9・サクラメメント

 彼は迷っていた。道に。信仰に於ける道を見失っていた。

 ぼくは彼を誘っていない。ぼくが誰かを誘惑したことはない。けれど彼は迷える羊だった。迷子が道を踏み外すことは容易く、また道理でもある。

「この子は身寄りがないのです」

 初めて彼と引き合わせる時、ぼくの後見人だか弁護士だかいう人は彼にぼくをそう説明した。

「いちどきに二親を亡くしてしまいました。親類縁者は居るのですが、両親とも芸術家肌の厭世家であったようで、誰もこの子を引き取りたがりません。裕福な家庭に育っていますが、おとなしい子で我が儘なところはありません。どうぞ神のお導きを与えてやってください」

 彼は牧師だった。導くべき神の道を見失った牧師だった。けれどそれを知っているのは彼自身だけで、傍目には普通の牧師だった。神に仕える聖職者だった。

「事情はよくわかりました。ですが――」

「この子を養うのに必要な寄付はさせて頂きます。毎月、決まった額を。いえ、このような下世話な話はすべきではないでしょう。この子は頭のいい子です。未就学ですがすでに色々な本を読んで博識です。いずれは奨励金を得て名門校へ進めるでしょう。どうぞよくしてやってください」

 彼が何か言い終えるより先に、弁護人だか何だかは立ちふさがるように言葉を次いで、彼にぼくの身柄を預けた。用意してあった書類一式とコロ付きのトランクケースと共に。彼はろくに口をきけないまま、ぼくの身元を引き受けた。

 教会は小さな建物だった。孤児院として建てられたものではない。彼も、数多の孤児を引き受けて育てあげてきた経験豊富な神父などではなかった。修道女も居ない。独り身の清貧な牧師が居るだけの質素な教会。礼拝堂は近隣の住人が全員集まったら入りきれない小ささで、正面に十字架、祭壇、わきには壊れてふたの開かないオルガン。反対側のわきには一つきりの告解室があり、その奥の通路を抜けると生活のための部屋がいくつかあった。寝室とか、台所とか。

 彼は台所に近い一室を私室にしていた。粗末なベッドと机が壁際に寄せられ、中身の少ないクローゼット、古びたカーテン。部屋の真ん中には小さな円卓とイスが二脚。彼は食事をするのも眠るのも着替えるのも、台所と浴室以外でできることすべてをそこで賄っているらしかった。

 彼の口数は多くなかった。寡黙というのに近かった。無愛想ではなかったが、愛想を振りまくには不器用だった。老けて見えたが五十には届かないだろう。或いはもっと若いのかもしれなかった。信仰への迷いが彼を疲れさせ、くたびれた痩せ男に見させていた。

 彼にとり、ぼくは予期せぬ闖入者だった。信仰への迷いを押し隠し、苦しみながら救いを求め、神の子であらんとする彼の煩悶に満ちた生活は、同時に、静寂でうらびれた清潔さのある孤高の日々であった。そこに、突如として孤児が舞い込んだのだ。子供は大抵やかましく、手がかかる。迷惑なことだったろう。しかし彼は渋面を作ることもなく、悪態を吐かずに、押し付けられた子供の面倒をみるため、まずはひとつの部屋を与えた。それから今後の食事のために、彼の部屋にあった円卓とイスを台所に運んだ。

 ここを食堂にしよう。ダイニングキッチンだと思えばいい。ランプを増やすよ。それと、テーブルクロスも買わないといけないな。

 薄暗い台所を見回し、石と土の床を靴底で叩いて、彼は苦笑を漏らすようにして言った。おどけて見せたつもりだったのかもしれない。掠れた、低い、渋い声をしていた。酒も煙草もしないはずなのに、アルコールとニコチンに灼けた喉が絞るような声だった。冗談は似合わない、乾いた声色だったが、温もりを込めようとしているのは伝わった。

