第86話ブローノ大渓谷④

 濃縮された魔力が闇の刃となって次々と放たれている。

 テツオが展開する【ライト防壁ウォール】では、その刃一発で亀裂が走り、五発も当たれば消滅してしまう。

 いくら悪魔の私でも、生身のままでは身体のどこに当たろうが粉砕してしまうだろう。

 これだけの破壊力を持つ相手だと、ニーナを戦闘に参加させても全く意味がない。

 強くても所詮は人間、【ライト防壁ウォール】の中で縮こまるしか無さそうだ。

 これだけの魔法の使い手は魔界でも数少ない。

 それに、あの禍々しくうねる山羊の角となると……


「あの角を見てやっと分かったわ。

 こいつはマモンと同じ魔王位級バアルよ」


 「ほほほ、儂の名はベルフェゴール。

 谷底に巣食うただの悪魔よ」


 ベルフェゴール?そんな名前は聞いた事がない。

 私の声に意識を割いて、少しは攻撃が止む事に期待したが無駄だった。

 これではニーナと同じく私も役立たずのまま。

 ベルフェゴールとやらが放つ【闇魔法】の刃は、無詠唱で同時に三発放たれ、こちら三人の頭部を正確に狙い、尚且つ動きに合わせて追尾してくる。

 それを絶え間なく連射してくるのだからたちが悪い。接近戦に持ち込む場合には相当な覚悟が必要だろう。とはいえ、ずっとこうしていても埒が明かない。

 テツオに何か策はあるのだろうか?


 私はドレス姿の上から、黒い装甲外皮を身体に纏わせた。

 高い魔力耐性と守備力を誇る上位悪魔の戦闘スタイルだ。

 この様に悪魔は自分で防御出来るので、人間の様に鎧を着なくてよい。

 アデリッサは顔が傷付くのをとても嫌がるので、頭部は視界だけ確保できるフルフェイスとする事で折り合いがついた。

 この装甲とテツオの【強化付与】があれば、魔王相手でも戦える筈だ。


幻鉱石槌ガルヴォルンハンマー


 テツオは悪魔に向けて石槌十本を放った。

 だが、【闇の刃】群はその槌をシュルシュルと避けると、そのまま私達目掛けて飛んできた。

 なんて卓越した魔法を操るのだ!

 そんな複雑な術式は私には浮かばない。

 しかも、石槌はそのままベルフェゴールを擦り抜け、全て後ろの壁に突き刺さった。

 理屈は未だ分からないが、これがこの悪魔の持つ【自動魔法パッシブ】、あるいは能力スキルなのか。


 上位級の魔族は詠唱無しで強力な魔法を自在に扱えるが、人間界に顕現する為には力が抑制され何かしら弱点を持つという。

 その弱点とは何なのか?

 それを探らなければいけない。


 「ほう、人間にしてはなかなかに筋のいい魔法を使うのぅ。

 だが、一つ忠告しておくとすれば、儂には如何なる攻撃も効かんという事じゃ」


 攻撃が効かないだって?果たしてそんなことが可能なのか?

 それでもテツオは【防壁】で無限に放たれる攻撃を防ぎながら、火や水など様々な属性魔法を試みるが、全ての攻撃はベルフェゴールの身体を擦り抜けていく。

 特定の属性が弱点では無さそうだが、何かしらのからくりが必ずある筈だ。


 ————グレモリー、何か分かったか?


 テツオは私を一切攻撃に参加させず、悪魔を観察する様に命令していた。

 戦闘開始から僅か数分ではあるが、湯水の如く魔力を消費する現状をそろそろ打破しなくてはいけない。

 悪魔が扱う魔法の魔力消費量は、人間の魔力消費量に比べ格段に少ない。

 この魔族が如何程の魔力を貯蓄しているのかは分からないが、失踪者全員から魔力を抽出したと仮定して逆算すれば相当量溜め込んでいる事になる。


 ————ベルフェゴールはよく分からないけど裂目ペオルの魔王バアルであるなら、百回殺さないと死なないって逸話があるわ。


「ひゃ、百回死なない?」


 ————もう!何で口に出すのよ。


「ほほほ、そうか、その女は悪魔であったか。

 そしてその博識たるは上位に連なる者。

 それほどの悪魔を従える力の持ち主ならば、これだけ抗えるのも得心がいく。

 だが、ふむ……悲しいかな。百回はちと少なく伝わっておるのぅ。

 女悪魔よ、千回ぞ!次からは千回と語り継ぐがよい!」


「せ、千回……だと……」


「ほっほっほっ、恐怖せい!恐怖せいっ!

