48.5話 カイルとイリスというご令嬢


「まぁ、イリス様。制服、とてもお似合いですね!!」


 明るいメアリの声が、春の陽が差し込む部屋に響いた。

 うっとりとしたメアリの視線の先では、王立学園の制服を着たイリスが照れくさそうに立っていた。


(……メアリの言う通りだな)


 きゃいきゃいとはしゃぐメアリとイリスを、カイルは無言で見守っていた。


 黒死病の災禍が過ぎ去ってから一年半。

今年16歳になるイリスは、春から王立学園に入学する予定だ。


真新しい制服が、ほっそりとしたイリスの体を包んでいる。

黒い制服にふわりと舞う薄紫の髪の対比が鮮やかで、カイルの心をかき乱した。

翻るスカートから見え隠れする白い足にどきりとし、意識して視線を引きはがすことになる。


(……俺は何をしているんだ……)


 カイルが葛藤していると、ひやりと背筋が寒くなる。

 殺気にも似た気配に、反射的に剣を握ってしまった。


「わっ、カイル様‼ いきなりどうしたんですか⁉」


 叫び声をあげたフランツは、殺気まがいの気配を放った犯人の片割れだ。


「無意識に剣の柄を握り込んでしまうほどに、カイル様は戦いと鍛錬に飢えているのかもしれませんね」


 もう一人の殺気の主、リオンが笑顔で口を開いた。


「鍛錬をお求めなら、外に出て思う存分、剣を振ってきたらいかがでしょうか?」

「うんうん。僕もそう思うよ。せっかくだからリオンとカイル様の二人で、模擬試合とかいいんじゃないかな?」

「模擬試合、いいですね。ライナスとカイル様の模擬試合は見ごたえがあり勉強になりますから、フランツ様が審判を務めたらよいと思います」


 二人ともにこやかだが、目が笑っていなかった。

 二人の間に無色の火花が散っているのを、カイルは確かに感じた。

 仲良く会話をするていで、イリスの傍から邪魔な相手を引き離そうとしているのが丸わかりだ。

 話を振られたライナスも、すえた目でフランツとリオンを見ている。


「俺を巻き込むな。腹黒だけでやってろ」

「だそうですよ、フランツ様」

「あはは、腹黒って君のことでしょ?」


 フランツは小声で言い返した。

 イリスに聞こえないよう、猫を被っているのだ。


「僕は模擬試合に興味は無いそ。リオンとカイルの二人で外に行って、陽が沈むまでやりあえばいいさ」

「いえいえ、どうぞ遠慮なさらず。イリス様たちは従者である私が見守っていますから、フランツ様とカイル様で貴族令息同士仲良く、交友を深めてきてください」


 笑顔で繰り広げられる舌戦は、一進一退の様子だった。

 口下手の自覚があるカイルには真似できないし、真似したいとも思えない二人だ。

 引き気味に見ていると、メアリが男たちへ呆れ顔を向けた。

 

「私とイリス様、女同士二人でおしゃべりしてますから、お兄様達4人は仲良く、外で模擬試合をしてきたらいいと思います」

「……メアリの言う通りだな」


 カイルは口を開くと、リオンとフランツ、そしてライナスを見た。


「おまえたちも来るだろう? それが一番、平和だからな」

「……仕方ありませんね」

「痛み分けの、落としどこってとこだね」

「わかったよ。腹黒どもがめんどくさいからな」


 リオン、フランツ、ライナスの順に了解の返事が返ってきた。

 三人と共に外へ歩き始めるが、カイルの心はイリスへと向けられていた。


『カイル様……』


 イリスに初めて名前を呼ばれた時、警戒心を抱いたのを覚えている。


 あの頃からカイルは、多くの令嬢の注目の的だった。

 手を替え品を変え、自分に近づこうとする令嬢たちに、カイルは辟易としていたのだ。

 

(イリスのことも最初は、メアリをだしに俺に近づこうとする令嬢かと思ったからな……)


 イリスは一方的に、カイルの顔と名前を把握していた。

 そのせいで、てっきりカイルのことを盗み見していた令嬢なのかと思ったのだが……。


(失礼な勘違いだったな……)


 勘違いから、イリスへの態度が辛らつになってしまったのに、彼女は気にすることなく、メアリの治療を行ってくれたのだ。

 今となっては思い出したくない、恥ずかしい過去の自分だった。


(……でも、そんな俺にも、イリスは笑いかけてくれたんだ)


 メアリの診察に付き合い、イリスと交流するうち、少しずつ距離が近づいていった。

 メアリの付き添いとしてだけではなく、カイル自身がイリスに会いたくて、足を運ぶようになっていたのだ。


 イリスに会いたくて、でもそのせいで……メアリがペストに感染してしまって。

 情けなくカイルが取り乱している時にも、イリスは歯を食いしばり立ち続けていた。


『メアリはきっと助かるわ。……助かると信じて、今自分が出来ることをするのよ』


 そう告げたイリスは、恐怖と不安を抱えながらも、必死に前へ進もうとしていた。

 紫の瞳に宿った光は強くも優しくて、真っすぐにカイルに向けられていたのだ。


『私が、カイルにここにいて欲しいと望むわ』

 

 今でも、そう告げられた瞬間のことはよく覚えていた。

 

(あれは本当に、ズルい言葉だったな……)


 言われた当時は、恐怖と戦うので必死で気づかなかったけれど。

 

 今にして思えばきっと。

 あの時自分は、どうしようもなく恋に落ちてしまったのだ。

 


☆☆☆☆☆



 ――――カイル・リングラード。


 ゲーム中のカイルは、妹と母親を失い深い心の傷を負った騎士だった。

 心を閉ざし氷の表情で、妹と母親の分も国に尽くさんとばかりに、剣の道に邁進していたのだ。


 真面目で不器用であるがゆえ、自己を顧みずどこまでも突き進んでしまう。

 そんな危うい性質を持つカイルだったが……。


 ――――妹と母親を失わず、喪失による歪みを回避したカイルは、常識を備えた騎士に成長した。

 リオンとフランツの舌戦を遠巻きに、イリスの姿を目で追う毎日が、今のカイルの日常なのだった。

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