第94話ブローノ・ブロッサム


 ————プレルス領

 ——ブローノ・ブロッサム——


 谷に咲く花を店名に冠するプレルス領一番の憩いの酒場、ブローノ・ブロッサム。通称ブロ・ブロ。

 街で一番美味いと言われる料理に、ボルストン中の珍しい酒と美しいウェイターが揃うという。

 俺は、【深淵アビス監視者ウォーデン】の馴染みであるその酒場へと赴いた。

 日は既に暮れ始め、辺りはもう暗くなろうとしている。腹はぺこぺこだ。


 他の酒場や食堂では、行方不明になっていた人々が戻ってきた事を祝い、街のどこかしらからどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。

 だが、今夜ばかりは、ブロ・ブロは静かだった。

 店内には、静寂を好む冒険者や常連が数名程度、そして最奥にある一際豪華な大テーブルには【深淵アビス監視者ウォーデン】の団員達が屯っていた。

 知ってる金等級ゴールド団員の背中に隠れる様に、団長セリーナが俯いて酒を煽っている。


「やぁやぁ、どうもどうも」


 知らない場所に入るのは、実のところ緊張してしまうパターンではあるが、何か今の傷心したセリーナを見てしまうと、可笑しくなってしまった。いかんいかん、私の悪い癖。

 俺の声に気付いたセリーナが、悪態をつく。


「てめぇか…………なんだよ?笑いに来たのか?」


「ああ、笑えるね。いつもそうやって大人しくしてれば可愛げもあるのにな」


 見た事ある団員の二人、薄笑いが特徴の兄ちゃんと、無表情がちょっと怖い美少女が、俺の前に立ちはだかる。


「なぁ〜、お前なにしに来たんだよ〜?殺されたいのか〜?」


「殺してもいいよね?もうどうなったって一緒でしょ?」


 あらあら、アンリが逮捕され、クランの存続も危ぶまれ、野蛮な集団に成り果ててしまったのか?

 睨み合っていると、木製ジョッキが飛んできて、若い兄ちゃんの頭にカコーンと直撃し、冷たいエールが全身を濡らす。

 俺にまで少しかかった。


「やめろ、お前らじゃ勝てねぇ。

 こんなショボい見た目してっけど、谷を攻略した奴だぞ」


 セリーナの圧に、二人は大人しく従い、すごすごと席に戻った。それでも、俺をよく知らない他の団員達は騒ぎ出す。


「谷攻略ってガセなんだろ?」


「だいたい三十五層から先は百年以上突破されてないんだぜ?」


「本当ならこいつ、上位悪魔すら倒せるって事になる?はっ、ありえねぇ」


「あ、俺、分かっちゃったかも。この一連の流れってさ、領主同士で俺ら【深淵アビス】を潰す段取りじゃね?」


「なるほどな。領主達が人攫いしてたんなら、全て辻褄は合う」


「俺らをコケにしやがって!ぶっ殺してやる!」


 ちょっとちょっと、なんなのその陰謀論。

 でっち上げにしては、よく出来てるし。

 というか、みんな頭に血が上っちゃって、今にも襲い掛かってきそうなんですけど。


「やめろって言ってんだろっ!」


 ドカン!とテーブルを叩き、怒鳴るセリーナ。

 料理類がテーブルごとひっくり返り、団員達が一瞬で凍りつく。

 素晴らしい統率力だ。


「マジで何しに来たんだ?

 あれか、女伯爵カウンテスに言われて、俺でも捕まえに来たのか?」


 割と鋭いな。俺がいなければクランお取り潰しまであったんだしな。

 野蛮だが、頭が悪い訳では無さそうだ。

 とりあえず、やっと俺のターンが回ってきた。


「ほんと怖い奴らだなぁ。俺、気が小さいからビビっちゃうよ。

 せっかくいいニュース持ってきてやったのに…………おーい!」


 外に向かい呼びかけると、待機していたアンリが店内へと入ってきた。

 セリーナを含め団員全員が、目を大きく見開き、口をあんぐり開け、まさに驚愕している。


「アッハッハッハッ!それそれー!その顔が見たかったんだよー。面白い顔!いいね!」


 セリーナは、自分の顔に指差して笑う俺を無視して、アンリに話し掛ける。

 無視って人として悲しいね。


「お前、どうして?」


「セリーナ殿、皆様、大変ご迷惑お掛けしました。テツオ様の計らいで、無罪放免となった次第です。

 とはいえ、このままここにいては、民の目もございます。皆様に迷惑はかけれません。

 此度は、最後の別れの挨拶をしにやって参りました」


「なんだよ、それ…………」


「皆様、今までお世話になりました!」


 深々とお辞儀をするアンリ。

 あらら?そんな事考えてたの?気にせず、プレルス領にいたらいいのにね。

 団員達が一斉にアンリに詰め寄った。何故、人攫いをしていたのか?俺達を騙していたのか?と。

 それすらも再び団長が制する。


「聞くな!聞きたくない!

 言うな!言わなくていい!

