21.5話 ライナスとイリス様


「ライナス!」


 村の中を歩いていたライナスは、呼び声に振り返った。

 声をかけてきたのは、3つ年上の村の少年だ。


「今日はイリス様のところに行く日だろ?」

「イリス様宛にまた、俺に持って行って欲しいものがあるのか?」


 足を止め、気負うことも無く会話する。

 イリスがこの村を訪れ、ダイルートの不正が暴かれてから一年ほど。

 村人からのライナスへの扱いは、大きな変化が訪れていた。


 領主だったダイルートに火の魔術で立ち向かったライナスは、村中から一目置かれるようになっていた。

 村の恩人である、イリスの友人だという点も好印象なようだ。

 以前のように腫物扱いされることはなくなり、ほどほどの距離感で、村人たちと交流することができていた。

 

「俺んちの畑で、できのいいカブが取れたんだ。イリス様にお届けしてくれ」

「あぁ、わかった。おまえが今持ってるそのカブでいいんだな?持ってってやるよ」

「手がふさがってるが、今持っていけるのか?」


 ライナスは両手で持っていたバケツを片手持ちにした。


「問題ない。喉が渇いたっておふくろが言ったから、少し水を汲んできただけだ」

「あぁ、そうだったのか。こうして気軽に水を飲めるようになったのも、イリス様のおかげだよな」

「井戸からの水くみは大変だったからな」

「だよなー。俺、水汲み当番の日はいつもだるかったもん」


 滑車による補助があるとはいえ、何メートルも下から、井戸水をくみ上げるのは大変だ。

 村人は毎朝、その日に使う分だけの水をまとめて井戸から汲み、それでやりくりしていた。


 今はイリス発案で整備された上水道により、川の水が村の中まで導かれ、貯水槽の中に貯められている。

 いくつかの薬品とろ過装置を使ったおかげで、水は綺麗で清潔だった。

 井戸水に頼りきりだったころと比べ、貯水槽からのくみ出しは楽ちんで気軽に行えるし、一日に使用可能な水の量も増えているのだ。


「ほんとイリス様と公爵家様様だよな~~。イリス様、目つきが鋭くおっかなくて近寄りがたいと思ってたけど―――」

「はぁっ? 今なんて言った?」

「うおっ⁉」


 聞き捨てならない言葉、イリスへの悪口に、ライナスは少年を睨み上げた。


「ちょ、睨むなよ!! おまえそうするとこえーんだよ!! 俺の話を最後まで聞け。イリス様のこと、最初は目つきが鋭くて少し怖かったけど、今は感謝してるし尊敬してるって話だよ」

「……ならいい」


 ついかっとなってしまっていたことに気づき、ライナスは顔を背けた。

 それにライナスだって自分自身、イリスとの初対面時の態度は、褒められたものではないと思いだしたのもある。

 

(俺、かっこ悪かったよな……)


 あの頃のライナスは、姉以外の人間に強い警戒心を持っていた。

 自分たちを助けてくれたイリスに対しても、意識が戻るや否や、炎をけしかけてしまったのだ。

 火傷はさせないよう最低限気は配ってたとはいえ、決して褒められた行為ではない。


 しかもイリスは公爵令嬢だったわけで、普通ならライナスは家族もろとも、厳罰を与えられても仕方ない行いだった。


(なのに、イリス様は変な奴だった。怒ることもなく、俺の捻挫の治療をしてくれたんだ)


 あの日のやりとりのことを、ライナスはよく覚えていた。

 

『怪我の治療? おまえ、俺が怖くないのか?』

『怖くありませんよ』


 イリスの言葉を、最初ライナスは信じられなかった。


 君のことは怖くない、と。

 同じようなことを何度か、村人に言われたことがあった。

 しかし村人たちはいざライナスが近づくと怯え、嘘を言ってるのが丸わかりだったからだ。


 優しい言葉を信じ、これ以上傷つくのは御免だ。

 そう怯えていたライナスは、必死にイリスを遠ざけようとした。

 

『くるなよ! おい止まれっ!! 燃やされたいのか⁉』

『燃やせないわよ』


 なのにイリスは逃げることもなく、ライナスの怪我を案じてくれたのだ。


『ほら、やっぱり。ライナスは誰かを傷つけることはしない、いえ、できないでしょう?』


 そう言われた時、ライナスは泣きたくなってしまった。


 姉以外にも、自分を怖がらないでくれる人がいること。

 そしてその相手が、自分を心配していてくれること。

 嬉しいのかどうかすらわからず、ただ衝撃的だったのだ。


 うっかりすれば涙がこぼれてしまいそうで、つい、イリスのことをワガママ姫などと、憎まれ口をたたいき誤魔化してしまった。

 あの日の自分は恥ずかしいやら情けないやら、後悔していることも多いけど、それでもイリスに出会えたことは、ライナスにとってまぎれも無い幸運だった。


(あの日から、なにもかもが変わっていったんだ)


 イリスの治療のおかげで、後遺症も無く捻挫が治り。

 イリスに誘われたおかげで、魔術を一緒に学ぶことができて。


 いつもイリスについてくるリオンは気に食わないけど、彼もまたライナスを恐れることなく、対等に接してくれている。

 イリスとリオンはライナスにとって、初めての友達になっていたのだ。


(それにイリス様が動いてくれてなかったら、おふくろがダイルートに連れ去られてたんだ)


 イリスのおかげもあり、今もライナス達家族は、一緒に暮らすことができていた。

 あの村での騒動をきっかけに、ライナスと父親との関係も改善し、昔のように親子仲良くやれている。

 今日だって、ライナスがイリスの屋敷に向かう日ということで、とびきりの野菜を土産にと選んでくれているところだ。


(イリス様、公爵令嬢なのに泥臭い野菜でも、喜んで受け取ってくれるからな)


 なんでも、公爵家の領地である村で、どのような作物が育つのか興味があるようだ。

 イリスは村の上水道の整備など、領地の運営に積極的に携わっていき、成果を上げ始めているようだ。


(イリス様は変な奴だけど、きっとすごい奴なんだろうな……)


 同い年といえ、身分も教養も、イリスとライナスでは大きく差があるのだ。

 本来なら言葉を交わすことも難しい彼女と交流を持てているのは、ライナスが高い魔力量を持ち魔術が使えるからこそだった。


 長い間、村人からの腫物扱いの原因であった魔力量だけど。

 ライナスは自分の生まれ持った魔術の才能を、肯定的に受け入れられるようになっていた。

 魔術の才能を磨いて行けば、これからもイリスの近くにいられるからかもしれないからだ。


「……リオンに負けないよう、魔術の練習頑張らないとな」


 いずれ彼とは魔術の腕に関してだけではなく、決して譲れない争いをすることになるかもしれない、と。

 イリスを見ると跳ね上がる鼓動に、ライナスは漠然と感じていたのだった。



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