7話 治療薬を作ろうと思います

「……たぶん誰も、毒の存在を知らないはずです」


 毒の正体は酢酸鉛。

 シロップの製造過程、おそらくは果汁を煮詰める時に器から鉛が溶け込み、化学反応を起こし酢酸鉛になったものだ。


 酢酸鉛は口に含むと甘いが、体に害を及ぼす毒物の一種だった。

 こちらの世界では毒性が知られていないであろう酢酸鉛について、お父様に説明をしていく。


「……というわけで今後二度と、そのシロップを使うことはやめてください」

「……私は今まで、毒を飲んでいたと言うのか?」


 お父様は信じられないようだ。

 8歳の私の言葉に対しての、当然の反応だった。

 

「私の魔力は、毒に特化しています。だから毒物の存在がわかるんです」


 信じてもらえるよう、せいいっぱい真っすぐ語り掛ける。

 かわいがっている私の言葉に、お父様も考え込んでいるようだ。


「……イリスが嘘をついてるとは思わないが……。勘違いじゃないかい? 毒だったら飲んですぐか、遅くとも数日以内に、私は苦しみ瀕死になるはずだろう?」


 ……急性症状は無し、か。

 シロップには酢酸鉛が含まれているとはいえ、おそらくはごく微量だ。

 急性中毒を起こすほどの量では無いようだったけど……。


「お父様、顔を触ってもよろしいですか?」

「……いいけど、何だい?」


 お父様の右目の下に指を添え、下まぶたを伸ばし観察すると青白く、血色が悪いのがわかった。


「結膜蒼白……。やはり、お父様は貧血ですね」


 鉛は血中のヘモグロビンの合成を阻害し、貧血を引き起こす作用を持っている。

 お父様の顔色が悪かったのもそのせいだ。


「シロップに含まれる毒は微量でも、毎日シロップを飲んでいると、体の中に毒が貯まってしまいます。その結果、慢性の鉛中毒になり……自覚しにくい体の変化が現れるんです」

「……そんなことが、本当にあるのか?」

「はい。私の魔力のおかげで、毒の情報がわかるんです」

「……おまえの魔力はすごいんだな」


 お父様は感心しているけど、私の言葉は嘘半分だ。

 毒の感知は魔力によるものだけど、鉛中毒に関する知識は前世由来だった。

 真実を告げることも出来ないので、全ては魔力のおかげということにしておく。


「お父様はお母様を亡くしてから、ワインの量が増えたんですよね? その頃から疲労や睡眠不足、それに立ち眩みが出現しませんでしたか?」


 いずれも、慢性の鉛中毒に見られる症状だ。

 指摘を受け、お父様が目を見開いた。


「不調は隠していたつもりだが……その通りだよ。てっきり、エレイナを失った悲しみを受け止められない私の心の弱さが、体に現われたのだと思っていたのだが……」


 お母さまを亡くした心理的ストレスが、肉体を蝕んでいた面も確かにあるはずだ。

 そこに鉛中毒からくる体の不調も加わり、自覚しにくかったに違いない。


「お父様、お願いです。甘味が欲しい時は砂糖などで代用して、シロップの使用はやめてください」


 このままシロップを飲み続ければ、症状が悪化していく可能性が高かった。

 じっと見上げると、お父様がゆるゆると首を縦に振った。


「……そうするつもりだ。体の不調は、どれくらいすれば治るんだい?」

「はっきりとはわかりませんが……。シロップを断ち、私の作った薬を飲めば、数か月以内に症状は軽くなると思います」

「薬?」

「はい。毒と薬は紙一重です。私の魔術なら、薬が作れるはずです」


 鉛中毒に対する治療は、エチレンジアミン四酢酸といったキレート剤、大雑把に言ってしまえば、鉛を体外に排出する作用を持つ薬で行うのだ。

 完治するかはわからないが、ある程度の効果はあるはずだった。


「ありがとう。イリスは素晴らしいな。賢くて魔術も使えて……とても優しい子だ」


 お父様が淡く微笑むと、私を抱きしめたのだった。

 


☆☆☆☆☆☆



「まさかお父様が、鉛中毒だったなんてね……」


 お父様と話し合い、自室に戻った私は、薬学知識をまとめたノートを引っ張り出していた。

 鉛中毒について、今一度確認をするためだ。


「21世紀の日本では、鉛中毒は珍しかったけど……」


 地球の歴史を振り返れば、比較的よく見られる病気だ。

 加工しやすい鉛は様々な形で利用され、時に体内へと摂取されていたらしい。

 古代ローマ人の骨から、高濃度の鉛が検出されたこともあるようだった。


 史実の偉人にも、難聴を患ったベートーヴェンなど、鉛中毒の疑われる人物が多く存在している。

 鉛中毒の症状が進行すると神経炎や脳変性症――――様々な肉体や精神の変調が現れ、最悪死に至ることもあるのだ。


「……お父様の精神面にも、鉛中毒の影響が出ているのかも……」


 慢性的な体調不良があれば精神は疲弊し、人当たりが刺々しく情緒不安定になっていく。


 お母様が生きている頃のお父様は誰にでも優しい、紳士的な方だったらしい。

 私以外には冷たく、感情が不安定で注意力の低下した今のお父様の様子は、鉛中毒の影響かもしれなかった。


 ……というのが、現在と過去のお父様の様子から導いた推察だけど。

 未来の――――ゲーム知識を合わせて考えると、お父様の人格が、鉛中毒に侵されつつある可能性は極めて高かった。


「もしこのまま、鉛中毒が改善されず症状が悪化して、お父様の頭脳と精神が今以上に大きく変調をきたしたとしたら……公爵領が傾くのも、自然なことなのよね」


 優秀なはずのお父様が、公爵家を傾けた原因。

 それが鉛中毒だと考えると、とても納得がいった。

 ゲームの中の私は鉛中毒を知らず、当然、治療が出来るわけもなかった。


 ――――ならばここで、お父様の鉛中毒を治療できれば。

 昔の穏やかなお父様が戻ってきて、私の死亡フラグも何本か、折れてくれるんじゃないだろうか?


「お父様の健康と、私の未来のために……」


 魔力を指先から放出し、呪文を唱える。

 祈りと希望を込め、私は魔術でキレート剤を作成したのだった。

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