「ようこそ天界へ」

「天界...?新しい人生...」

 雄二は今どのような状況に自分が置かれているのか分からないかった。少し前に自分は拳銃に撃たれて死んだはず、それなのに何故か今はこの真っ白な空間にいる。そして彼は一つの仮説を考えた。

(あの時実は死んでいなくて奇跡的に生還したのではないだろうか、それでこの空間は意識を失っている自分の夢の中なのではないだろうか)

 しかしこの異様なほどリアルな感覚はとても夢だと思えない。試しに彼は自分の体をあちこち触ってみる。するとその触った感触はハッキリしているのであった。その他に目の前の女性が話しかけてきたときに直接自分の耳に声が入ってくるような感覚、自分の手のひらを見た時に指紋までくっきりと見えるほどの視覚情報の細かさ、それらがこれは現実であると彼に告げているのである。白昼夢でもここまでリアルな感覚は得られないだろう。

 そのように細かいことを確認していると、目の前の女性は雄二へほっぺたを膨らまして少し不機嫌そうな態度を向けた。

「むー...疑い深い子だねぇ、ここは現実じゃないのではないかとか疑ってるんでしょ。全く君たちの世界の子たちは疑り深くて困っちゃうよ」

「やっぱりこれって現実なんですか...ドッキリとかじゃなくて...」

「いや流石に君たちの世界にも重傷を負った人にドッキリをかける人はいないでしょ」

「まぁ...それは確かに...」

「そうそう、細かいことなんて考えずにこのおねぇさんの言う事を信じなさーい」

 そう言って彼女は拳で自分の胸を叩いた。これが現実だというのは納得した。しかし目の前の翼が生えて頭に輪っかを浮かばせた異様な存在にはやはり未だに納得がいかない。雄二は彼女はコスプレなのではないかと疑おうとしたが、その疑いを彼女に向けるのはどうしてもできなかった。彼女からは普通の人間からは絶対に感じることのない安心感、優しさ、信頼感をそばにいるだけで感じることができるのだ。それは人間がどんなに取り繕うとしてもここまでにはなれないという確信できるほどだ。

(何故か分からないがあの女性が嘘をついているとはとても思えない、あんなに口調が軽いのに何でだ)

 そんなことを疑問に感じたが、もはや考えても目の前の常軌を逸した存在に関して分かりそうもなかった。

「あ、そうだ!そういえば私の名前をまだ言ってなかったね。私の名前はレナ。これから君が立派な天使になるまで側にいるからこれからよろしくね。雄二君」

「え?なんで僕の名前を知っているんですか?」

「あーそれはね。君が地上で亡くなった後に生まれから亡くなるまでのことを全て調べさせてもらったんだ」

「す、全てですか」

「そうそう、産まれたところから全部」

 自分の過去の黒歴史を全て知られているのだと思うとゾワッとしてしまう。雄二の頬を冷や汗が一滴ながれた。そして冷静になってレナが最初に言っていたことが何故か頭に引っ掛かっていた。

(ん?そういえばこの人は最初になんて言ってたっけ?)

 ほんの少し過去を振り返る。

「そういえば、レナさん...で良いんですよね。その、さっきなんて言いましたっけ?」

「えっと...『そうそう、全部』」

「いやもっと前に言ったことです」

「ここは天界です!!」大きく手を広げながら

「戻りすぎです。その、レナさんが名前を言った後くらい」

「あー、えっと。『これから君が立派な天使になるまで側にいるから』ってとこ?」

「そう、それです!え?俺って天使になるんですか?いつからそんな話になったんですか?」

 レナは「はて?」と呟き、怪訝な表情で腕を組みながら目線を天井に向けた。まるで雄二の質問の意味が分からないような様子である。

「君が『全ての人が幸せなまま死ねるようになればいいのに』って願ったんじゃないのよ」

「そんなこと...」

 雄二は否定しようとしたが、その瞬間自分が撃たれて意識が薄れていた時を思い出した。その時はなんとも言えないやるせなさを感じたのを覚えている。世界には不幸な人と幸福な人でかなりの差が開いている。そして不幸な人が不幸な状況のまま死を迎えてしまうのはすごく理不尽な気がしたのだ。彼が死ぬ直前にそんなことを考えたのは薄れていく意識の中で新しくできた友達である雫の顔が頭に浮かんだからである。

 あのまま生きていられれば雫とはもっと仲良くなれただろう、学校生活も楽しくなっていただろう、もしかしたら友達以上の関係になれたのかもしれない、なんでいままで嫌な目に合ってきたのにそんな未来すら奪われてしまうのか。そのような悔しさからそんな事を願ったのだろう。