 これはアンリの決断だ!」


 見兼ねた若い兄ちゃんが口を挟む。


「いや団長〜、流石にそれを不問にするのは違うでしょ〜?クラン全体の問題だし〜」


「不問にはしない!

 俺は【深淵アビス監視者ウォーデン】を、団長を、現時点をもって辞める!

 責任は全て俺が取る!」


 ドン!

 とでも効果音が聞こえそうなくらい威勢のいい啖呵を切るセリーナ。

 領地においてクランの勢力バランスの大事さはよく分かっている。この流れは良くないかもしれない。よし、助け舟を出すか。


「待て、セリーナ。

 先の話し合いで、プレルス女伯爵カウンテスは【深淵アビス監視者ウォーデン】を責める事は一切しないと誓った。

 アンリ、団長両名の地位、名誉も傷付かないよう手配するとも言った。

 引き続き、ここで活動出来るんだぞ?」


 ちょっと必死になってしまったが、なんとか伝え終わると、セリーナは鼻でフンと笑い飛ばした。


「お前ら貴族なんかの話し合いに、素直に応じる気は無ぇ。

 だがな、冒険者であるお前には一目置いてるんだ。

 癪だが、俺はお前の下につく事に決めた。

 もとより、攻略されちまった谷で【深淵アビス監視者ウォーデン】だなんて、飛んだお笑い草だぜ。

 ずっと考えていたが、やっぱりここにはもう興味がねぇ。俺はただの冒険者だ」


 空いた口が塞がらないとは正にこの事だ。

 まさか、こんな展開になろうとは。


「カッカッカッ!その間抜けな顔が見たかったんだよ!」


 高笑いするセリーナに頬をバチバチとはたかれる。

 こりゃ一本取られたな。

 俺には出来ない清々しい決断に、勝ち気な女も悪くないな、と魅力を感じてしまった。


「俺も〜、団長と同じただの冒険者だ〜」


「面白そうだから僕も着いてくよ」


 金等級ゴールドの薄笑いと無表情の二人が賛同して立ち上がる。


「アンリも来い」


「ありがとうございます、セリーナ殿。

 テツオ様、私めを如何様に使っても構いませぬ。

 末席に加えて頂ければ、存分に働く所存でございます」


 アンリが片膝を着き、頭を垂れる。

 それを見たセリーナが、他の団員に告げる。


「他の者は、連れて行けない!お前達には、それぞれ仕事があり、生活がある。

 だから、これが団長最後のお前達への命令だ!

 今まで通りこの谷を護れ!民を護れ!平和を護れ!いいな!」


「「おうっ!」」「了解っ!」


 突然の展開に、全然付いていけないんですけど。俺、まだ受け入れて無いんですけど。

 こんな狂犬やだよ、怖いよ。


 しばらくすると、数人の団員達が不平不満を言いながら出て行った。他の者は黙ってそれを見送るしか無い。

 それはそれで、仕方の無い事だろう。クランは一枚岩では決して無く、あくまで冒険者達が効率良く活動する為に利用する組織に過ぎない。

 セリーナの方針に、無理に従う必要は決して無いのである。冒険者は自由であるべき。その点に関して言えば俺も同じ意見だ。


 それでも残った団員達は思った以上に多く、誰もがセリーナの言葉を真摯に受け止め、プレルス領をしっかりと守ろうと決意していた。こんな荒くれでも、団員達からの人望は高かったとみえる。ほんの少しだが、見直した。


 そういった一クランの転換期というか、岐路に立ち合う機会は滅多にないのだが、悪く言えば別離であり、今回それを引き起こした一因は少なからず俺にある。

 罪悪感と場違い感に居た堪れない気持ちになり、店を出ようとすると、セリーナが呼び止め、振り返った俺の顔を力強く掴んだ。


「痛っ!何だよ、さっきから痛いな。お前のそういうとこがな……」


 セリーナは文句を言う俺を鼻で笑った後、その場にスッと跪いた。


「えっ?」「えっ?」


 なんと、信じられない事にあのセリーナが俺に頭を下げているではいか。

 この性格では、今まで誰にも頭を下げた事なんて無いだろう。この光景に全員が驚いている。


「どうか、よろしく頼む」


 それを見て、金等級ゴールドの三人も倣い跪く。


「いやいやいや、立ってくれ。そういうのは苦手なんだ」


「へっ、そうかよ。せっかく慣れない事したのになぁ」


 セリーナは悪態をつき、手をひらひらして戯けると、椅子にドカッと座り、再びエールの入ったジョッキを煽った。


「テツオの奢りだ!今日は飲み明かすぞ!お前ら帰さねぇからな!」


「「おおーっ!!」」


 あれだけ静かだった店内は、どんちゃん騒ぎに切り替わってしまい、巻き込まれてはたまらないと他の客は軒並み帰っていった。

 それに紛れて、俺も店外へ無事脱出成功。

 なんで俺の奢りになるんだよ?


 ともかく、別れ酒は【深淵アビス監視者ウォーデン】の奴らだけで交わせばいいのだ。

 かくして、俺のプレルス領での冒険は終わった。


「さ、帰ろ」

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