 そうした対応を喜んで調子づく子供はごまんといるだろう。けれどぼくはそうした一人ではなかった。彼は落胆するか白けるかして、不器用そうな笑みを引っ込めると、「荷ほどきを手伝おう」そう言って、ぼくに与えた部屋へ移動した。


 何度も言うが、ぼくが彼を誘惑したことはない。けれど、ぼくの行動は彼にとっていささか刺激的だった。

 彼は同性愛者ではない。異性愛者でもない。彼は純潔だった。信仰と婚姻を結んだ聖職者だからだ。しかし、人間にとって純潔を貫くことはそう容易いことではない。少なくとも彼にとっては。

 常に美しく、清らかで、輝かしくあるべき彼の信仰を曇らせたのは、まさにそのことだった。彼はアルコールによる解放感に誘惑されはしなかった。けれど酔った人々の陽気さを羨ましいと思うことはあった。同様に、紫煙をくゆらす自虐的な甘やかさを欲しいとは考えなかった。けれど道端で知らない者同士が気安く火を分け合って立ち話する姿を羨ましいもののように感じた。つまり彼は寂しかった。牧師の彼に知人は多かったが、個人的な付き合いのある者は居なかった。

 寂しさの先で人間が最も希求するのは、自身を理解し、包み込んでくれる恋人だ。それは自身と正反対であるほど良い。自身の不足を補って余りある、真反対の豊かな存在。例えば、善良だが不器用で陰気くさい貧相な体つきの中年男の場合なら、溌溂としてやや押しつけがましく、誰とも打ち解けよくしゃべる、くびれた腰と大きな胸をした若くて小悪魔的な小娘。そんな娘が自身を抱きしめ、慰めてくれたらどんなに良いだろう。

 彼が囚われた妄想は、人間としてごく自然なもので、それゆえまったく不信心だった。その欲求は原始的に過ぎる。愛とは高潔な精神性を表す言葉であり、肉欲を意味しない。理知は本能を上回るものだ。と、彼の信じる神は言う。いや、果たして神はそんなことを語っただろうか。語ったのは神の子、処女を母体に産まれた聖なる御子。いや、そうではない。その言葉を語り継いだのはその弟子たち。だがそれらにしたって愛欲ヲ禁ズとどこに記されていただろう。福音書か、黙示録か。いや、そうではない。そうしたことはどうだっていい。自身は牧師で、信仰の伴侶で、清く正しい生き方をして人々の助けとならねばならない。己が? 誰を助けるって? それこそ傲りというものではないのか。清く正しい生き方とはなんだ?

 そんなふうに、彼の信仰は揺らぎ、複雑にこんがらかっていた。そして人知れず、悶々と鬱屈を募らせる。それを晴らし、癒してくれるのは、やわらかな肉を持つ女ではないかと思いついては、更なるぬかるみに嵌ってゆく。

 結局のところ、彼は女に飢えていたのだ。事は単純であった。彼の信仰が、信仰を信仰として信仰し続けようとする願いが、物事を複雑にしているだけだった。仕方がない。彼は牧師なのだ。

 どうして彼が肉欲に取りつかれたのか、ぼくは知らない。三十代だか四十代だかの男が、これまでまったく性に目覚めていなかったわけではないだろう。長年、彼は牧師として自身の生殖欲とうまく付き合ってきたはずだった。だがある時、突然に限界が来たのか、それとも抑制を失うほどの恋心をある日、教会に祈りを捧げに来た女の一人にでも抱いてしまったのか、それとも或いは、告解室でポルノまがいの赤裸々な告白を聞いて不意に理性の殻に亀裂が入ったのか。

 いずれにせよ、彼は単純で複雑な信仰の迷い子となっていて、ぼくはそれを知りもせず、彼に不用意に近づいた。

 彼が孤児であるぼくを引き受けたのは不本意なことだったが、善良な牧師である彼はぼくの衣食住の面倒をきちんとみた。食事を与え、身形を整えさせ、決まった時間に風呂を沸かし、夜の早い時間にベッドへ入るよう促した。

