第83話ブローノ大渓谷
潜入調査しているアデリッサから連絡が入ったので、プレルス領に再訪した。
現在、午後四時。
この日(この世界にきて七日目)は幾度となく時間を巻き戻しているので、俺の中で時間の概念があやふやになっている。
ともあれ、プレルスの大穴とも呼ばれるブローノ大渓谷の入り口にて、アデリッサ、ニーナを伴い三人で淵を見下ろしていた。
そこからは相変わらずとてつもない突風が吹き荒ぶが、その中を物ともせず常連の冒険者達が次々と飛び込んでいく光景が見られる。
希望する階層まで一気に飛び降りる事をバンジーアタックと呼ぶらしい。
それが怖くて出来ない者や初心者用に、ゴツゴツした岩肌に簡素な梯子やロープが適当に設置されていた。
よく見ると所々壊れていてとても使い物にならない。
そもそも、これが必要になるような自信の無い者は、谷に入らない方がいいだろう。
その昔は緑豊かな美しい谷だったらしいが、大規模な地震が起こり、大地が裂け、今では底が見えない程の穴が開いている。
最早、渓谷では無く、底無しの崖と表現した方が分かり易いだろう。
「本当にこの下から反応があったのか?」
赤いドレスの隙間から胸の谷間を覗きながら、美乳の主アデリッサに確認する。
正しくはアデリッサの中で共存している悪魔グレモリーに、だが。
「何度もしつこいわね。間違いないわ」
グレモリーはそう断言した。
どうやって真相に辿り着いたのか気になるが敢えて詳しくは聞かない。
男は信用するのみ。
同じ事を何度も聞くのは愚か者である。
女には寛容であれ。
「よし、今のところはそういう事にしておこう。
だが、もし空振りだったら……分かってるな?」
顔を痙攣らせたグレモリーとニーナを小脇に抱え、谷へ向かって勢いよくダイブした。
後ろで谷の管理者達が何か叫んでいるが気にしない。
各階層から漏れる光が、高速落下している俺たちの身体を連続で照らし続け、まるで高層ビルから飛び降りている様な気分になってくる。
以前にもこんな事があったような……
いや、それだと自殺じゃないか、ハハハ……
……それにしても深いな。
……何百メートル落ちているのか?
——ここよ。
谷底から吹き上げる風で聴覚が麻痺している為、グレモリーが頭に直接呼びかけてくれた。
咄嗟に魔法陣で足場を作る。暗くてよく分からないがまだまだ底は深そうだ。
一体、どこまで続いているのだろうか?
階層毎にあった光が、ここにはもう無い。
こんな深くまでは、まだ冒険者が辿り着いていないのか。
俺の脇にしがみ付くニーナに気付くと、恐怖で体が震えている様だ。
ここまでの高さから飛び降りた事が今までなかったのだろう。
「さぁ、起きるんだ」
ニーナの尻をポンと叩くと、元気良く立ち上がった。
近くの岩場に飛び降り、【火の付与魔法】で棒を松明替わりに灯す。
魔法効果の消耗が早いので、やはりここも
もちろん、最近覚えた【保護】も重ねて掛けてあるので消えにくくなっている。
真っ黒な岩壁が明かりに照らされると、岩壁に生えている苔や水晶が光を反射していた。
「ここから奥に行けそうだな」
ひび割れた岩壁の隙間から、奥に行けそうな空間が見えたので恐る恐る入ってみる。
そこは、明らかに人工的にくり抜かれた構造の小部屋だった。
床を照らすと人骨と獣の骨が散らばっている。
ん?人間の骨があるって事は、冒険者はここまで来てるのか?
それとも、やられてここまで運ばれたのか?
そもそも、この小部屋は誰が作ったのか?
小部屋の向こうには、もっと広い空間がある様だが。
「何かいる……」
ニーナが奥に何かの気配を察知した。
何がいるのか?魔物か?冒険者か?