 しかし、雄二はある疑問が浮かぶ。

「でもそれって死ぬ直前に無意識で願ったのであって本当に僕がそれを願っているとは限らないんじゃないですか?」

「多分それはないんじゃないかな」

 雄二の疑問に対し、レナは即刻否定した。何か根拠があるらしい。

「さっきも言ったけど君のことに関しては全て調べさせてもらったんだよ。君の今までの生き方、性格、人間性からその願いには偽りはないと判断したんだけど」

「でも僕はそんなに良い人間ではないですよ」

「だったら何で願いの最初に全ての人がって付けたの?」

「あ....」

 雄二は答えられなかった。確かにそれは普通の人は死ぬ直前にそんなことを考えないだろう。

「自分の幸せだけでなく全ての人の幸せを願った事から君の人間性の良さが現れているんだよ」

「でも...」

「無理して天使になろうと思わなくてもいい、君が願うなら何処か別の世界に転送させてもいいし」

「異世界ってことですか?」

「君たちの世界の言葉を借りるとそうだね。もちろん転送先で君は幸せになれるという事は保証するよ」

「でも俺がそう願ったのと天使になるのとではどういう関係があるんですか?」

「あー、それの説明を忘れていたわね」

 コホンと咳ばらいをした後、レナは説明を始める。

「天使としての職業は3つあってね。一つ目は「送迎者」。これは肉体が死んだ魂を天界まで送る仕事をするんだ。二つ目は「転生者」。これ肉体が死んだ魂をまた新しい体に移す仕事をするんだ。どの体に移すのかは転生者が自由に決めているよ。もちろん彼らはその魂が誰のものだったかは分からないようになっているんだ。そして三つ目が私の職業であり、君に目指してほしい「転送者」だよ。これは幸せになりそびれたまま亡くなってしまった生き物を別の世界に転送する仕事をするんだ」

「え?生き物って...?人間じゃなくて?」

「そりゃ人間だけを異世界に転送するようにしたら不公平でしょ。これには全ての爬虫類や動物なども含まれているよ」

「な、なるほど...」

 雄二は少し悩んだ。これなら彼の願いを叶えるのにピッタリな仕事ではあるものの、やはり心配になることもある。

「転送者ですか...確かにそれなら俺の願いも叶うと思います...でもそれって俺みたいな人間でもなれるもんなんですか?」

「そこら辺はそんなに心配しなくて大丈夫だよ。天使になるには色々学んでもらわなきゃいけない事があるけれど、君も天界に住んでいれば体が馴染んできてここの人たちと同じ体質になれるんだ。流石に私たちみたいに翼が生えたり頭の上に輪っかが浮かんだりはしないけれども、寿命なんてものは無くなるし、そうすれば天使になれるのに100年かかろうが1000年かかろうが関係ないしね。さぁ、どうする?」

 雄二には選択が迫られた。異世界に行くか、天使になるか。どちらもかなりぶっ飛んだ話ではあるが、この非現実的な状況を前にして今更驚くことでもなかった。

(多分、天使になると言ってもそう簡単じゃないんだろうな。異世界に行けば多分俺は楽しい余生を凄く事が出来るんだと思う...でも、それで本当に良いのか?)

 異世界に行くのを選択すればおそらく苦しみ一つない生活を送れるのだろう。それに比べて天使になるのはどうだろうか。楽ではないだろうし、地上に住んでいた雄二は他よりも努力が必要になるだろう。しかし、それらの考えが浮かんでも彼の心はもう既に決まっていた。

「僕やります!多少不安はありますが、それが僕に一番いい道が気がしますので」

 レナはぱぁーっと顔を輝かせた。

「そうこなくっちゃ!それじゃあまず注意事項の説明をするね」

「は、はい」

「まず、君の体が天界に馴染んでいくと地上の人たちとは比べ物にならないような強大な力や学習能力、記憶力が身に付きます」

「それじゃあ僕は人間では無くなるってことですか?」

「うーん、どうだろう。人間というものがどういう定理なのかはよく分からないけれど、完全にここの人たちと同じようになるわけでは無いから一応人間では無くなるわけじゃないと思うよ。さっきも言ったけどここにいても私たちのように翼が生えることもないし、強大な力と言っても私たちほどじゃないしね」

「ここにいても人間ではいられるってことですね。強大な力が手に入るってどれほどのものですか?」

「そうだねぇ...分かりやすく言うとワンパンで惑星一個破壊できるくらいかな」

「え?ちょっ、それもう人間の域を遥かに越えてるじゃないですか」

「そうでもないよ。ここの人たちは軽く一撃放っただけで宇宙を4、5個消滅させることができるからねぇ」

「なんかもうスケールがデカすぎてなんかもう....」

「君たちの世界の人たちは瓦とか木片とかを拳で割っちゃうんでしょ。私から見れば瓦も惑星一個も誤差でしかないよ」

 マンガやアニメなどに出てくる最強キャラ達でも太刀打ちできないような存在が目の前にあった。レナの話は本当であるのかどうかを確かめる方法は無いが、彼女が嘘を言っているようには見えないのである。それが当たり前な環境で生きてきたという様子だ。

