なのかね……」


キスシーンまで見てこの困惑した反応だ。


「いえ違います! 私達……私と水谷さんはこういうシチュエーションで動画を撮るのが好きなだけなんです!」


 この子に任せたのは間違いだったと頭を抱えた。若い教師たちは「あぁ…」と呟いて目を反らすわ、隣りにいる磯山は「ぷくくくくくく……」と口元を抑えて笑っている。校長は豆鉄砲でも食らった鳩みたいに唖然として「最近の若者は色々……すごいんだな」と理解を示そうと必死になっていた。


「えっと……君たちはその、交際していると言うことなのかね?」

「え、えぇ勿論です。えへへっ。実はもう」

「小野坂、シャラップ」


 まだ付き合ってもいないのに嬉しそうな顔をする辺り相当私のことが好きなんだろう。いや別に好きなのは良いんだけどここで惚気話しをし始めるのは不味いだろう。TPOがぶっ飛んでいる。教員たちは居たたまれない様で仕事を思い出したので職員室にとそそくさと戻っていった。取り残された私達3人と校長は沈黙していた。


「うん……まあ水谷さんの件はお咎めなしということで」


やっとこの異質な空間から解放されることに喜びを感じた。

「失礼しました」と校長室のドアに手をかけて出ようとした時校長の声が飛んできた。


「ただし」


 シワを刻んだ顔で私達を睨んだ。まさか積年の経験が見抜いているのかと思い身体が強張った。小野坂も不安げに眉を下げ校長の次の言葉を待った。そして放たれた言葉に私達は息を呑んだ。


「不純異性交遊は認めませんよ。その……シチュエーション? とかいうのも今回だけは許しますが公然でやるのは禁止です。わかりましたか?」


 小野坂は明るく「はぁーい! 気をつけます!」と言って先に出ていった。私も「程々にしますよ」と言って退室する中で二度としないだろうと私は思った。後者だけは守れそうかもしれない。




 教育委員会は学校側に今回の虐めの件を委ねるそうで私達の担任は懲戒免職処分にされ、教頭は謹慎処分が言い渡された。


中山は暴行罪によってお縄になりそうなところ中山夫妻が何度も頭を下げて謝ってきたのを良いことに遠い場所へ転校してくれるなら起訴しないという条件を言い渡し事は収まった。校長はこの学校の評判を下げることを厭わない姿勢を取っており訴訟すべきだと言ったが報復など諸々の事を考えた上での判断だと説得すると渋々認めてくれた。取り巻きたちは停学と重い処分を下されることはなかったものの今後は大人しくなるだろう。


 影のヒーローこと磯山は小野坂が虐められ始めてからオタクグループや取り巻き以外の数人程度だが女子達に色々と相談事をしていたようだった。そしてこいつが前に恋のキューピットと言っていたのは女子たちから恋愛面で協力していたからだそうだ。そうしてそれのお返しとばかりに色々な証拠を集めていたらしい。


 彼女らも最初こそ好きな人が小野坂に目を向けているのが気に食わなかったらしいのだが、中山のエスカレートする行為に対して目くじらを立てていたらしい。だから野次馬のごとく囃し立てていたクソ男子共は女子達から白い目で見られている。彼らは反省しているようだが、多分卒業するまで弱い者いじめをした卑劣な人間以下の蛆虫、というレッテルをはられたまま過ごすことになる。


 最初こそぎこちなく怯えていた小野坂だが徐々にクラスに馴染み、仲も修復され始めて虐めは無くなっていった。まだまだ時間は掛かりそうだができるだけ過ごしやすい学校になってくれればと思う。




 放課後になり私達3人ではなく4人、何故かクラスのヲタクグループ代表の真辺海斗もいるがのんびりと校舎から出て駅まで続く通学路を歩いていた。真辺は居心地悪そうに数歩離れて歩いていたが磯山がぐいっと腕を引っ張って私達の前に出した。


 「うわぁっ」とずっこけそうになった真辺をチラッと見た磯山はニヤッと笑った。何だろうと小野坂と目を合わせてもよくわからないと首を振られた。そしてニコニコし始めた磯山はポロッと何気なく言った。


「そういやさ、私と海斗付き合ってるんだわ」

「は?」

「え?」

「ちょっ……」


耳を疑った。何かの冗談だと思ったが真辺が顔を赤くし始めた辺りマジなんだろう。驚いたのもあるが磯山の趣味って言っちゃ悪いがその……野暮ったい眼鏡を掛けた男子なんだと意外性を感じた。


「おい、私は海斗の容姿とかで好きになったんじゃねえぞ。まあ確かに最初はナヨっとしてて何だコイツとは思ったけど」

「ひでぇ……」


ジト目で真辺は磯山の腕を振りほどいた。


「でも、こいつが思いっきり告白してきた時言うのも照れくさいんだけど、ときめきを感じたんだ。こいつはただのメガネ野郎じゃねえ、私が本当に好きで全力で告白してきた肝の座った男だって」