 人間らの恐怖は悪魔の糧になるでなぁ!」


 悪魔が攻撃の手を止め、驚愕する私達を眺めながら高笑いをしている。

 隙ありとばかりにテツオはいくつもの魔法陣を展開し一瞬のうちに悪魔を取り囲んだ。

 これは壁に埋まっている人間達に被害が及ばない様にとの配慮もあるだろう。

 光り輝く魔法陣からありとあらゆる攻撃魔法が中央にいる悪魔に向けて乱射された。

 その全てが悪魔を擦り抜けていき、効果が無いと思い込んでいたが、ふと変化に気付いた。

 擦り抜けてはいるが、ベルフェゴールの魔力は確実に減っている。つまり、この攻撃には効果があるという証拠になる。

 急ぎ【思念伝達テレパシー】でその旨を伝えると、テツオは「ジージー」と意味不明な事を言い残して、突然消えた。

 テツオはいきなり姿を消す事が多々ある。【転移】であれば魔力の流れや反応があり、ある程度転移先を予測出来るのでそれは違う。

 悪魔の私ですら分からないテツオの能力。

 次にテツオが姿を現した時には、悪魔の身体中に大量の武器が突き刺さっていた。

 速度という概念ですらない。

 刺さっていた武器全てが粉砕し床に舞い散ると、ベルフェゴールの魔力が著しく減少していく。

 身体から人の顔の様なオーラがいくつも抜けている様に見えるが……


 「なっ、何たる事!」


 皺々の青白い顔が歪み、脚をよろめかせ、辛うじて杖で身体を支える。

 くはぁっ、と一息吐くと、角が妖しく発光し、全快したのか再び魔力が漲り出した。


「やっぱりな。

 ダメージを何かに肩代わりさせている様だ。

 あと何回だ?あと何回で尽きる?

 もはや詰みだがな」


 ベルフェゴールの周りに次から次へと魔法陣が展開されていく。

 数多の魔法陣に閉じ込められ逃げ場はどこにも無い。


 「核心に迫ったと履き違え、死にゆく者を多く見てきた。

 お主の様にな!」


 悪魔が杖を打ち付けると、地面一帯が一瞬で粉々になり三人の身体が宙に浮く。

 突如、床が無くなったのだ!

 足元には深い闇が広がっている。

 何度も谷底と言っていたのは、この悪魔の嘘であり伏線であった。

 壁内に捕らえている人間も、魔力を吸い取る天井の肉塊も無事なまま、侵入者を排除する方法を用意していたとは!

 ところが、私達の身体は何かに優しく受け止められた。

 ふるいをかける様に粉微塵になった砂粒が落ちていった後には、私達を支える魔法陣があった。


「小癪なぁッ!」


 ベルフェゴールの身体が膨れ上がり、衣服が爆ぜた。

 顔と脚は黒山羊だが、身体は大猩猩の如く巨きく、丸太の様に太い腕からは鋭い爪が伸びている。

 こんな動物はいない。正に悪魔の体躯だ。

 頭髪は今や身体中に広がり、長い白毛が谷底から吹く風に靡く。

 赤い目が不気味に光った。


「……本性を現したか。

 つまり、追い詰められた証拠だ」


 ————虚勢ヲ張ルナ。恐怖ノ匂イガスルゾ?


 苛ついたテツオが魔法を一気に放つ。

 悪魔はそれより早く魔力を爆発させて急襲した。

 巨大な腕が三人目掛けて横薙ぎに払われる。

 私は辛うじて躱したが、ほんの少しかすっていたのか左肘から先が無くなっている。とてつもない破壊力!

