第84話ブローノ大渓谷②

 グレモリーの提案で、前衛は俺とグレモリー、後衛ニーナの布陣で更に奥深くへと進む。

 幸い松明の明かりが無くとも、鈍く発光する鉱石や苔類が、岩壁を僅かばかり照らしてくれている。

 目が慣れてしまえば、後は半径五十メートル以内の気配が分かる【探知】との併せ技で、敵を事前に察知できるだろう。

 当初グレモリーは、ニーナの戦力不足を懸念した。確かにリザードマンは、まともに戦うとすればニーナより遥かに格上だ。

 それでも、彼女の暗殺者アサシンとしての卓越した【隠密】スキルは背後にいる事すら認知出来ないほどで、それを見たグレモリーは恐れ入ったと舌を巻いた。

 それもその筈、ニーナはグレモリーが警戒するジョンテ城に忍び込み、俺の部屋まで辿り着いているのだ。

 なかなか出来る事ではない。

 そして今回のアタックも、俺達三人は【隠密】と【透明化】で複数潜むリザードマンの警戒を掻い潜り、奥地まで侵入していた。

 そう、わざわざ戦う必要はないのだ。

 しかし、ここは良く似た小部屋や通路が多く、入り組んだ迷路の様な構造で、暗さも相まって完全に迷子になっていた。


 ——どうなっている?お前の言っていた悪魔とやらはどこなんだ?


 リザードマンがうようよする暗い小部屋の片隅で、俺は溜まりに溜まったストレスに押し潰されそうになり、グレモリーに不満を吐露する。


 ——奴らは隠れるのが上手いのよ。でも、僅かながら人間の残り香は残ってる。

 落ち着いて通路を探すしかないんじゃない?

 ここで見つかったら、今までやり過ごしてきたリザードマンが一斉に襲い掛かってくるわ。


 それは困る。

 リザードマンの生死について悩むくらいなら殺さなきゃいいと決めたからには、このまま見つからないようにしたい。

【探知】しても人間と思われる気配は感じない。

 この岩壁に【探知】を妨害する鉱石か魔石があるのか?あるいはここ一帯に術式が施されているのか?

 ともかく誰にもバレないように何かしらの細工をしているのは確実だ。

 攫ってきた人間を連れ、リザードマンがいるこの洞穴を通り、何処か秘密の場所へと抜けているのだが。


(水の音がする)


 ニーナが俺の耳元で囁く。

 近くにいるリザードマンがその微かな声にピクリと反応し、俺の方へ瞬時に首を向けた。

 明らかに怪しんでいる。

 こちらにゆっくりと近づいてきて、俺の目の前までやってきた。

 顔がとても近い。鼻息が直に当たる。とても臭い。リザードマンの目が細くなっていく。

 声を出さない様に、呼吸ごと止めて、気配を消す事に専念する事数分。

 リザードマンはグルルと唸った後、向きを変えて去っていった。

 ふぅ、セーフ。

 熱探知対策の為、【氷の障壁】で体温を探知されないようにしているが、もし手を伸ばすなりして触れられたなら一発でバレるところだった。


 ニーナの腕を掴み、比較的広い場所へと一旦引き返した。

【土魔法】で岩壁の小部屋を出して、三人を覆い隠すように塞けば、これでもう誰も入って来れない。


「危ないところだった。

 ニーナ、あのタイミングで喋るなんて不注意だぞ」

 

 ニーナに話しかけるや否や、彼女はその場にへたり込んだ。どうした事だ?まさか恐怖で?

 金等級ゴールド冒険者すら暗殺してきたこいつが何を恐れているんだ?

 近付いて肩に手を置くと、ガタガタと身体が震えている。

 こいつのこんな反応を初めて見たので少し戸惑ったが、頭や背中や小尻をさすっていると少しずつ落ち着いてきた様だ。


 ——この子は今まで人間しか相手にしてこなかったんでしょ?

 リザードマンが案外怖かったんじゃない?


