「交渉」

 雫の家に到着すると、雄二は自分の家に電話をかけた。電話には母親が出てきた。

『はーい、何か用?』

「母さん?あのね、今日は帰りがかなり遅くなると思う」

『え?どうしたの?何かトラブル?』

「そういう訳じゃないんだけど、とにかくどうしても外せない用事があって」

『どんな用事よ』

「今はちょっと話せないかも、事が落ち着いたら話すよ」

『まさか、雫ちゃん関連?』

「そこら辺は察してくれ」

『ふっ、雄二もそういう年頃か』

「いや、何を想像してるのか分からないけど多分違うからね」

『はいはい、でも雫ちゃんへのおいたはダメよ』

「分かってるよ。そういうのが目的じゃないし」

『はいよ。帰りが遅くなるのは了解した』

「うん、それじゃあね」

 雄二は通話を切った。そして雫の家へとあがる。

「おじゃまします」

「私の部屋はこっちだから、付いてきて」

 二人は玄関をあがって廊下をしばらく真っ直ぐ行った先にある、雫の部屋に向かった。

 部屋に入ると中は雄二が想像した以上にオタク色に染まっていた。本棚には大量の漫画が詰められ、いくつもあるショーケースの中身は全てフィギュアで埋められていた。そして壁にはアニメのポスターが貼られている。

 雄二が部屋を見回していると、雫は恥ずかしそうに顔を赤く染める。

「そんなにまじまじと見ないで欲しいな、ちょっと恥ずかしいから」

「あ、ごめん、つい」

「ひいちゃった?」

「いや、僕の部屋よりは全然良いと思う。この前見たでしょ?酷いもんだよ」

「雄二の部屋も中々に染まってるからね。だったら良いか。雄二だったら見られてもそんなに恥ずかしくないな」

「だろ?それは良いとして、ご両親が帰ってくるまでどうしてようか」

「というか雄二はここで両親が帰ってくるのを待つ必要ないんじゃない?一旦帰っても変わらないような」

「た、確かに・・・雫のためにも僕はここにいるより帰って待ってた方が良いよな」

「私は別に良いよ。正直、雄二が一緒にいてくれた方が良いから」

「そう?なら良いんだけど」

 二人は両親が帰る時間まで一緒に漫画を読んで過ごすことにした。雫がおススメの漫画を引っぱり出し、それを雄二と隣り合わせで読んでいた。

 雫自身は取り繕っているのだろうが、両親に頼みごとをすることが怖いらしく、腕が若干震えているのに雄二は気が付いた。しかし、それにはあえて触れずに一緒に過ごした。

「そろそろ夕飯の時間だね」

 壁にかけられた時計を見て雫が呟く。時刻は7時を回っていた。

「どうする?コンビニで弁当でも買う?」

「そうだね。私も正直今から夕飯を作る気力もないし」

 二人は近くのコンビニへと向かった。向かう途中、雫は雄二の様子がおかしい事に気が付く。

「雄二もやっぱり緊張してる?」

「え?何で?」

「気づいてないかもしれないけど唇が真っ青だよ」

「マジか・・・」

「ごめんね。私のせいで」

「いや、雫は全く悪くないよ。元はと言えば僕が提案したことだし」

「そうだけど・・・」

「僕は雫の役に立ちたいだけなんだ。言ってしまえば雫のためであると同時に自分のためでもあるんだから、雫は気にする必要性は全くないんだよ」

「でも無理はしないでね」

「無理なんてことは無いさ、これは只の僕の我がままなんだから」

「そっか」

 コンビニに着くと、食べたいものを適当に買った。

 そして雫の家で食事をし、そのまま待ち続けたのであった。雫の部屋で気晴らしのために談笑をしていると、いつの間にか時刻は12時を回っていた。

「そろそろ帰ってくると思う」

 雫がそう言うと、雄二の心臓が跳ね上がるような感覚に陥った。こんな時間まで女の子の部屋で一緒にいたのだ、何を言われるのか分かったものではない。極度の緊張から嗚咽が出そうになるがなんとか我慢をした。

 そして、玄関のドアをガチャリと開ける音が聞こえてきた。雫の話によれば、両親は大抵二人同時に帰ってくるようだ。雫と雄二はすぐさま玄関の方へと向かった。

 玄関に着くとそこには雫によく似て綺麗な顔をした女性と、あきらかに厳格そうな見た目をした男性がそこにいた。

(こ、この人たちが雫のご両親か・・・)