想像は出来ないがそんな奴だったとは思わず二人して「おぉ」と感嘆してしまった。


「付き合ってるのは良いんだけどなんで教えてくれなかったの」

「恥ずかしいからに決まってんだろ。だけど私はお前らの恥ずかしいところを見ちまったからここは平等に明かすのが友人だろ。なあ?」

「ちょっ! や、やめろって」


ぷらぷらとぶら下げている手を恋人つなぎにして私達に見せつけてくる磯山は頬を赤く染めて、対する真辺も同じく嫌がりながらも真っ赤になっていた。


「はいはい、どうぞお幸せにね」


 人がイチャついてるのを見てると、なーにやってんだこのバカップルという気持ちになるのは頷ける。こいつらのことはほっといて帰ろうとすると小野坂は立ち止まった。どうしたのだろうと振り向くと顎に人差し指を当ててこてんと首を傾げていた。こういうところが男子を落とすんだろうか。緩みそうな頬を抑えて気持ち悪い顔を見せないようにどうしたのと聞くのが大変だ。


「結局水谷さんと私ってどっちが先に告白したのかよくわからないね」


確かに保健室での事はなんやかんや磯山に邪魔されてばかりで有耶無耶になってしまった。


「んー、まあでもそんなに急がなくてもさ、ね?」


そういうと小野坂はムッとした顔をし、いちゃついていた磯山と真辺は何いってんだコイツと顔が言っている。


「はぁ、呆れたわ。じゃあ今告れ、今すぐ」

「いやいやここら辺まだ人いるし勘弁してよ」


駅までの通学路には普通に同じ学校の連中もいるって言うのにお構いなしに告白できるほどの強靭なメンタルは備えていない。でも小野坂はどうやら私の告白を聞けるなら何処でも良いのか視線をアスファルトに向けて照れくさそうに毛先をいじいじしていた。


「私は別に、その……構わないですよ……」

「小野坂だってこう言ってんじゃんかよ。 度胸見せろ! ほら。こっくはく!こっくはく! ほら、海斗も一緒に」

「えっ、いやこういうのは二人きりにさせてから……てか何だよそのコール。ダサくない?」


こいつら調子に乗りやがって。今度何処まで進んだか根掘り葉掘り言わせてやる。


「小野坂っ!……えっと、そのぉ……す、好きです」


……。


反応が無いのは流石にキツい。

小野坂もいまいちな顔をしてる。


「はいダメー。何? お前告白なめてんの? もっと大声で愛を叫べよ! 下の名前で叫べ! 海斗だってそれくらいの度胸を持って私になぁ、もごぉ!? ないふんだよあいとぉ」

「お願いだからこれ以上僕の黒歴史を晒すなぁ!」


あーもう煩い。腹を決めて言えば良いんだろ。こんなの簡単だし満足させる為にちゃっちゃと言ってしまおうと声を張り上げた。


「こは、る!」


 あれ、出した声は自分でも驚くくらいに掠れていて、深呼吸なんてまともに出来ない。さっきまで威勢を張っていた自分が嘘のようで、息が詰まって喉が震える。まだ告白もしてないのに涙が溢れそうになってくるのはなんでだ。頭がぐちゃぐちゃになって伝えたい言葉が出てこないのはなんでだ。固唾を呑んで見守る3人の視線がプレッシャーになって目の前がぐるぐるし始めて逃げ出したい、そう思った。


でもそんな私に小春は笑顔で「大丈夫だよ」と囁いた。そんな些細な一言が緊張を一気に解きほぐした。


小春は私の震えた手を暖かく小さな手で包んで私を見て頷く。私は好きで好きで堪らない気持ちを包み隠さず届ける。


「大好きです! 私と付き合ってくださあああああああああああああい!!!!」


自分でもびっくりするくらいだっさい告白だと思った。


「こりゃ面白い告白だ、後で海斗にもこの動画送るよ」

「殺されるから遠慮する」


 外野がブツブツと煩いけど気にするもんか。いや、後でスマホは叩き割ってやる。バカみたいに人目もはばからず大声で叫んで多分これが最初で最後の大迷惑な告白だ。ちらほらといる通行人の言葉なんて私達の告白を盛り上げる演出だ。今はただ私を愛してくれるこの子、誰よりも愛する小春を独り占めにする宣言を大衆に晒してやった。


バッと抱きついてきた小春は私の涙を掬ってぼやけた視界はハッキリとした。


「なんだ小春も泣いてんじゃん」


泣いてるのは自分だけかと恥ずかしかったけど安心して息を付くプイッと後ろを向かれた。


「えっ、こはる?」と予想外な行動にこの期に及んで嫌われた? と思い手を伸ばして近づくと振り返った小春と私の唇が当たった。


「私も大好きだよ華奈ちゃん。唇、奪われちゃった。ふふっ」

「じ、事故だってば!」


初めて恋した子は天使の笑顔をした小悪魔だったのかもしれない。

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Counter love attack ぐいんだー @shikioriori

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