 自分より強い獣人リザードマンの圧。

 あれだけ急接近した状態になれば、恐怖するのも頷ける。

 かくいう俺もリザードマンの鼻息が顔にかかった時はちょっぴりビビってたかも。


「まだ行けるか?」


 ニーナは無言で首を縦に振る。

 無理はさせたくないが、置いていくのも不安だ。

 彼女が聞いたという水の流れる音。この洞穴にどこか水脈があるのか?

 先程いた小部屋から聞こえたと言うが、岩壁以外には何もなかった……

 壁……?ああっ!

 グルサム金鉱山の一件を今更ながら思い出す。

 俺の頭はなんて固いんだ!


「グレモリー、悪魔が使うギミックの解除方法は分かるか?」


「無理ね。悪魔が使う術式の組み合わせなんて無数にあるんだし」


「そうか。

 でも岩壁なら……」


 先程の小部屋には何故か何体ものリザードマンが耐えず巡回していた。

 たまたまかと思っていたが、此処にこそ何か重要なポイントがあったのだろう。

 調査する為には、集まっているリザードマン七体を全て排除しなければいけない。


「ここは俺が何とかしよう」


【土魔法:幻鉱石槌ガルヴォルンハンマー


 リザードマンに向けて黒光りする石柱を七体分放つ。

 ところが、流石は力自慢の獣人なのか。

 単調な動きが読まれてしまい、腕や盾で衝撃を受け止め巧く防御している。

 せっかくの硬い物質でも攻撃として成立していないと意味がない。

 くそっ、てこずらせやがって!


 追加で三十本の石柱を増やし一気に放つ。

 リザードマン達は大量に襲い掛かるハンマーの衝撃に耐え切れず、次々と後退し遂には部屋から全て弾き出された。

 それを確認した後、小部屋の出入り口を分厚い壁で閉鎖する。

 背後のグレモリーが溜息をつく。


「相変わらずやる事が出鱈目ね」


「殺してないからこれでいいんだよ」


 悪魔には些事だと一笑に付されても、ニーナに殺しを辞めろと言った以上、それが獣人であっても今回殺人はしない。

 それよりも早くギミックを探さなければ……

 壁の向こうでは、怒り狂ったリザードマンが怒号を上げ衝突を繰り返している。

 いくらガルヴォルン製の壁でも、しっかりと固定されている訳では無いので、いつかは倒されてしまう。


 ニーナが聞いたという水の音がする壁の前に立つ。

 洞穴内は谷底から常時吹き上げる暴風音が響き渡り、他の音まで聞き分けるのはとても難しい。


「確かに、この壁には悪魔特有の細工がしてある。

 これに気付くなんてあんた凄いわね」


 だが、ニーナは口を噤んだままだ。


「とりあえず無理矢理この壁一面を壊してみよう」


幻鉱石ガルヴォルン穿孔ドリル


 安全に壁に穴を開けるならドリルしか思い浮かばない。

 ズガガガ……と勢いよくドリルが岩を破砕していく。

 その間、不安を抱えたニーナの精神衛生の為にマッサージし、グレモリーの口に魔力供給しながら待つ事数分。

 突如、ニーナの動きが止まった。


「おい、何やってん……だ?」


 マッサージ器を離し、だらしなく口を半開きにしているニーナの顔が、何故かキラキラと照らされてるのが気になり、未だ夢中なグレモリーを無理矢理剥がして壁側へと振り返る。

 すると、何という事でしょう。

 まるで水族館の様に、壁一面が水で一杯になっているではありませんか。

 それなのに、物理法則が一体どうなっているのか、水が洞穴内に入ってこない。

 更によく見ると、右から左へ水が流れているではないか。水流という事は川……なのか?


「何だこりゃ?」


 トロンと惚けたグレモリーが、涎を指で拭きながら説明し始めた。


 ————魔力結界。

 自然の地形に対し、一部干渉する魔法。

 例として川や滝などに隠し通路を作るなど、心象風景を作り出す。敵の目を欺く時によく用いられる。


 なるほど。滝の向こうにエルフの国へと繋がる道があったのと同じ事象が起こっているのか。そして、ようやく分かった。

 この川の先に強力な魔力を感じる。

 ニーナはその魔力に触れてしまい、恐怖したのだろう。

 ここまでつい流れで連れてきてしまったが、こんな強大な魔力の持ち主の元へ連れていっていいものか?