 彼は子供たちに囲まれてニコニコしている類の男ではなかったから、その接し方はいかにもたどたどしく、手探りの様子で、きめ細やかな心遣いといったものはなかったが、必要なだけのことはしようとする気遣いはあった。

 と言って、子供を相手にどう時間を過ごしていいのか、遊び方を彼は知らない。また、彼には彼の、牧師としての仕事もある。多くの時間、ぼくはひとりで部屋に籠り、書物を相手にして過ごした。そのことにまったく不満はなかった。誰にも邪魔されず、好きなだけ本を読んで過ごせる。ぼくにとっては楽しい日々だ。むしろ、子供ばかりうじゃうじゃといるような孤児院に引き渡されたのだったら、ぼくは数日で癇癪を起すか心を閉ざすかしていたかもしれない。他人にペースを崩されることにぼくは慣れていなかった。

 ぼくの両親は弁護人の男が語った通り、芸術家肌の厭世家だった。血筋ばかりは高貴な家柄だったようだが、パーティなんてものには参加しなかったし家に人を招くことも殆どなかった。しかしいつでも宴の最中みたいに華やいだ暮らしではあった。気の向くままに彼らは音楽を奏で、歌劇を演じ、絵筆をとり、酒を呑み、薬物を摂取した。母は燦々として発光しているような麗らかさで、それは常時らりっているということでもあり、自身の子供を撫で繰り回したり突き放したり気分屋だったが、過干渉を好まなかった。もっと言えばネグレクトに近い状態の時もあったが、何しろ裕福な家庭であるから子供の世話をする使用人は他にいて、母親が母親の務めを果たせずとも問題なかった。父は自身がそうであるように、自分のしていることを邪魔されるのが嫌いであったから、息子に対しても今していることを中断させて何かを強いることはなかった。家の書棚には画集も楽譜も理学書も人体解剖図も文学集も哲学書もあった。ぼくは絵本を読むように画集をながめ、アルファベットを覚えるように楽譜を学んだ。聖書を読んだことはなかったが、宗教画は家の壁にかかっていた。但しそれは、神の降臨や最後の審判を意味するものとしてではなく、単に美しい装飾品として。

 そうして育ったぼくにとって、彼との暮らしは概ね満足のいくものだった。寄付の名目で振り込まれるのだろう月々の養育費を使って、彼はぼくが必要とする生活上のこまごまとしたものを揃え、質素だが清潔な衣服と様々な書物も与えてくれた。それと、ぬいぐるみ。

 ぼくの唯一の不満は夜、ひとりで寝なくてはいけないことだった。

 ぼくは一人寝のできない子供ではない。両親は昼も夜もあまり関係のない生き方をしていたから、早い段階でひとりでベッドに入り、子守歌や読み聞かせのない就寝を覚えていた。だけど、雨音がうるさくて寝付けない夜や、シーツがいつまでも冷たい底冷えする冬の夜なんかには、いつの間にか寝入っている両親のベッドにもぐりこんで二人の間に挟まって寝たり、まだレコードをかけて楽しそうにしている二人のそばで、暖炉の前の寝椅子で眠ることもあった。

 でもこの小さな教会では、両親のベッドも暖炉のそばの寝椅子もない。だからぼくは、彼の部屋の扉を開いて、彼の眠る古びて粗末なシングルベッドに身を寄せた。

 初め、彼はひどく狼狽えた。深夜、他人が自身の寝室に忍んで来ることにまったく彼は不慣れだった。というより、そんな経験はしたことがなかった。そのうえぼくはズボンを身に着けていなかった。パジャマの上だけを着ていた。父は寝る時、昔の貴族がそうしたように、裾の長いシャツだけを身に着けることにしていた。母は殆ど裸か、昼間に来ていたドレス風のワンピースのまま寝ていた。だからぼくも家に居た頃は、昼間の格好のままズボンやサスペンダーや靴下やなんかを脱ぎ散らかすか、丈の長いシャツ型の寝巻に着替えて寝ていた。彼が与えたような上下が一組になったパジャマは着慣れていない。