めちゃくちゃ怖いな。怖いが女の前でビビっているところを見せる訳にはいかない。
俺が先頭に立ち、一人ずつしか通れない狭い通路を潜っていく。
俺のすぐ後からグレモリー、ニーナがついてくる。
そういえばグレモリーはずっとドレス姿だ。
悪魔の感覚がよく分からない。
通路を抜けると、複数の対になった光がいくつも蠢いている。
そこへ松明を翳す。
「ひゃっ!」
それは蜥蜴と同じ顔をしていた。縦に細い眼がこちらを睨み、ざっくりと裂けた大きな口からは鋭い牙と細長い舌が見えた。
完全に爬虫類の頭部だが、人間と同じ四肢があり二足で立っている。
急に俺の腕にある水晶時計からアラームが鳴り、ゴーレムが飛び出した。
こ、これは決して、俺がビビって精神に異常をきたし、危険を察知したゴーレムが緊急召喚された訳ではない。
ちっ、壊れてやがる!
計器の故障だ。
「こっ、こいつらは何だ!」
「獣人のリザードマンね」
グレモリーが淡々と質問に答える。
悪魔はビビったりしない。
そのリザードマンとやらを良く見ると、こいつらは人間の様に服や鎧を身に纏い、中には武器や盾を持っている個体もいる。
それなりに知能があるのだろうか?
三体のリザードマンがじりじりと距離を詰めてくる。
襲い掛かるタイミングを見計らっているようだ。
それを察知した召喚されたガルヴォルン鉱石製の人型ゴーレムが、目を赤く光らせ俺達の前へ盾の如く立ちはだかる。
こいつを倒すには推奨レベル70以上は必要なんだぞ。
なんて頼もしいんだ。
正に安心安全設計のテツオ印。
リザードマン達がギャッギャと声を上げゴーレムへと襲い掛かった。
おいっ!一気に三体掛かりなんて卑怯じゃないか?
この緊急用ゴーレムは全長200センチはある。
対するリザードマンは背中が曲がっているのか元々前屈みなのか、よく分からないが同じくらいの体長はありそうだ。
いや、長くて太い尻尾を入れれば350センチは超えそうだ。
その体躯から繰り出される攻撃は凄まじく速く、俺自慢のゴーレムは防戦一方になっている。
単純な命令系統しか組み込めないゴーレムは基本防御が出来ない。
ガルヴォルン鉱石のボディは硬く頑丈だったが、核である魔石に込められた魔力が徐々に減っていく。
活動時間はもって十五分程度。あくまで緊急用なのだ。
それでも、リザードマンより太い腕を振り回す攻撃や、目からビームで、三体の内の二体を戦闘不能に追い込む事に成功した。
だが、自慢のゴーレムはドシューッという排気音と共に、動かなくなった。
残ったリザードマンの打撃がトドメになり、核である魔石の光が消えたのだ。
ゴーレムの身体を構成していたガルヴォルン鉱石はガラガラと崩れ落ち、地面に浮かび上がった魔法陣の中へと消えていく。
つまり、戦闘終了後は自動的に【収納】される仕組みになっている。
ふぅ、それにしてもゴーレムを一体作成するのに何時間掛かると思ってるんだ!
最初は六時間掛かった。徹夜だった。
最近ではコツを掴んで三時間でいける。それでも三時間だぞ!
いくら時を戻せるとはいえ時間は貴重なんだ。それを台無しにしやがって。こいつらは何なんだ?
【解析】
リザードマン
LV:68
HP:2800
MP:290
強っ!
体力もやたら高いし。
一体となったリザードマンが、俺たち三人のいる場所へ向きを変え、次いで駆け出した。
真っ直ぐに俺を見ている。
次のターゲットを俺に決めたという事か?
もしかして俺がこの三人の中で一番弱そうに見えたのか?
