22話 ルイナさんとリオンの変化について
前世の記憶を取り戻してから二年がすぎ、私は10歳になっていた。
ゲームの中では、悪役でしかなかった私の幼少期は描写されていなかった。
だから現時点でどれくらい、死亡フラグが折れているかはわからないけど……。
おそらくそれなりに、前世知識を得た私の影響で、ゲームとはズレが出てきたんじゃないだろうか?
「イリス様、井戸の件の報告書ができました」
「ありがとうございます」
廊下を歩いていると、ルイナさんが歩み寄ってきた。
明るい笑顔を浮かべた彼女は、出会った頃とは別人のようだ。
激しい運動こそできないが、貴族時代の教養を生かし、屋敷で働いてくれている。
最近ではお父様からの信頼も厚くなっており、秘書のような役目をこなしていた。
「……なるほど」
ルイナさんのまとめてくれた報告書の束をめくっていく。
書かれているのは、井戸の水質改善にまつわる件についてだ。
ライナスの村を皮切りに、領内のいくつかの村の水事情改善に私は関わることになった。
各村の井戸を調査すると問題が見つかり、井戸水が原因らしい症状を訴える人間もいたのだ。
私の鑑定スキルの結果、胃炎や胃潰瘍の原因になる、ピロリ菌が検出された井戸があった。
ピロリ菌はその性質上、塩素に弱いため、私の魔術で次亜塩素酸ナトリウムを作れば井戸水の浄化は可能だ。
水が問題なくなったら、あとは領民の体内に入り込んだピロリ菌を除菌してやればよかった。
21世紀の日本においてピロリ菌の除菌は、3種類の薬を用いた3剤併用療法により行われていた。
私もそれにのっとり、領民たちの治療を行ったのだ。
「……慢性的な腹痛を訴えていた領民のうち、おおよそ5割ほどが改善……」
報告書に書かれているのはまずまずの数字だ。
腹痛が改善しなかった領民は薬があわなかったか、別に腹痛の原因があるはず。
そちらについても、おいおい対策していくことにしよう。
「領民たちはとても喜んでいるようです。長年悩まされていた腹痛がなくなり、イリス様に感謝していました。これからも、井戸水が原因の腹痛の治療は行われるつもりですか?」
「そのつもりです。領内の他の村にも範囲を広げて、調査と治療を行っていきたいです。データのまとめや治療の手配など、ルイナさんにまたお世話になっていいですか?」
「もちろんです! 喜んでお手伝いさせていただきますね」
やる気たっぷりなルイナさんと軽く打ち合わせをし、それぞれの行く先へと別れた。
小さくなっていく背中を見て、ふと考えることがある。
生き生きと仕事をしているルイナさんだけど、ゲーム中では本編の時期に既に亡くなっている。
私のプレイした範囲では、死因については語られていなかったけど……。
おそらく、治療されず放置されていた喘息が原因だ。
ゲーム中とは違い、喘息の症状が和らいだルイナさんの死亡フラグは折れたと思いたかった。
「何を考え込まれてるんですか?」
背後に控えるリオンが声をかけてきた。
振り返り、軽く視線を持ち上げる。
11歳になったリオンは、ぐんと背が伸びてきた。
私より少し高いくらいだった身長が、今は10cm以上の差がついている。
「イリス様、お気を付けください。この前も歩きながら薬について考え、廊下で転びかけていました」
「……気を付けるわ」
私の答えにリオンが笑みを微かに深める。
リオンの変化は身長だけでは無かった。
最近はいつもソツのない、穏やかな笑みを浮かべているのだ。
「……リオン、別に無理に笑わなくてもいいのよ?」
「無理などしていません。イリス様のお傍に侍る従者として、無表情より笑顔が相応しいと考えたら、自然と笑えるようになりました。笑顔の僕はお嫌いですか?」
「そんなことないわ。リオンの笑顔、とても素敵だと思うもの」
屋敷に来たばかりの頃は無表情だったリオンが、笑顔を見せてくれるようになったのだ。
リオンの心の内全てはわからなくても、それは歓迎できる変化だった。
「……ありがとうございます。イリス様にそう言っていただけましたし、これからも笑顔でお仕えしたいと思います」
リオンが一瞬目を見開き、すぐに笑みの形に細めた。
先ほどまでのソツのない笑顔とは違い、今は本当に嬉しそうにしている。
彼が納得し嬉しそうにしているなら、表情の件について心配する必要は無さそうだ。
「リオンはよくやってくれてるわ。屋敷の使用人とも、だいぶ打ち解けてきたんでしょう?」
元貴族という境遇と、いつも無表情だったせいで、リオンは使用人たちに遠巻きにされていた。
が、それも過去になりつつあり、最近は使用人たちと和やかに談笑している姿をよく見かける。
リオンが良好な人間関係を築けているようで安心だ。
「使用人と良好な関係を維持するのも、イリス様の従者の仕事の一環ですか――――」
「イリス様! 今日もきてやったぞ」
リオンの言葉を遮り、ライナスの挨拶が響いたのだった。
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