 不意に眠りを妨げた存在に彼は驚きの声をあげたが、苦悩する牧師の眠りは浅く、その声は寝惚けてはいなかった。掠れて、低く、何かに灼けた彼独特の声だ。

 眠れないのか。

 狭いベッドに押し入ってきた物体がぼくだと理解した彼は、それが二親を亡くしたばかりの小さい子供だということも同時に思い起こして、その境遇なら当然淋しくて眠れないこともあるだろうと理解したらしかった。

 人肌が恋しい。温もりが欲しい。

 それは、果たしてぼくの心情だったか。彼が推察したぼくの心の声は、同情を寄せたつもりの彼の、彼自身の、心が発した言葉に他ならなかったろう。優しさのつもりでぼくを抱き寄せてやった彼は、恐らくそのことに気づいた。それで、ぼくが夜に彼のベッドにやって来なくてもいいように、淋しさをまぎらわす友達を、つまり物言わぬ、やわらかい、綿の詰まったクマやウサギやネコやイタチの姿をしたぬいぐるみを、ぼくにあてがった。

 それらは確かに、いくらかの慰みにはなった。一緒にシーツに包まって抱きしめたり、並んで仰向けに横たわって手を繋いだり。それで事足りる夜もあった。だけど、それでは足りない夜もあった。

 ぼくは彼の部屋を訪れた。その度に、彼はぼくがベッドに近づくより先に目を覚まし、部屋に戻りなさいと言った。せめてきちんとパジャマを着てから来なさいと。その指導はおかしかった。風邪を引くからとかだらしがないからと彼は言い訳したが、一人で寝るならはかなくていいズボンを、二人で寝る時だけはかなくてはならない理由にはならない。その頃にはもう、彼の中にある種の欲が芽生え始めていたからだった。彼は一層、信仰の道を見失いかけていた。けれどもぼくは、それを理解するには幼過ぎたし、何より信仰を持っていなかった。

 ぼくはズボンをはいていないパジャマ姿で彼のベッドにもぐりこんだ。パジャマはそう着るようにはできていないから、シャツの丈が短かった。渋々ながら諦めて、ベッドの片側の端に寄り、背を向けた彼の体に、ぼくはぴったりと身を寄せた。そうすると温かいからだ。ぬいぐるみを抱くより心地がいい。素足を彼の両脚に絡めもした。腰から腕を回して貧相な胸板や肋骨の感触を確かめもした。浮き出た肩甲骨と肩甲骨の間に顔を埋めて、頬を擦りつけたり唇を押し当てたりもした。愛情表現ですらない、単に他者の体温や質感を求める子供の動作だった。

 信仰に迷いを抱えた一人の牧師、不器用なほど生真面目でそれゆえに逃げ場を持たない、己を上手に逃がしてやれない愚かな男の、正しさを求め、清らかさを求め、純潔たろうとしながらけして人間がそれほど美しくあれるようにはできていないことに気づきつつある迷える羊の、これまで歩んできた道をこれから進むべき道を、踏み外させるのにそれは十分過ぎる刺激だった。

 その熱は、心地よかった。彼はけして乱暴を働きはしなかった。何度も引き返そうとして、それが出来ずに、身もだえながら進んだ。だから、彼の手は恐る恐るぼくに触れたし、撫でたり離れたりを繰り返して、とても世間で行われているような、例えばぼくの父がぼくの母に与えていたような愛撫とは程遠かった。それでも、彼は確実に興奮を高めていった。ぼくは少しも怖くなかった。逃げることも拒むことも簡単だった。むしろ彼はそうして欲しそうですらあった。ぼくはそうしなかった。熱の塊が脚の間に入り込み、体を内側から抉られるようにして異様な感覚の波に襲われても、痛くもないしつらくもなかった。彼の貧弱ではあるがぼくよりずっと大きな体に包まれて、ぼくは満足して眠りについた。

