8話 リオンの母親に会いました

 翌日。

 朝食の場で私は、さっそくお父様にキレート剤を渡した。

 服薬方法も説明したし、あとは無事効果が出ることを願うだけだ。


「イリス様っ……!」


 食堂を出ると、リオンが走り寄ってくる。

 お父様に薬を渡した際の会話で、リオンの解雇については取り消してもらうことが出来たのだ。


「ありがとうございます。おかげで僕、イリス様の従者を続けられそうです‼」

「私の方こそ勝手に昏倒して、巻き込んでしまってごめんなさい」


 リオンと二人、互いに頭を下げあっていると、見慣れない女性が近づいてきた。


「あなたは……?」

「初めまして、イリス様。リオンの母ルイナです」


 美人だけど、儚げな女性だ。

 リオンと同じ黒髪が、ほっそりとした首にかかっていた。

 ルイナさんは病弱だと聞いている。

 見るからに弱々しい、吹けば飛んでしまいそうな細い体だった。


「イリス様のおかげで、私もリオンも助かりました。私たちのために、旦那様へ直訴してくださったんですよね?」

「もとはと言えば、私が軽率だったせいですから、気にしないでください」

「まぁ! 小さいのにご立派なんですね」

「……ありがとうございます」


 褒められたけど、前世アラサーの記憶を持つ私としては、素直に喜べないところだった。


「……ルイナさんは今まで、ずっと自室にいたんですよね?」

「えぇ、そうです。体調がすぐれず、部屋に引きこもり安静にしていました。お世話になっているイリス様に、ご挨拶もできず申し訳ありませんでした」

「気にしないでください」


 その点に関し、ルイナさんは全く悪くなかった。

 同じ屋敷の中に居ながら、今まで顔を合せなかった理由。


 それはひとえに、ルイナさんの患う病気に、感染性があるかもと恐れられていたからだ。

 今のところ、ルイナさんの周囲で似たような症状の人間はいなかったらしいが、念のためにとつい先日まで、部屋に閉じこもりきりになっていたのだった。


「外に出てきて、お体は大丈夫ですか?」

「恩人であるイリス様に、一言お礼を言うためです。昼間なら、体調も比較的安定していますしね」

「……昼間なら、安定している……?」 


 病弱だとは聞いていたけど、具体的にどんな症状なんだろう?

 立ち話を長引かせるのも悪いし、お茶に誘って聞いてみよう。


「ルイナさん、良かったら私と少し、お茶をしてお話しませんか?」

「そんな! 恐れ多いです。平民の私と、イリス様が同席するなんて……‼」

「駄目ですか? ……お父様が忙しくて、私寂しいんです……」


 必殺! 

 あざとい上目づかいでのおねだりだ。

 内心ちょっとかなり恥ずかしいけど、外見年齢8歳の私ならいけるはず。


「うっ……。少しだけですよ?」


 ルイナさんが頷いた。

 あざとい上目づかい、効果は抜群のようだった。



☆☆☆☆☆☆



 紅茶を飲みつつ、私はルイナさんとの会話を楽しんでいた。

 ルイナさんは元貴族だけあって、言葉遣いや所作がとても綺麗だ。


「ふふ……。イリス様はご聡明ですね。まるで、年の近い友人と話しているようです」

「そんなことありませんよー」


 笑ってごまかしておく。


 ルイナさんの指摘は的を射ていた。

 前世アラサーだった私と、ルイナさんは同年代だ。

 そのおかげか思ったより会話が弾んでいる。

 大人びたリオンと会話するのも楽しいけど、同年代との会話は別腹だった。


「どうしたのリオン? 私がイリス様と仲良しに見えて、嫉妬してるの?」


 私の斜め横に控えるリオンへ、ルイナさんが母親の表情を浮かべた。


「……母上が何を仰っているか、僕にはわかりません」

「もう、意地っ張りね」

「……僕のことより、イリス様との会話に集中してください」


 リオンの声は、どこか不機嫌そうだった。


 私にルイナさんを取られたように感じて、面白くないのかも?

 リオンに悪いし、そろそろ本題に入ろう。


「こうしておしゃべりしていると、ルイナさんが病弱だって、忘れてしまいそうです。……どのようなご病気か、お聞きしても大丈夫ですか?」

「……笛鳴り病、という病気です」


 知らない病名だ。

 もしかして、この世界特有の病気だろうか?


「笛鳴り病は、どのような症状が出るのですか?」

「強い咳が出て、呼吸ができなくなります。一度咳が始まると、止まらなくなるんです」

「咳が出るのは、夜が多いんですよね?」

「昼間も咳が出ますが、深夜から明け方は特に酷くて……」

「……それはお辛いですね」


 たかが咳、されど咳だ。

 咳き込むだけで、全身の体力は奪われていく。

 呼吸が出来ない程の咳に襲われれば、死の恐怖もよぎるはずだ。


「ご心配ありがとうございます。幸い、他人にうつる病気では無いようですが……。一度かかると、治ることは珍しいようです」

「なるほど……。笛鳴り病、という病名はやはり、呼吸の音が笛が鳴る音のように聞こえるから、ですか?」

「……ご明察の通りです。薬師でも無いのに、よく当てられましたね」


 ……前世は薬剤師だったし、ルイナさんの症状、すごく心当たりがあるからね。


 感染性が無く、咳が止まらず、笛のような音がして、夜間に悪化する。

 病名こそ違うけど、特徴は喘息そっくりだった。


「咳は季節の変わり目や、冬に悪化することが多くないですか?」

「‼ そうです!! どうしてわかったんですか⁉」


 ビンゴ!

 喘息の典型的な症状だ。


「イリス様はすごいですね。……そんなイリス様に一つ、お願いがあるのですけど、いいですか?」

「何ですか?」


 笛鳴り病――喘息について、知識や薬が欲しいのだろうか?

 そう思ったのだけど――――


「私は、もうすぐ儚くなる身です。残されるリオンを、私の分も、見守ってくれませんか?」


 ルイナさんが告げたのは、予想外のお願いだった。


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