24話 手洗いは基本です


「あぁ、約束しよう。……石鹸を広め、手洗いに使ってもらうことこそが、イリスの本命の目的なんだろう?」


 お父様の言う通りだ。

 石鹸の販売はお金のためだけではなく、私の悲願、長生きのための一歩でもあった。


 ―――――前世の歴史において。

 もっとも偉大な医療的な発見が何か決めるとしたら。

 候補として間違いなく、手洗いの有用性の発見があげられるはずだった。


 病気の治療は医療の大切な役割だけど、一番良いのはそもそも人間が病気にかからないよう、あらかじめ対策し予防することだ。

 そして予防の観点で考えると、手洗いの習慣はとても重要かつ有用なのだった。


「石鹸で手を洗う習慣を広めれば、病人が少なくなるはずです」

「しかし、汚れてもいない手を洗うだけで、本当に病気が防げるのかい?」


 お父様がいぶかしむのも当然だった。


 こちらの世界の石鹸は、もっぱら衣服の頑固な汚れに対して使うものだ。

 理由は石鹸が高級品で、気軽に使うことができないものだから。

 加えて泡立ちが悪く香りも良くないときたら、人々の目には石鹸が、あまり魅力的に映らないようだ。


 当然、帰宅時や食事前に石鹸で手を洗う習慣もなく、せいぜいは泥などで手の汚れがひどい時に、石鹸を使うくらいだった。


「私たちの手には細菌やウィルスといった、目に見えない汚れがついているんです。石鹸はそういった汚れを落とし、病気を防いでくれます」


 手指の衛生管理は、医療の基本中の基本だ。

 習慣づけることで感染症予防に役立つが……効果が目に見えず、恩恵がわかりにくいのが欠点だった。

 地球でも19世紀になるまで、手洗いは重要視されていなかったものね……。


「ただ手洗いの効果を伝え石鹸を販売しても、普及するには時間がかかると思います。ですがこの石鹸を使い手を洗えば、ほんのりとした自然な香りを手にまとわせることができます。それに、シャボン玉遊びの原料になる、という付加価値もあります。香りづけと遊び道具しての面を押し出し、石鹸を普及させていきたいんです」


 香りづけに私作の石鹸を使ってもらうことで、手洗いの習慣をつけてもらう。

 そうするうち、病気になりにくいことに気づき、自ら進んで手洗いをするようになる……。

 ……というのが理想だけど、どこまで上手くいくか未知数だ。


 シャボン玉を作れるというビジュアル面の強みがあるし、香りにもこだわったから、それなりに売れるとは思いたいけど……。

 手洗いの習慣が根付くかは、やってみなければわからないところだ。


 まぁ、どちらにしろ。

 周囲の衛生水準を引き上げるには、コツコツと地道に取り組んでいくしかなかった。


 お父様と公爵家の人脈を使い、貴族や富裕層に石鹸を販売する。

 同時に公爵家と分家の使用人たちに石鹸による手洗いを行わせ、病気の発生率が低下すると実感してもらう。


 そして並行して、親交のあるライナスの村の人たちにも、手洗いを習慣づけるよう指導していく。

 私が井戸や水回りの整備に取り組んだのも、水を潤沢に使える環境を整えることで、村人が手洗いをしやすくするためだ。


「手洗いの効果は、すぐには実感できないかもしれませんが……。周囲の衛生状況を改善すれば、周り回って私やお父様が、病気に倒れる確率も下げられるはずです」


 それこそが、私が石鹸のプレゼンテーションに励んだ理由だ。


 医療が未発達なこの世界では、風邪からのポックリさよらなルートの危険性も高かった。

 ある程度は私の薬で治療できるとはいえ、やはりそれだけでは不安だ。


 悪役令嬢とはいえ、せっかく公爵家の令嬢に転生したんだから、使える権力は使って、周りの衛生状態と医療水準を上げていくつもりだ。


 ……外見年齢歳11の行動としては、色々と不自然かもしれないけれど。

 幸運なことに、私の傍にいるリオンも大人びた性格のため、私の行動もそれなりに受け入れられている。

 お父様の鉛中毒を治療した実績もあったおかげで、お父様が私の行動を尊重してくれているのも幸いだ。


 前世の私は、三十歳になる前に肺癌で死んでしまっている。

 魔術を使い、お父様の協力を得て、権力を活用して。

 今世こそ長生きするために、私は努力すると決めていたのだった。



☆☆☆☆☆

 


 お父様の部屋を出た私は、屋敷の一角に与えられた部屋へと向かった。

 鍵を差し込み、開錠。

 部屋の中には危険物も多いため、管理は厳重にしていた。


 壁一面に棚が取り付けられていて、色とりどりの液体が入ったガラス瓶や、陶器の壺が並べられている。

 中身は様々な植物や鉱物、そして魔術で作り出した薬だった。


「リオン、今日も手伝いをお願いね」

「喜んで」


 この部屋は私の実験室のようなものだ。

 リオンを助手に、私は魔術と薬の研究を行っているのだった。

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