 テツオは難なく躱すが、躱すべきでは無かった。ニーナが恐怖で動けずにいたからだ。

 彼女に悪魔の腕が何の抵抗もなく通り抜け、胴体が真っ二つに弾け飛ぶ。


「脆イーッ!余りニモ脆イッ!」


「ふっ、ニーナ良くやった」


 私とベルフェゴール、二体の悪魔が揃って唖然としている。

 良くやったとは?何故テツオは笑っている?

 テツオの後ろから五体満足のニーナが顔を出した。


「それは残像だ、バカめ」


 ニーナにこんな技術があったとは。

 滑稽な話だが、山羊の容貌から信じられないといった間抜けな表情がまさか読み取れるとは。

 テツオはお返しとばかりに、ゼロ距離から大量の魔法爆撃を開始した。

 巨軀が魔力量の減少に伴い徐々に小さくなっていく。


「オォオォオオオ!我ガ魔力ガアッ!

 待テッ!儂ノ体内には、攫ッタ何千、イヤ何万もの魂ガ有るのダゾッ!

 貴様ハ今、その幾万ノ魂ヲッ!命ヲ奪ッているノダゾッ!」


犠牲サクリファイスソウル】魔王バアルの異能スキル

 取り込んだ魂を体内エネルギーに換え、自分が受けるダメージの身代わりにするという。

 長年に渡りこの悪魔は人間を攫い、魔力を吸い取った後、魂までも縛り付けていたのだ。

 テツオは見た事の無い表情を浮かべながら、魔法の回転数をどんどんどんどん上げていく。

 ベルフェゴールの身体が、ピースが抜け落ちたパズルの様に穴だらけになっていき、遂には崩れ落ちた。魔力は最早微塵も感じられない。

 テツオは落ちた山羊の頭を拾い上げると、角を掴み、そして叩き折った。


「グヌォオオオオ……」


 弱々しい断末魔が暗い谷に響く。

 人間がまさか魔法のみで魔王を倒し切るとは。

 古来よりただの人間が悪魔に打ち勝つ可能性があるとしたら、それは天使や神の聖なる力を持つ武具かその力を持つ勇者だけだと言われている。

 間違ってもテツオにその力は一切感じられない。


「ググ、いくら制限されておるとはいえ、よもや魔王のこの儂を倒し切るとは……。

 儂は幾度と無くお主を屠った。何故まだ生きておる?」


 テツオが【土魔法】で即席の床を作りだす。

 私とニーナが捕まった人間を救助している間、ベルフェゴールの頭部をいつの間にか用意された椅子の上に乗せ会話を交わしている。

 テツオの手には既に魔玉が握られていた。

 頭部のみのベルフェゴールが話せるのは魔力を与えているからだろう。


「近接攻撃を最初から使われていたら、戦況は変わっていただろう。それほど脅威的だった。魔力を温存していたからだろうが、魔力を集めている目的は何だ?何故ここにいる?」