 一度罪を犯してしまえば、罪に染まるのは加速度的だった。それが潔白な人であればあるほど、一度汚れてしまったら、すべてを汚さずにはいられないのかもしれなかった。

 彼は迷い子ではなくなった。

 迷うことすらやめてしまった。

 信仰を、かなぐり捨てた。

 それでも、罪の意識は耐え難かったのだろう。開き直れるほど器用な人ではなかった。そうであったなら、彼は信仰に迷いを抱えたまま牧師を続けてはいなかっただろう。迷いは即ち疑いだった。信仰を疑って、信心を失って、それを簡単に善しと出来ないから、彼は牧師のまま、信仰を持ち続けようと足掻いていたのだった。それを、一人の孤児がぶち壊してしまった。粉々に砕け散った信仰をゴミ箱に捨てても、罪悪感だけは、つまり道徳心だけは、信仰とは無関係に彼を苛んだ。

 彼はぼくを地下へ押しやった。

 食料を保管しておくための、聖骸の一部としてのワインやパンを置いておくための冷たく暗い地下倉庫に、彼はぼくを閉じ込めた。

 その時になってようやく、ぼくはこの人は可哀想だと思った。子供をこんな場所に追いやって、彼の良心が痛まないはずがない。そうした良心をもつ人間だということは、短い間の関係でもすでにわかっていた。わかる程度には彼は善良で親切だった。不器用ながらも優しい人物であることが周囲にも伝わっていたから、彼は牧師としてこれまでやってこられたのだろう。相応に、彼は町の人々に慕われていたはずだった。

 それなのに、彼は今や犯罪者となってしまった。未成年者を監禁し、夜毎に性交を持っている。信仰に於いても法律に於いても立派な罪人だった。そしてそれを誰にも告白できない事こそが、彼の最も罪深く、彼を苦しめることだった。

 ぼくは彼を慰めてあげたいと思った。誰かに何かをしてあげたいと願ったのははじめてのことだ。ぼくは出来るだけ彼に親切にした。食事を運んできてくれたらありがとうを言ったし、顔を見れば笑顔を向けた。彼が触れれば頬ずりを返したし、彼が抱きついてくれば心を込めて抱擁を返した。

 でも、そんなのはあまり長くもたない。彼が肌をまさぐり始めると、ぼくは色々の考えを失くして、その心地よさにうっとりしてしまったから。あんまり心地が良くて、彼に何かしてあげたいと思っていたのも忘れて、彼に与えられるばかりになった。温もり、感触、熱、甘苦しく痺れる波。止め処もなく声が溢れて、涎やなんかも垂れ流して、ぼくはもっともっとと彼を求めた。

 彼は彼自身の罪をアダルタリーだと言った。不義密通。彼にとってその行為は、神への冒涜であり背信行為である前に、端的に不貞であった。彼は神を伴侶として戴いたはずだったから。彼の苦悩は性欲に始まり、性欲に帰結した。単純且つ簡潔で明快だった。

 認めてしまえさえすればいい。牧師を選び、聖職者となり、信仰に嫁したが、性欲という人間本来の、いや、生物としての欲求を捨て去れはしなかった。女の柔肌に触れたかった、豊満な胸に顔を埋めたかった、桃色の突起を舐りたかった、神秘の泉に自身の高ぶりを沈めたかった、そして子孫を残したかった。たったそれだけの欲を認めさえすれば、彼は救われるのだった。救済は神の与えたまうものではない。己が己を許すことによってのみ救いは得られる。

