4話 毒とはすなわち薬である

《コルチカム:紫の花を咲かせる植物。種子や球根にアルカロイドの1種、コルヒチンを含有している》


 なんだこれ?

 いきなり頭の中に浮かんだ言葉に、視線を左右にさ迷わせると、


「あ……消えた」


 コルチカムが視界から消えると同時に、脳内の言葉も消え失せた。


「……もう一度、コルチカムを見ると……」


《コルチカム:紫の花を咲かせる植物。種子や球根にアルカロイドの1種、コルヒチンを含有している》


 再び言葉が浮かんでくる。

 初めての感覚だけど、不思議と違和感は無かった。


 ……魔力を持つ人間は魔力の性質に応じ、感覚が鋭敏になるらしい。

 赤の魔力、火を操る魔力の持ち主なら、熱や炎の気配に敏感に。

 青の魔力、水や氷を生み出す魔力の持ち主なら、湿度や水の動きに敏くなるようだ。


「……だとしたら私の魔力だと……」


 見ただけで、毒の種類がわかるということだろうか?

 疑問に思いつつ、私はコルチカムへと手を伸ばし――――


「イリス様、危ないっ!!」

「わっ⁉」


 衝撃。

 倒れ込み、長椅子の座面が背に当たる。

 私を突き飛ばしたリオンが、上に被さるようにしていた。


「リオンっ⁉」

「お気を確かに。その花に触ってはいけません!」 

「えっ!?」

「イリス様は、先ほどから様子がおかしいです。毒のせいで、正常な判断力が失われているのではありませんか? 今だって、毒の本体である花に触れようとしていました」

「あ………。そういうことね」


 誤解させてしまったようだ。

 コルチカムを前に、私はぶつぶつと独り言をつぶやいていた。

 毒に当たったと見られて当然だ。


「紛らわしいことをしてごめんなさい。私は正気よ。コルチカム……この花は匂いを嗅いだり触るくらいなら安全よ」

「……そうだったのですか……」


 安心し気が抜けたのか、リオンが大きく息をつく。

 吐息が私の顔に当たっている。

 リオンの長いまつ毛の本数すら、数えられそうな距離だった。


 頬を撫でる吐息のくすぐったさに笑うと、慌ててリオンが飛びのく。

 その顔は無表情ながら、ほんのりと耳が赤くなっていた。


「誤解で押し倒してしまい申し訳ありませんでした」

「気にしないで。私のためだったんだもの」


 言いつつ、床に落ちてしまったコルチカムを拾い上げる。


 触れただけで危ない毒草もあるが、その点コルチカムは安全だ。

 球根や種子に含まれるコルヒチンを経口摂取すると危ないが、そのコルヒチンだって、きちんと処理すれば薬になる物質で――――

 

「ん……?」

 

 待てよ?

 自分の思考に引っ掛かりを覚えた。


 コルチヒンは毒だが、それは大量に摂取した場合だ。

 適量であれば有用な、痛風の薬になるはずだった。


「毒であり薬でもある……」

「イリス様……?」


 薬とは即ち、薄められた毒物である。

 

『ある物質が毒となるか薬になるかは、用いる量によるものだ』


 と言う前世の偉人、パラケルススの言葉もある。


 全ての薬は、毒とみなすこともできるはずで。

 私の魔術が、毒であればなんでも作ることができるとしたら―――――


「《毒物生成》!!」


 魔力を練り上げ、指先から放出する。

 紫の光が輝き、小さな粒となって凝縮した。


「……成功……?」


 机の上に転がるのは、前世でよく見た白い錠剤。

 

 魔術行使の瞬間、思い描いたのは数種類の構造式だった。

 錠剤を見つめると、脳内に言葉が浮かんでくる。


《アセチルサリチル酸を主体とした錠剤:消炎・解熱・鎮痛目的で使用される》


「やった! 成功よ!!」


 ガッツポーズだ。


 物騒な印象しかない毒物生成の魔術だけど、もしかしたらすごく有用かもしれない。

 前世、薬剤師だった私の知識が活用できるのだ。

 どこまでできるのか、さっそく検証してみよう。


「《毒物生成》……《毒物生成》……《毒物生成》……」


 紫の魔力が輝き、毒――――言い換えれば、薬効を持つ物質が生成されていく。


 漢方薬の原料であり、胃潰瘍に用いられる甘草。

 釣り鐘型の花を咲かせ、強心作用を持つジギタリス。

 頭痛の時お世話になった粉薬。軟膏状のステロイド――――。


 ざっと20種類ほどの薬効物質が、リオンの持ってきてくれた皿の上に鎮座している。

 集中して見ると、脳内にそれぞれの薬の名前が浮かんでくる。

 全て成功のようだった。


「イリス様、すごいですね。まだ8歳なのに、こんなに魔術を使えるなんて……!」

「ふふふふふ、すごいでしょすごいでしょ?」

 

 リオンの驚いたような声が心地いい。

 私は胸を張り、魔術の成果を眺めた。

 薬効植物に粉薬、錠剤に軟膏と、薬であればだいたいのものは作れそうだ。


「これ、使い方によってはすごく便利な魔術よね……」


 薬剤師として学んだ知識と、闘病生活で身に着けた知識と。

 知ってさえいれば、魔術で薬を作り出せるのだ。

 医療水準の低いこの世界で長生きするための、強力な武器になるは――――


「あれっ?」


 目の前が暗くなり、体が倒れ込んでいく。


「イリス様っ⁉」

「……しまっ……」


 魔術の使い過ぎだ。

 魔力が枯渇し、体が休息を求めていた。


「寝れば、治る……から――――」


 ……おやすみなさい。


 リオンを心配させて悪いな、と思いつつ。

 私は抗えない睡魔に呑み込まれていったのだった。

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