第67話東の森④

 僕達は北ルートの終着点である、氷の渓谷までついに辿り着いた。


 ここまでの道中、あの二頭の犠牲になったと思われる魔獣や恐竜の血痕や骨、爪、牙などが多数確認できたが、身体部分は食べられてしまったからか殆ど残っていなかった。


 渓谷に近づくにつれ、木は疎らになり、道には雪が混じり出す。


 渓谷はもはやデカス山脈の一部といってもよく、植物には雪が積もり白くなっている。

 岩壁には氷の膜が張り、その岩壁の大穴からは水が激しく吹き出して、下流に向かって勢いよく落ちていく。


 所謂、滝だ。


 僕はその細長い滝を見下ろした。

 虹が見え、滝壺の周囲は植物が生い茂り、虫や鳥が飛んでいる。

 ここはこんなに凍えて寒いのに、下はかなり暖かそうだ。


 ん?

 小さくてよく見えないが、あれはテツオさんじゃないか?

 いや、間違いない。

 テツオさんだ。


「テツオさーん!」


 大声で叫んでみたが、全然気付いてもらえない。

 遠過ぎる。


「やめろカンテ。

 ここはもうデカス山の麓。

 デカスの魔物を呼び兼ねんぞ」


「すいません」


 リヤドさんに叱られてしまった。


 ともあれテツオさん達も無事、目的地まで到着したようでなによりだ。


 あとは帰るだけ。


 ん?

 団長の後ろの岩、今なんか動いたような?

 気のせいか?

 いや、これは擬態だ!


「団長危ない!」


 岩壁に出来た氷の結晶ごと岩が飛んできた!


 団長が瞬時に防御態勢を取ると、背中に巨大な盾が飛び出す。

 これは団長の盾技能スキル自動防御オートガードだ。

 よかった、間に合った。


 ゴン!という鈍い音が響き、弾けた氷がキラキラと光を反射させる。


 そんな、まさか!


 団長が身体ごと吹き飛ばされている!


「リヤド、すまない!」


 団長はただ一言を残して渓谷の下、滝壺へと落ちていった。


「団長ー!」


 リヤドさんが叫ぶ。

 もっと早く【植物魔法】が使えていれば、枝を伸ばしてキャッチできたのに!


「何だ、こいつは!」


 ヴァーディさんが驚いている。


 その身体部分をよく見てみると、黒く光る複眼に八本の脚。

 巨大な蜘蛛だ。


 デカス山脈には未知の魔獣がたくさんいるという。

 だが、こいつはその中でも多数の目撃情報がある魔獣の一匹だ。

 名前は確かゴルジュスパイダー。

 金等級ゴールド冒険者ですら倒す霊峰デカスの番人だ。


 デカス山を登る者の殆どはこいつにやられると聞いた事がある。

 果たして、僕達三人でこんな魔獣に勝てるのか?



 ——————




 俺とリリィ、メルロスは森を出てから徒歩で南口ベースキャンプまでやってきた。

 根拠地に待機している団員達が数人話しかけてくる。


 年下の団員は俺の事をテツオさんやテツオ様と呼び、年上の団員はテツオと呼び捨てる。

 名前の呼称は団規で決められ、領主や貴族であるだとか、入団の早い遅いだとかは関係無く、一律年齢序列だ。


 冒険者の集まりであるクランに、地位や身分は一切持ち込まない。


 正直、俺もその方が居心地がいいし、助かる。

 未だに領主とか貴族とかはよく分からないし、なかなか慣れるものでもない。


 団員達が、成果を聞いてきたり、労いの言葉をかけたりしてくるが、それは団員である俺に対してだけだ。


 非団員であるリリィとメルロスはキャンプには入れないので、入り口手前で待っている。


 リリィは一国の姫としての洗練された容姿と高貴な雰囲気を纏い、メルロスはハイエルフの高潔な精神性と人間離れした美貌を持つ。


 そんな一般人が滅多に会うことが無い存在が、あぜ道に何もせずただ立って待っている。


「テツオ、あのお二方はおもてなししなくてもいいのだろうか?」


 男性団員の一人が、意を決してテツオに話を振る。

 男団員計七人がちらちら、そわそわ、ざわざわ、うろちょろ。

 美女二人が気になって仕事が手に付かない状態じゃないか。

 困ったもんだ。


 ふと、二人の方を見やる。


 ふむ、確かに。


 どちらも澄ました顔をして、ただ立っているだけなのに、改めて客観的に見ると、ルックスもプロポーションも抜群だ。

 だが、あれらは俺の女であって、うぬらが気安く声を掛けていい存在では無いのだ。


 すると一陣の風が吹き、リリィの短いスカートがなびき綺麗な太ももが丸見えになる。

 メルロスの薄いローブが身体に張り付いて大きな胸が強調される。

 なんてイタズラッキーな風なんだ。

 これは、団員達には見せたくない。


 ムラムラする気持ちを抑え、厳しい顔を貫く。


「団の規律なので、あのまま待たせておきます」


「そ、そうか……」


 団員達はあからさまに落胆し、あっさりと俺に背中を向け、すごすごと持ち場へと戻っていった。


 なんなんだよ。

 なんか俺がケチみたいじゃないか。

 団のキャンプには部外者立ち入り禁止と規律があるんだから、俺は絶対悪くない。

 まぁ、実はそこまで厳しくないみたいだが。

 商人とか普通に入れるしね。


「テ、テツオ殿ぉぉ!」


 おいおい、しつこいな。

 殿なんて付けても、俺の女に近付けさせはしないぞ!


