19話 プールの匂いの正体です
《井戸水:飲用になる水。大腸菌は検出されない》
井戸水へ指を浸した途端、脳内に情報が浮かんでくる。
私の毒に特化した魔力の副産物、《薬・毒鑑定》と名付けたスキルだったが、これだけでは情報が不十分だ。
指先に神経を集中させ、微量の魔力を放出していく。
《井戸水:飲用になる水、大腸菌は検出されない。カドミウム及びその化合物0.003mg/L以下、水銀及びその化合物0.0005mg/L以下、セレン及びその化合物―――――――》
脳内に次々と、井戸水の詳しい情報が浮かんでくる。
人体に有害な物質、つまり毒が含まれていないか、これでほぼ完ぺきに確認できたようだ。
魔術が使えるようになって数か月。
《薬・毒鑑定》の使い方を、私はコツコツと研究していた。
対象を目視したり触れるだけでも、毒が入っていないかなど、ある程度の情報の習得は可能だ。
更に微量の魔力を対象に流すことで、より詳細な情報を知ることができるらしい。
……魔力を通し対象とつながることで、情報を習得しているのだろうか?
詳しい原理はわからないけど、応用が利きそうなスキルだ。
スキルを使用した井戸水は、前世の水道水質基準と照らし合わせても、飲用に問題ないのが判明した。
「……イリス様、黙り込んでどうなされたのですか?」
「井戸水が綺麗かどうか、念のため確かめていたんです。次は村の近くの川へ行って、水を確認したみたいと思います」
「川の水を、ですか……? 案内はいたしますが、飲むのはおやめになった方がよいかと思います」
ライナスのお姉さんの話を聞きながら、村の外れにある川へと歩いて行く。
「昔、子供たちがふざけて川の水を飲んだことがあって、何人も腹痛で苦しみ、死者も出てしまったそうです」
飲用には適さない水のようだ。
近くに川があっても、有効利用されていないらしい。
「飢え乾いても川の水は飲むなと、この村ではそう伝えられています。川の水は日照りの時、畑に撒くように使うくらいです」
「情報ありがとうございます。でも、もしかしたら、川の水を飲めるようになるかもしれません」
私は言うと、リオンへ合図を出した。
差し出された陶器の瓶の中へ、魔術で薬品を生成していく。
「イリス様、それは一体?」
次亜塩素酸ナトリウムの水溶液だ。
前世では水の消毒によく使われていた、いわゆるプールの匂いの元だ。
ツンとくるプールの匂いの正体は、次亜塩素酸ナトリウムと汗などが反応したものだった。
「水の中にある病気の元を、無害にすることができる薬です。この薬や、他にいくつかの濾過方法を使うことで、これからは川の水も使用できるようになるはずです」
「本当にそんなことが……?」
「できるはずです。確か、井戸水は一日にくみ出せる水に制限があるのですよね? 毎日井戸から水を汲むのも重労働だと思います。こちらの村に大工と石工を呼び、川からの水をひく設備と、川の水を綺麗にする設備を作ってもらえるよう、お父様にお願いするつもりです」
「もしそれが実現したら、私達にはとてもありがたいことですが……。かなりお金がかかるのではないでしょうか?」
「資金源については、いくつか心当たりがあります」
「それは一体どのような――――」
お姉さんが唐突に口を噤んだ。
村の方から男性の悲鳴があがった気がする。
嫌な予感。懸念していたことが、的中したのかもしれない。
私たちは川を目前に、慌てて村へと引き返すことにした。
悲鳴のした方へ向かう途中、今度は怒鳴り声が聞こえてくる。
「おいそこのガキっ!! おまえは何をしたかわかっているのかっ⁉」
声の主は領主のダイルート。
かつてライナスを馬車で跳ねた中年男性だ。
「この私の服を焦がしたんだぞ⁉ 縛り首にしてやるっ!!」
「やれるもんならやってみろっ!!」
ライナスの声が聞こえる。
村人たちが集まっているのが見えてきた。
「おまえが先に、俺のおふくろに手を出したんだろう⁉ やったらやり返されるのが当たり前だ!!」
「当たり前だと⁉ おまえ、私が誰だか知らないのか⁉」
「知るかよ――――っ⁉」
「息子が失礼いたしましたっ!!」
村人たちの輪の中心。
ダイルートとにらみ合うライナスの前に、ライナスのお父さんが飛び出した。
「おやじっ⁉」
「息子はこちらでよく叱っておきます!! ですからどうか!! どうかお見逃しくださいっ!!」
「ふざけるな!! 私に無礼な口をきいて、タダで済むと思っているのか⁉ 親子二人、この場で殺して――――」
「そこまでです」
ライナスたちを庇うように。
ダイルートの前へ、私は立ちふさがったのだった。
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