「消える前に……それくらいは話しても良かろう。

 さて、あれからどれほど経ったか……儂はこの地で竜の大群と遭遇し、百の夜を越えて争った。

 軍団は壊滅したが、竜らも祖のみとなる。

 儂は渓谷を深く切り裂き、竜を谷底に沈め封じようとしたが、奴は最後の力を振り絞って儂の半身を喰ろうていった。

 いくら強き竜であろうが、魔王の血肉を喰らえば、正気ではおれん。

 奴は狂う前に、自ら眠りに着く事を選んだのじゃ。

 儂は失った半身を竜から取り戻す為、この地に残って魔力を蓄えておった」


 やはり、この魔族は魔王バアルだったのだ。

 半身を失った末、ベルフェゴールと名乗っていたのか。

 不完全なままで魔王を名乗るなど屈辱でしか無かっただろう。

 そして、この谷底から定期的に吹き上げる風は眠りに着いた古代竜のもの。

 谷の風の正体は、まさか竜の寝息だったとは。


「なるほど、な。だが、お前はその為に人間を殺し過ぎた。

 これは到底看過出来ない」


「人間とて数多の生物を殺し、喰ろうておるではないか。中には力を手にせんと魔獣や竜種を口にする奇異な人間までおる。

 つまるところ、我らは互いに食い合える仕組みになっておる。かような世界を構造したのは神々ぞ。

 奪い合うよう、殺し合うよう、奴等があらかじめ定めたのじゃ。

 儂ら悪魔とて、人間に価値が無ければ用は無い」


 長々と不要な話を聞いているテツオの表情を見ると、無性に堪らなくなった。歪ませた顔にゾクゾクくる。

 テツオは今、不条理な世の理に、苦悩している。苦痛を感じている。拒絶しようとしている。

 私はテツオの使い魔である前に、悪魔だ。

 負の感情は私を刺激し興奮させる。

 非常に昂る。今すぐにでも犯されたい。

 アデリッサはこういうのを不謹慎だと言うのだろうが……


「……もういい。話は終わりだ」


 テツオがかぶりを振ると、椅子に乗っていた黒山羊の頭が消えた。

 チリチリと魔法の残滓が漂う。

 何百年、谷に君臨していた魔王が遂に消滅したのだ。

 途端、谷底から轟音が鳴り響き、壁や天井がガラガラと崩れ出す。

 谷に施されていた魔王の術式が解除されたのか、それとも逆に罠が発動したのか、ともかく、凄い速さで谷の崩壊が始まっている。

 早くここから脱出しなくては!

 とはいえ、救助者は五十人をゆうに超え、まだ壁に埋まっている人間すらいる。全員を連れて行くなど不可能だ。

 惚けてる暇など一切無かったのだ。

 大量の瓦礫が降ってくる。

 私はニーナの手を引き、私達三人だけでも【転移】で助かる為にテツオの元へと飛んだ。

 そのテツオの頭上にも巨大な岩盤が迫ってきている。時間が無い。

 テツオは既に【転移】の術式準備を完了しており、【脳内伝達テレパシー】で私に話しかけてきた。


 ————全員助ける!


 は?無理でしょ?と思った矢先、視界が暗転した。

【転移】が発動した証明に安堵する。

 目の前には、整地された芝生と谷の管理者が駐在するテントがあった。

 転移先は谷の入り口。無事戻ってきたのだ。

 日の光がとても眩しく暖かいが、吹き付ける風はいつも通り冷たい。


「あんた、いつの間に?

 そいつらは何なんだ!」


 管理者である人間が私に話し掛けているのか。

 その声に促され背後を振り返ると、人間達が、数にして六十三人もの人間が、気絶して横たわっていた。誰もが土に塗れ、痩せこけている。汚い。臭い。

 ただ生かされていた環境から、無理矢理引き剥がしたのだから仕方のない事ではあるが。それでも、人間的には死ぬよりはマシなのか?

 それよりも……と、ニーナにテツオの居場所を確認する。

 ニーナは一言、分からない、と答えた。


 まさか……


 嫌な予感が全身を駆け巡る。

 魔王と戦って消耗してない訳がない。無事な訳がない。

 これだけの人数を安全に【転移】させるのだって、かなりの魔力と精神力、集中力がいる。

 テツオはここに転がっている者共と変わらぬただの人間だ。

 私は彼を、いつしか無敵の超人だとでも夢想していたのではないか?

 同時に【転移】できる人数には上限がある。人数が増える分、複雑な術式を組み込む必要がある。

 私達、そして六十三人の人間を【転移】させた後、自らは瓦礫の下敷きになっ、


「テツオさまぁー!

 ご主人様ああぁーーッ!」


 私の中のアデリッサが、茫然とする私を押し除けて、谷の底に向かって張り裂けんばかりの大声で叫ぶ。

 目から流れ出る涙は、アデリッサの物だが、頬を伝うその液体の熱量は私の心をとても激しく揺さぶった。

 その感情の正体を私はまだ知らない。


 アデリッサの叫びは、荒ぶ風の音に虚しく掻き消えるばかりだった……

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