10話 領地がどうなっているか気になります

「おはよう、リオン」


 ――――私がお父様とルイナさんへ、薬を渡してから一月ほど経ったその日の朝。

 いつものように、従者のリオンが部屋へとやってきた。


「リオン?」


 リオンは部屋に入ってきてすぐ、なぜか動きを止めてしまっていた。

 こちらを見たまま、なにやら目を細め固まっている。


「どうしたの? もしかして今日の私の格好、どこかおかしいかしら?」


 視線を下へ向けスカートを見る。

 鮮やかな青い布地を、白のレースとフリルで飾ったドレスだ。

 背中のくるみボタンはきちんと留められているし、大きなしわもできていないはずだけど……。

 

「違います。イリス様は今日もかわ……きちんとされていらっしゃいます」


 リオンが首を横に振り答えた。

 無表情だが、途中で何か言おうとして言葉を濁している。

 顔に出ないだけで、リオンなりに慌てているのかもしれない。


「朝の光が眩しくて、少し目がくらんだだけです」

「……本当にそれだけ? 朝陽が目に染みるのは、寝不足だからだったりしない? ここのところリオン、とてもよく働いてくれているでしょう?」


 リオンは勤勉な従者だった。

 まだうちで勤め始めて一月だけど、先輩の使用人たちの指導を受け、どんどんと成長し仕事をこなしている。

 昨日は私が眠るまで部屋の外で控えていたし、今朝も私よりずっと早く起きて動いていたはずだ。


「もし眠り足りないなら、今日は休みをもらって――――」

「そのようなことを仰らないでください」


 私の言葉をさえぎり、リオンが口調を強め言い切った。


「僕はイリス様の従者です。従者と言うのは、主人の傍に控えているものでしょう?」

「それはまぁ、そうなのだけど……。もし体が辛い時は早めに教えてね?」


 体調不良なリオンを従者としてこきつかうとか、悪役令嬢まったなし、破滅フラグが立つかもな行動だ。

 リオンには私の長生きのためにも、無理せず働いて欲しかった。


「リオンの健康が一番大切よ。体調が悪いなら遠慮せず、私に教えて欲しいの」

「……イリス様は、そんなにも僕のことを思いやってくれるんですね」

「これくらい普通よ」


 人間健康が一番だもんね。

 一人頷きつつ、リオンと共にお父様の待つ食堂へと向かった。


「おはよう。今日もイリスは愛らしいね」


 椅子に腰かけたお父様が、にこにこと笑顔を向けてくる。

 ここ一か月で、お父様の雰囲気はぐっと穏やかになっていた。


「お父様、おはようございます。今日も腕をお借りしますね」

「あぁ、よろしく頼むよ」


 お父様の手首、親指側へと、私は三本の指で触れた。

 背後ではリオンが、小さな砂時計を取り出しひっくり返している。


 1、2、3、4、5……。


 指先で触れる脈を数える。

 砂時計の砂が、一分で落ち切るまでに脈拍が75回。

 成人男性として標準的な脈拍数であり、脈の間隔も一定だった。


「イリス様、こちらは16回です」


 お父様の呼吸数を数えてくれていたリオンの報告に頷く。

 脈拍、呼吸数ともに正常。

 顔色も良く、軽く診たかぎりでは、お父様の体調に問題は無さそうだ。


「良かったです、お父様。薬の方、よく効いているようです」

「あぁ、こんなに体が軽いのは数年ぶりだよ。これも全部イリスのおかげだな」


 お父様が私の頭を撫でた。

 大きな掌がくすぐったくこそばゆい。

 上機嫌な今のお父様なら、こちらの願い事も聞いてもらえるかもしれない。


「お父様、聞いてください。私、お願いしたい事があるんです」

「イリスの願い事なら、もちろんなんだって叶えてあげるよ。新しいドレスが欲しいのかい? それとも王都で評判のお菓子を取り寄せようか?」

「いえ、違います。私、屋敷の外へ出てみたいんです」

「……何だって?」


 お父様の顔が曇った。

 なんだって叶えると言っていたけお父様だけど、予想外の願い事だったらしい。


「イリス、なぜそんなことを言うんだい? おまえが心地よく過ごせるよう、屋敷を整えさせているはずだろう? なのになぜ、外に出たいなんて言うんだい?」


 お父様は過保護だ。

 私の安全にはこれ以上なく目を凝らしており、今まで屋敷から出そうとしなかった。

 このまま行くと私は、甘やかされ放題な箱入り娘になってしまうはずだ。


「屋敷は快適で、使用人たちも優しくしてくれます。でも私だっていつかは社交界に出て、学院にだって通わなきゃいけないんですよね?」

「それはまだまだ先の話だ。おまえは何も焦る必要は無いさ」


 いやいや、まずいです。

 焦らないと破滅ルートが待っています。

 お父様の鉛中毒が治ったとはいえ、まだまだ油断できない事柄がいくつもあった。


「お父様、駄目ですか? 私、早くお父様の自慢できる娘になれるよう、領地の勉強をして外に出てみたいんです……!」

「イリスは今でも自慢の娘だよ!……だがそうか、領地の勉強か……」


 むむぅ、と。

 お父様が思い悩んだ顔をしている。


 私に過保護なお父様だけど、公爵家の当主でもあった。

 今までは鉛中毒で判断力が鈍っていたけれど、冷静になれば公爵令嬢である私を、いつまでも無知な箱入り娘にしておくのはまずいと判断するはずだ。


「……わかった。許可しよう。イリスが安全に外に出られるよう、これから手配することにするよ」

 



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