 やめておけば良かったという考えが雄二の頭に一瞬浮かんだが、彼は頭を振ってそれを払拭した。

 雄二と雫が一緒にいるのを見た両親は、驚愕の表情を見せた後、怪訝そうな顔で雄二の顔を見ていた。

「雫、その子は誰?」

 母親の方が雫に問いかける。

「この人は私のお友達、今日はお父さんとお母さんに頼みたいことがあって一緒にいてもらったんだ」

「それをするのに何でその子が必要なの?というかこんな深夜に他人の家に上がるなんて常識が無さすぎる気がするのだけど」

「それは・・・」

 ここで雄二は震え声で話し始める。

「こ、こんな深夜に申し訳ありません。僕の名前は田村雄二です」

 今度は父親の方が口を開く。

「名前は把握した。それでこんな時間に何の用かね?特にないなら帰ってもらうが?」

「えっとですね・・・」

「お父さん、お母さん、一旦座って話さない?」

 雫の提案で4人はリビングへ向かった。そして、テーブルのある椅子にそれぞれが座る。

 雄二と雫が隣り合って、その向かいに雫の両親が座っているという構成だ。

「それで、田村さんはどんな用事なのかしら」

「それは私から説明する」

 雫は事の経緯を説明する。

「今日ね。私の誕生日なのにお父さんとお母さんが帰ってこないって言うから、一人寂しく過ごすぐらいならと雄二を誘って遊んでたんだ。それでね、ベンチで休憩してた時にお父さんとお母さんの話をしていたら、私我慢できなくなっちゃって。雄二へ一緒に私の両親を説得してほしいって頼んだんだ」

 もちろん、雫が話している内容には嘘が混ざっている。実際は雄二が提案して雫がそれに乗ったという形なのだが、少しでも雄二が責められる危険を避けようと話を作り替えたのだ。

(雫・・・)

 雄二は話がこんがらがるといけないと思い、そこにはあえてツッコまないことにした。

「説得とはどんなことだ?私たちに何か不満があるというのか」

 父親は腕を組んで雫と雄二を交互に見た。

「あのね、お父さんとお母さんにはもっと仕事の時間を減らして欲しいんだ」

「どうしてそんな事を言われないといけないのかしら、仕事に関しては子供に口を出してほしくないわね」

「そうだな、お母さんの言う通りだ。田村さんにもご迷惑をかけて、そんな事をお前に言われる筋合いはない」

「だって仕事の事ばかりで私の事を見てないじゃない」

「そんなことないわ。私たちは雫のためにどんだけ色んなものを備えてきたと思ってるの?学校もきちんと通わせてあげてるし、食事も十分与えてるでしょうが。それにあなたが大学に通うことができるためのお金も十分に用意してるし」

