第32回 せわしない夏の日々2018

 コロナ禍になってからは行けていないが、毎年夏になると、金沢の友人に誘われて泊まりがけでのバーベキューに参加している。

 能登半島の西側にある増穂浦というビーチにリゾート地があり、海辺にいくつものキャビンが並んでいる。客室は三部屋あり、キッチンと食堂が備わっているだけでなく、バルコニーまで付いている、ちょっとした別荘のような小屋だ。夕方になったら、そのバルコニーでバーベキューをし、酒を飲みながら、肉や、地元のおいしい海鮮料理を楽しむのである。

 目の前には草っ原と砂浜、そして海が見える。向こうの方から聞こえてくる波の音が心地良いBGMとなって耳を撫でてくる。

 利害関係のない者同士で過ごす、真に息抜きとなる時間。私は、この毎年の増穂浦バーベキューへ行くのが楽しみだった。


 拳法のこともあるので、土日の休みを取りづらいところもあったが、いつも自分の時間を削っているのだから、たまにはいいだろうということで、この週は道場を休んでいた。ただ、どこへ行くとか、何をするとかは、隠していた。周りから非難されるのが怖かったし、実際、過去に別の旅行に行った時に、ある幹部から「この忙しい時によく旅行行ってられますね。感じ悪いですよ」と嫌味を言われたこともあるので、また同じことになるのはいやだったから、秘密にしていた。

 今にして振り返ってみれば、仕事でやっているわけでもない、ボランティア的な拳法のことで、どうしてそこまで自分を犠牲にしなければならなかったのか、とも思うのだが、当時の私は自分の置かれている環境を特に疑いはせず、それが務めなのだと考えていた。


 さて、この増穂浦バーベキューは、金沢の友人が中心となって、その知人や友人に声をかけているものである。顔ぶれは年によって変わることもある。毎年のように会う人もいれば、その年になってから新たに知り合う人もいたりする。

 2018年は、半分は知っている顔であり、残り半分は初めて会う人達だった。

 しかし、酒と肉で高揚した気分は、お互い初対面であることを忘れさせてくれる。あっという間に全員打ち解け、親しく会話をするようになっていった。


 私は私で、新メンバーを連れてきていた。私の彼女である。彼女は人見知りな面はあるものの、コミュニケーション力が高いので、周りにいる全員が見知らぬ人達であるにもかかわらず、グループの輪の中に溶けこんでいた。

 そんな彼女の様子を安心して見ながら、私は私で、他の人達と交流していた。


 会話の中で、私は、自分が小説を書いていることを話した。当然、どんな小説を書くのか、とか、今は何を書いているのか、等と聞かれたので、


「今は加賀友禅を題材に小説を書いているところなんです」


 と近況について説明をした。

 その流れで、友禅絵師にインタビューをしたいが、なかなかツテが無くて困っている、という話もした。


 すると、ここ数年の常連になっているメンバーで、地元テレビ局に務めているKさんが「それなら」と提案をしてきてくれた。


「以前、仕事で取材をしたことのある友禅絵師がいるのですが、その人なら紹介できると思いますよ」


 まさかのチャンス到来だった。

 当然、この機会を逃すわけにはいかない。


「ぜひ、お会いしたいです!」

「そうしたら、数日待ってもらえますか。その人に打診してみるので」


 運が向いてきた、と思った。加賀友禅を題材にした物語を書くのに当たっての、一番の課題が、これでクリア出来そうだった。


 ※ ※ ※


 ……とは、簡単には行かなかった。


 八月の半ばには、道場の中学生が出場する全国大会があり、その練習の指導や、引率等の対応があって、とても石川県へ再訪する余裕なんて無かった。


 結局、Kさんから紹介された友禅絵師さんと直接電話でやり取りをし、訪問の日程を決めることとなったのだが、あいにくの九月頭というスケジュールになってしまった。


 X社への原稿提出は、当初八月末予定だったが、締切をずらしてもらうしかなかった。


 申し訳ないと思いつつも、原稿が遅れる旨を、X社へと伝えた。


 ※ ※ ※


 全国大会当日、道場のグループLINEに何度かメッセージを入れたが、既読マークは付くものの、ほとんどリアクションは無かった。


 何を自分はやっているのだろう――と虚しい気分になった。「お疲れ様です」のひと言が誰かから欲しかったところであるが、百歩譲ってそれはいいとしても、これから出場する中学生達に応援のメッセージくらい返してくれてもいいのではないか、と思った。誰も何も言わないのは、自分との間に心の隔たりがあるからではないだろうか、とも疑ったりした。


 大会自体の結果は、残念ながら予選落ちで、入賞は果たせなかった。それでも、全国大会に出場、という成績は残すことが出来た。これで当初の目標は多少は果たせたことになる。


 全てが終わった後、中学生達をねぎらうため、焼肉屋に連れていってあげた。彼らに肉を振る舞いながら、自分自身は生ビールを飲む。これまでの疲れが一気に出てくるような感覚に襲われた。


 ※ ※ ※


 これで、ようやく原稿に集中出来る……などということはなかった。


 さらに一波乱が起きて、それどころではなくなっていたのだ。


 八月の盆休みも終わりを迎えようかという頃。彼女から入ってきた一本のLINEメッセージが引き金となった。


 それは、彼女が親と喧嘩をした、と愚痴っている内容だった。

 それだけなら、彼女の話を聞いて、共感を示して終わり――で済むところであったが、しかし聞き捨てならないのは、「もう実家暮らしはうんざり」「一人暮らしをする」と言い出していることだった。


 私の中の脳内コンピュータが、ものすごい速さで作動し、これはまずい、と警鐘を鳴らした。一人暮らしを始めるということは、良くも悪くも彼女が独立した生活を確立してしまう、ということである。そうやって、一度、独立生活の醍醐味を味わってしまったら、他人と一緒に暮らそうという気など起きなくなってしまうのではないか、と私は考えた。


 気が付いた時には、電光石火の速さで、私はこう返事を返していた。


「二人で住めるところ探して、暮らそうよ」


 我ながら、実にわかりにくい言い方であったが――実質、プロポーズした瞬間であった。

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