 雄二が頭を悩ませていると更にレナは続けた。

「そして天界の人たちには性別が無いので、ここに住んでいるうちに雄二君の生殖機能は無くなります!」

「そうですか.....え?...えええええぇぇぇ!」

 いきなり驚きの事実を知らされて目を丸くした。

「え..それじゃあレナさんにも性別が無いんですか...?」

「そりゃそうだよ、まぁ一応見た目によって性別は分けられてはいるけど、ここの人たちは生殖のための器官が産まれつき無いのよ」

「ま、まじですか...」

「そうそうマジなのよ、そんで君のそれも無くなることはないけど機能しなくなるから戸惑わないように気を付けてね」

「えぇ...」

天使になることを決心したばかりではあるがもう既に取り消したくなってくる。

今ならばまだ間に合うだろうが雄二はあえてしなかった。地上でも一人きりの時以外使い道がなかったというのもあるが、その天使になるということはそれに代わる何かがあるような気がしたのだ。

「ど、どうかな、これを聞いてちょっと嫌になっちゃった?」

 レナはどこか不安げな表情で上目遣いをしながらあざとく雄二に尋ねる。その様子から、天使も意外としたたかなのではないかと雄二は思った。

「や、やりますよ...それくらいは許容範囲ですし...」

「アハハ、やったね」

 天使の意外な一面を見た瞬間である。

「それじゃあ志望動機でも一応聞いてみるかな」

「え?面接が必要なんですか?」

「いや、これはただの私の好奇心だよ。で、どうなの?なんでやりたいと思ったの?」

「それは...」

 一瞬それを的確に表す言葉を探した。そして自分にとって一番しっくりとくる言葉が一つあった。

「ロマン....」

「え?」

「そこにロマンがあるからです!!」

 一瞬間が空き、レナは雄二の言ったことを理解したのかプッと噴出した。

「そうかそうか、ロマンねぇ。君らしいよ。それじゃあ君が立派な天使になるまでビシバシ鍛えてあげるからよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

「それじゃあこれから君には天使になるための研修を受けてもらうね」

「研修とは具体的にどういうのがあるんですか」

「そうだねぇ、例えば転送者の仕事を覚えてもらうのはもちろんの事、他の天使の仕事を知ってもらったりしてもらうかな」

「それじゃあ転送者以外にも色々天使の仕事はあるんですね」

「もちろん、君の肉体だって他の天使が協力してくれたからあるんだし」

「え?それってどういう」

「いや、これに関しては君が天界に慣れてから話すことにするよ」

「はぁ...」

 雄二は少し不安になった。さっきの話が本当であれば、転送者になると地上から人間とはもちろん、他の天使と関わっていかなければならないのだ。地上では人付き合いに関してあまり良い思い出が無い。最後に友達となった彼女は除いて。

 そんな雄二の感情を察知したのか、レナはその不安を緩和するためにこう付け加えた。

「大丈夫、ここの子たちは本当にいい子達ばかりだから君の事もすぐに受け入れてくれるよ」

「それなら良いのですが...」

レナが不安を和らげようとしたものの、なおも煮え切らない態度をとる雄二であった。レナは少し悩んだ後、このように提案をする。

「それじゃあ、この後私が天界を案内してあげるよ。そしたら不安とかも無くなると思うから」

「本当ですか!?そうしていただけると凄く助かります」

「なら善は急げだ」

 そういってレナは席を立ち、雄二の座っている椅子の奥へを進んでいった。雄二は気づかなかったが彼が背を向けていた場所にドアがあったようだ。そしてレナはガチャリとドアを開けた。

 その様子を雄二がボケっと見ていると

「ほら何しているの。早く行こうよ」

 と叱咤した。慌てて椅子から立ち上がりドアから出た。

 すると目に入ってきたものは真っ白い空や生い茂る木々、立ち並ぶ古風な建物であった。先ほど出てきた建物の方を見てみると、一昔前のフランス辺りにありそうな一軒家の形をしている。そしてドアの所には転送室と書かれた掛札があった。

「なんだか思ったよりも普通なんですね」

「物語に出てくるような世界を想像してた?」

「まぁ、そうですね」

「ここの建物とかは地上の建造物を真似て作られているからね」

「え?何でですか?」

「そこら辺には色々事情があるのよ。そんなことより、ほら!見せたいものがいっぱいあるからこっちに来て!」

「あっ、ちょっ」

 雄二はぐいっと手を引かれ、レナの思うままに連れていかれた。

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