だとしたら、とても悲しい。
【収納】からガルヴォルンソードを取り出し身構える。
俺だってレベル60になったんだ。やれば出来る筈だ。
リザードマンの振り下ろした剣筋を読み、自身の剣でいなす。
よし!見える!見えるぞ!リリィとの特訓の成果が出ている!
その流れで胴目掛けて横薙ぎを狙う。が、リザードマンは腕に嵌めた籠手で強引に剣を弾いた。
あ、うまい。
あと、この爬虫類の顔はとっても怖い。
【
いちいち切り替えも面倒だし、さして魔力も消費しないので、発動する魔法は全て【保護】【強化】済みである。
減衰域でだってストレスフリーで過ごしたい。
俺自身がレベルアップした事で、【付与魔法】自体の効果も上がり、俺のスピードが更に速くなった。
リザードマンの攻撃は【風魔法】に妨害され俺に全く当たらなくなり、俺の剣撃のみが次々と傷を与えていく。
ジョノニクスに匹敵する程の硬い外皮を持っていたが、至る所から緑の血が滲み出ていた。
勝負はついた。しかし……
「こいつのカテゴリーは何だ?
人なのか?魔物なのか?
……人なら殺す訳には」
目の前のリザードマンは、完全に戦意を喪失し怯えている。
「ギ……ギギ……」
俺は人を殺めない団に入っている。
団に入っていなくとも殺人はしたくない。
人……、何を持って人とする?
人の形をするもの?コミニュケーションが取れるもの?共存してるもの?獣人亜人と人間との差とは?
横に立つ悪魔と目が合う。
グレモリーは何を言っているのか分からないといった顔をしていた。
「人であれ魔物であれ、敵は殺せばいいんじゃないの?
やらなければこちらがやられるし」
グレモリーの言っている事は分かる。それでも、自分の中で整理が付かない。
すると俺の横からニーナが飛び出し、リザードマンの首に短刀を当てる。
「待てっ!」
俺の制止を振り切り、ニーナはリザードマンの喉を掻っ切った。
緑の血が勢いよく噴き出す。
「ご主人様、殺しは私の仕事です。
トドメは私に任せてください」
それを見たグレモリーが、残り二体の動けなくなっていたリザードマンに素早くトドメを刺し、俺の方へ振り返る。
「そうね。
手を汚すのは私達だけでいいわ」
松明が悪魔の顔を照らす。
そこに悪魔特有の無表情は無く、何らかの感情が見え隠れしている。
嫉妬、虚しさ、苦しみ。
アデリッサの感情が表に出てきているのだろうか?
「あと、その松明消した方がいいわ。
こいつらがこの暗い洞穴で獲物を狙えるのは、熱探知が出来るからよ。
ちなみにそんなスキル、人間は持ってないと思うけど?」
慌てて【火魔法】を【解除】して松明を消す。熱探知スキルなんてあるのか。
それにしても、こんなに動揺するとは思わなかった。
「すまんな、こんな主人で……」
「ご主人しゃま……」
俺が良心の呵責に苛まれていると、ニーナが俺の腕に擦り寄ってきた。
「ご主人しゃまのそんな弱いとこを見ちゃうと……殺したくってゾクゾクしちゃいましゅ」
「ダメよ、ニーナ。
他の奴にテツオが殺されるくらいなら、私が先に殺すわ」
グレモリーも俺の腕に擦り寄ってきた。
両手の指先に生温かい湿り気が広がる。
ダメだ。こいつらは思考回路が元々壊れているカテゴリーだ。
何故こんな状況で濡れてるんだ?
精神衛生上、一番良くない二人連れてきちゃったかもしれないな。
「お前ら、いい加減にしろ。
先に進むぞ」
この時点では、テツオはまだ気付くよしもないが、この二人は二人なりに主人を案じていたのだ。
嫌われたくない、それでも役に立ちたい。
そう思い、自ら汚れ役を買って出たのだろう。
むしろ、今回の冒険で一番適任だったのはこの二人なのかもしれない。
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