 しばらく思案していると、ニーナがさっと駆け出し川へと飛び込んでしまった!


「おいっ!」


 えっ?こいつこういうタイプなの?

 慎重に事を運ぶ性格じゃないの?馬鹿なの?

 一人で行かせる訳にはいかないので、急いで後を追う様に川へと飛び込んだ。

 ほんと勝手な行動やめてほしい。


 ————————


 やはりというか、水中では呼吸出来るし、それ以前に身体が濡れていない。

 にも関わらず、激しい水流は存在していて、三人を強制的に川の奥底へと飲み込んでいく。

 ウォータースライダーの如く流され、遂には縦穴に吸い込まれて下の階へと放出された。

 ……また落ちるのか。

 などと感傷に浸っている場合では無い。

 急ぎ足場に魔法陣を展開して、ニーナを落下から守る。

 下を見ると薄暗くてよく分からないが、結構な高さがありそうだ。

 魔法陣をゆっくり降下させていくと、気分を害する光景が見えてきた。

 地面を覆い尽くす骨、骨、骨。

 人間、魔獣、獣人と多種多様に渡る大量の骨。その数は数千、いや数万はあるかも知れない。

 その一角に人間の腐った死体が百体程まとめて放置されている。

 奴隷目的では無いのか?

 とりあえず異臭が凄いので、【風の障壁】を張って匂いをシャットアウトするが、無残な屍を目撃して精神にかなりダメージがきている。

 これは慣れる気がしない。いや、慣れたら駄目なんだ。


「何か来る」


 グレモリーが危険を知らせるが、俺も既に【探知】により把握しているし、【透明】化は既に付与してある。

 ババババと複数の激しい羽音が徐々に近付き、暗闇からその正体を現した。

 鳥かと思ったら、両手が羽になっている人間?

 鳥っぽいのは羽だけで無く、脛から先も鳥の様な形状だ。

 その鳥類の趾、三前趾足で既に息絶えた人間をガッチリと掴んでいる。

 羽と趾以外は人間そのもの。服は着ていない。

 そのルックスは俺の基準では全然アリ。スタイルもいい。

 全くけしからん。一体どこの誰がこんな生き物を創造したのか。


「あれは何なんだ?」


「ハーピーという魔獣ね」


 グレモリーの俺への配慮が痛み入る。

 俺がまた戸惑うのを懸念して、魔獣と言ったのだろう。人ではない、と。

 そのハーピーの大群は人間を投げ棄てると、こちらに全く気付かず戻っていった。

 レベル三十から四十程の個体。さしたる問題では無い。

 寧ろ奥へと案内してくれると思えば御の字だ。


 ハーピー達の後を付いていきながら、ふと鳥目を思い出した。いやいや、こんな暗い洞窟にいるのに夜目が効かないってあるのか?それとも元々、ここに棲息していないのか?ともすれば、誰が召喚したのか?


 そんな事より見上げると女が飛んでいるこの非現実的な状況。

 両手の翼で羽ばたく度に揺れまくっている。

 人間と同じ作りなのかな?

 巨大な魔力の反応が近付いているにも関わらず、頭の中はハーピーでいっぱいになっていた。


 ムラムラしながら尾行を始めて早二十分。

 足場は悪いが、かなりの距離を進んだ。

 正体不明の凶々しい気配がすぐそこにまで迫っている。


 今回の目的はあくまで人探しなので、出来れば戦闘は避けたい。

 だが、こんな強力な魔力の持ち主を放っておくのはよくないだろう。


 目の前に明らかに人工的な大きい鉄扉が見えてきた。

 するとハーピー達が何回か旋回を繰り返した後、壁に空いている巣穴へと入っていった。

 ここが終点か。


 さて、扉の向こうには何が待っているのやら……

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