 これほど単純なことはないにもかかわらず、たったそれだけのことを否定し、拒絶したが為に、彼は女犯どころでない罪を背負い込んだ。それは矛盾するようだけれども、彼が聖職者だったからだ。アダルタリーがアダルタリーたり得るのは、不義を不義とみなす道徳心があればこそ。彼は信仰の迷い子であったが、信仰者以外の何ものたり得もしなかった。

 それこそが、正しい信仰なのかもしれない。盲信こそ正道と説くのは愚かに過ぎる。迷い、疑い、背きながらも神を仰ぎ、神を慕い、神を信じようとすることこそが、信仰という行為なのかもしれない。

 神の血ワインパンを収めた地下倉庫で年端も行かぬ少年を肉欲の餌食にする。ろくでもない罪は彼の信仰の現われでもあり、彼は自責と苦悩を和らげることなく罪に罪を重ねて牧師を続けた。

 誰も、彼の悪行に気づかなかった。彼の不器用で陰鬱で人好きのしない人柄は、同時に他者から信頼を得るものでもあった。陽気ではない分、軽薄には見えず、口数が少ない分、思慮深く見え、迷いを抱える弱者である分、告解室に於いてもその外側でもけして他人を批判せず糾弾しない人徳者に見え、誰より切実に神の救いを欲している分、誠実な者のように見えた。単に後ろめたい犯罪者であるなどとは、教会を訪れる町の誰も想像すらしないようだった。

 真実とは何か。

 迷える牧師の不義密通は誰に露呈することもなく歳月が過ぎた。どれほどなのかは、地下に居たぼくにはわからない。彼の髪に白髪が混じり、痩せた頬に皺が深く刻まれ、手足が衰え枯れ枝に似てくるほどの歳月だ。彼は、性交の仕方を忘れてしまった。男性機能が衰えたのだ。その時初めて、彼は驚くほどの月日が過ぎたことに気づいたらしかった。

 ぼくは変わらず少年だった。両親を亡くして孤児院代わりに教会に預けられたあの時と同じ、年端のゆかぬ少年だった。

「あり得ない」

 彼は掠れた声で言った。アルコールとニコチンに灼けたような、でもそのどちらも嗜まない彼の喉に老いが加わって以前よりさらに低く細くなっていた。

「サクラメント」

 ぼくは彼に教えてやった。彼の、苦悩に苦悩を重ね、罪を犯しながらも迷い続けた信仰が産んだ、それは秘跡サクラメントだと教えてやった。

 迷い子は、行き先を無くせば迷い子でなくなる。放浪者となり、自由を手に出来る。どこだって好きな場所を帰る場所に定めることができた。彼はそれをしなかったのだ。彼は敬虔であり続けた。だから秘跡が与えられたのだ。

 彼は瞳を暗くした。眉間に皺を寄せ、口角を下げて頬を歪めた。

 救いはなかった。赦しはなかった。罪は罪のままだった。それでも確かに神は居た。彼はそう確信したのだと思う。

 ゆっくりと、彼の表情が弛緩した。透明な涙が乾いた肌を伝っていった。彼はぼくの膝に顔を沈めるように背を丸めてうつ伏せになり、息を殺して泣いた。東に向かって祈るという異教の民の所作に似ていた。

 それきり、彼は天に召された。審判の日まで、その魂は神の御許に留め置かれるだろう。ぼくは老いた牧師のむくろを置いて、地下を出た。鎖もロープも初めからありはしなかった。地下は食料の保管庫であって金目の物を置いておく蔵ではないから元より施錠の設備などない。

 地上に出ると、夕暮れ時だった。ステンドグラスなどない質素な教会は、西日に赤く染まっていた。古びたベンチも、告解室の扉も、傷んだオルガンも、擦り切れた床も、何もかもが赤い色に染まっていた。ワインより赤い。血よりも赤い。燃え滾り、膨れ上がり、沈殿する、マグマみたいな赤色に染まった四角い場所。十字架すらも赤い。

 メメント。


 讃美歌をハミングした。

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