「ああ、天の導きか!

 ここでテツオ殿に会えるとは!

 アンディを!

 アンディを助けてください!」


 こいつは確か三馬鹿の……


「ナイフ使いか?」


「ああ、ナイフ使いでいい!

 アンディが死にそうなのだ!

 今、北のキャンプにいる!」


 自他共に認めるナイフ使いが俺の手を掴み、急かすように馬小屋へと向かう。

 痛い痛い。


「分かったから、落ち着いてくれ。

 こっちに来るんだ」


 キャンプ入り口にナイフ使いを連れて行く。

 北口ベースキャンプがどこにあるのかは分からないので、【転移】は出来ない。

 ナイフ使いの肩に手を置くと、リリィとメルロスが俺に必要以上に抱きつく。

 キャンプにいる団員にはバレないように浮遊し、北のキャンプが視認出来る位置まで上昇する。


 四人か。

 結構魔力を食うな。

 だが、人助けだし仕方ない。


 北のキャンプへと【転移】した。



 ———————



 蜘蛛は途轍もなく強かった。


 魔法が使えないってのがこんなに厳しいだなんて。


 先輩二人がいなかったら、僕の命は無かったかも知れない。


 だけど、蜘蛛以上にこの二人は凄かった。


 アンディさんがやられ、団長が墜落し、強敵を前にして、二人の纏う空気が明らかに変わった。

 鬼気迫る表情で息の合った連携攻撃を繋げ、蜘蛛の脚が次々と落ちていく。


 まるで銀等級シルバーの枠に収まらない動きだ。


 リヤドさんが蜘蛛をひきつけ、ヴァーディさんが隙を狙う。

 蜘蛛がヴァーディさんに攻撃しようにも、前方に構えた大剣に当たれば斬れるのは奴の方だ。

 苦し紛れの糸を吐いても、リヤドさんが盾や剣で巧みに防御する。


 遂に倒せないと判断した蜘蛛は観念して逃げていった。


 追撃しなかったのは僕が怪我をしてるせいもあるが、二人も共に体力の限界だったからだ。

 それくらいあの蜘蛛は強かった。


 ハイポーションをがぶ飲みしたお陰で何とか歩けるまでには回復したが、足手まといには変わりない。


「よし、急いで森を出るぞ!

 一旦キャンプでパーティを組み直し、南ルートから団長の捜索だ」


 ヴァーディさんは何も言わず僕を抱え、リヤドさんと共に駆け出した。

 この人はやっぱり優しい人だ。



 ——————



「し、信じられん」


「ああ、俺は夢を見てるのか?」


 満身創痍のリヤドとヴァーディには、まだ驚く力が残っていたようだ。

 それどころか、むしろ元気になったんじゃないか?と思えるくらい顔に明るさを取り戻していた。


 リヤド、ヴァーディがカンテを伴って、北口キャンプに帰還したのは午後二時過ぎ。


 三人共に足がふらつき、今回の任務がいかに厳しかったかを表している。



 彼等の目の前には信じられない光景が広がっていた。


 今到着した三人以外の全団員が、豪快なジョノニクスの肉鍋を取り囲んで賑やかに談笑しながら食事をしている。

 北口キャンプの場に、今回遠征に出た二十人が集結したわけだ。

 ただ、テツオは急用があるとかで、ジョンテの街へ向かったらしい。


 三人に気付いた治療班ヒーラーが【回復魔法】を掛けに近付くと、それを押し退けてヴァーディが駆け寄る。


「どうなってやがる?」


 肩から腰にかけてジョノニクスに食べられ半身が無くなった筈のアンディが五体満足に鍋を食べている。

 その横で、崖から落ちた筈のソニア団長が何故か既にここにいる。


「ヴァーディ、リヤド、カンテ、無事戻ってなりよりだ。

 ご苦労だった」


「いやいや、説明して下さい団長。

 一体何が?」


 リヤドがその場に膝をついて、団長に事の顛末を訪ねた。


「アンディはテツオのお陰で無事回復した。

 私は、森で活動する冒険者に助けられ森を出た」


 端的に説明する団長に三人は言葉に詰まる。

 そんな簡単に言われても、すぐに受け入れられるものではない。

 奇跡とかそういった類いの事が起こっているのだから。


「ヴァーディ、迷惑をかけて済まなかった!

 俺はこの通りピンピンしている!

 これが、テツオなんだ!」


 アンディが胸をドンと叩いてアピールする。


「滝壺に落ちた私を助けてくれた冒険者は、テツオ達とも会っていたらしい。

 森を出る道案内までしてくれた。

 これも人との縁というものかもしれないな」


 分かったら早く座れと、団長が三人に食事を促す。


 欠損した身体が治る程の【回復魔法】など聞いた事がない。

 しかし、テツオならばあるいは、と三人は無理矢理納得した。

 あの新人には驚かされてばかりなのだ。


 ともかく今回も無事に任務を達成する事が出来た。


 三人が輪に加わり、鍋を口に運ぶ。

 ジョノニクスの肉は甘くて柔らかく、芳醇な香りがする贅沢な味わい。

 

「こいつ、こんなに美味かったのか!」


「僕、こんな美味しい肉食べたの初めてです」


 美味いメシを食べ、仲間と笑い、生を喜び合う。


 それが、【ノールブークリエ】というクランの在り方なのだ。


 そして、また一段とクランの絆が深まっていった。

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