「俺たちが雫のことを見ていない時なんてなかっただろ。母さんの言う通り、必要なものは全て俺たちで準備したんだからな」

「そういうことじゃなくて」

「だったらどういう事なんだ。説明して見なさい」

「うぅ・・・」

 雫は俯いて何も言わなくなってしまった。その表情は諦めのものに変わっていく。

「あ、あの僕からもいいですか?」

 雄二は勇気を振り絞って手を挙げた。

「田村さんだっけか。俺たちに何か?」

「あの、ですね・・・。雫は多分、自分への支援が足りないとかそういう事を言いたいのではないと思います」

「ならなんだって言うのかね」

「雫はただご両親ともっと一緒にいたいだけなんです。大好きなお父さんとお母さんともっとお話をしたり、ご飯を一緒に食べたりしたいんだと思います」

「え?そうなのか雫」

 父親が問いかけると雫は小さく頷いた。

「そういう事だったのか・・・しかし・・・」

「私たちが忙しく働いてるのは雫のためなんだけどね」

「え?」

 雫は驚愕した。両親が忙しく働いているのはただ単に仕事が大事なだけだからだと考えていたからだ。

「どういう事?お父さん、お母さん」

「私たちが仕事を時間を増やしたのは雫が産まれてからなんだ。今の世界だと将来どうなるかわからない。また不況が続くようになって就職が困難になることも考えられるんだ」

「だからお母さんと相談した結果、俺たちは雫が将来就職できなくても苦労しないようにお金を貯めてることにしたんだ」

「そうだったんだ・・・でもそれなら何で私に言ってくれなかったの?」

「そんな事を言ったら就活の時とかに全く危機感を持たなくなるでしょ」

「この事を話すのは雫の教育に良くないと俺たちは考えたんだ」

「そんな・・・私はずっと、お父さんとお母さんは私の事を全く考えてないと思って・・・」

「良いのよ、私たちが言わなかったのが悪いんだし。だけど、ね」

「そうだな、こういう理由があって俺たちが仕事の量を減らすという事はできない」

「でも・・・私はもっとお父さんとお母さんと一緒にいたいよ・・・」

「我慢しなさい。これは誰でもないあなたのためなのよ」

 雫の表情は一気に曇った。

「私はお金はいらないよ?将来の事だって自分でどうにかするし」

「どうにかするって具体的にどうするの?」

「う・・・」

「大人になるとどれだけ出費が増えるか分かってるの?一人でも厳しい世の中なのに結婚なんてすれば余裕なんて無くなるわよ」

「お母さんの言う通りだ。お前も大人になってみればわかる。俺の知り合いには自己破産した奴だっているんだぞ」

 雫はもう何も言えなくなってしまっていた。確かに両親は雫の事を第一に考え、いつも彼女のために行動していたのだ。

「あの・・・」

 雄二はそこで声をあげた。

「どうしたんだ田村さん」

「雫のお父様とお母様は今の雫をどれくらい知っていますか?」

「どういう事かね?俺たちは親なのだから雫の事は何でも知ってるが?」

「でしたら、雫が漫画の美少女キャラが好きだという事はご存じでしょうか?」

「「は?」」

 雫の両親は雄二がいきなり変な事を言い出してあっけにとられた。雫の方はというと、焦って手をバタバタとさせていた。

「雄二!いきなり何を言い出すの!」

 雫がそう叫ぶが雄二は意に介さず続けた。

「雫が大食いでそれを本人が物凄く気にしてるという事は知っていますか?」

「田村さんはさっきから何を言いたいんだ?」

「ちょっと意味が分からないわ」

「答えてください」

「雫にそんなところがあるのは知らなかったが・・・」

「確かに知らなかったわね」

 雫の両親はお互いに顔を見合わせた。

「お父様とお母様は雫のそんな些細な一面ですら知らないじゃないですか。最近出会ったばかりの僕ですら知っているのに」

「それは・・・」

 ここで両親は黙り込んだ。

「生意気言って申し訳ありません。でも雫の将来の事ばかりでなく、もっと今の雫をあげてくれませんか。せめて、もう少しだけ彼女と話す時間を設けてくださるだけでいいんです。お願いします」

 雄二は起立し、頭を深々と下げた。

「雄二・・・」

 雫はそれを見て何もいう事が出来なくなっていた。

 しばらくの沈黙が続いた後、一番最初に口を開いたのは父親だった。

「田村さん、頭をあげてください」

「はい・・・」

「確かに俺たちは雫の事を見てやれてなかったかもしれないな」

「雄二さんの言う通り、将来のことばかりで今の雫のことを全く見ていなかったわ」

 両親を雫を穏やかな目で見つめた。

「ごめんなさい雫、私たちは雫のためと言いながらあなたのことを冷たく突き放してしまっていたわ」

「そうだな、雫のことをもう少し見てやる必要があった」

「お父さん、お母さん・・・」

「今後は仕事の時間をもう少し調整してみることにするわ」

「俺ももっと他の人に仕事を回すようにしよう」

 雫は嬉しそうな笑顔になっていた。両親もそれを見てとても幸せそうに笑った。

「という訳で、もう遅いし雫はもう寝なさい。雄二さんはご両親が心配なさっているだろうし早く帰りましょう」

 母親はそう言って手を叩き、立ち上がった。雄二は帰宅の準備をした。

 そして、玄関まで雫とその両親に見送られ、そこで別れの挨拶をする。

「こんな夜中に本当に申し訳ありませんでした。それではお邪魔しました」

「じゃあね雄二」

「気を付けて帰るんだぞ」

 雄二は玄関をから庭に出た。

 すると、後ろから誰かが「田村さん」と呼び止める声が聞こえてきた。何かと振り向くと、それは雫の母親であった。

「お母様、どうしたんですか?」

「田村さんにちょっと聞きたいことがあってね」

「聞きたいこと?」

「今回の事を提案したのって雫じゃなくて田村さんなんでしょ?」

「え?どうしてそれを・・・」

「いくら仕事が忙しくてあの子の事を見てなかったとしても親子だからそれくらい分かるわ。人にこんなことを頼むなんて雫にはできないですもの」

「そうなんですか。バレバレだったんですね」

「それと、田村さんと雫はどこまでいったの?」

 雄二はつい「ぶっ」と噴き出してしまった。

「ぼ、僕と雫は別にそういう関係ではないですよ」

「そうなの?今日だって一日中デートしてたみたいだけれど、まだそこまでの関係ではないのね」

「まだって・・・」

「結構野蛮なところがあるけれど、これからも仲良くしてやってね」

「はい、それはもちろん」

「そしてゆくゆくはうちの家族になるんだし、今度田村さんのご両親にご挨拶をしないとね」

「それは気が早いかと・・・」

「そう?まぁそれに関して後で考えておくとして。それじゃあ夜道に気を付けてね」

「はい、今日はありがとうございました」

 雄二はペコリと頭を下げ、その場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る