第33回 結婚へのカウントダウン、そして迎えた取材の日

 誰にとっても、それは急展開だったのだと思う。


 その年の2月から交際を始めた女性に、半年ほどでプロポーズをするなんて、あまりにも動きが電撃的過ぎた。


 私自身は、女性と付き合う時は常に真剣だったので、将来的に結婚することは必ず視野に入れていた。この時の彼女に関しても、同じだった。だから、私としてはごく自然な流れだったのであるが、周りはそうではなかったようだ。


 私の両親も、あちらの両親も、その年の7月ごろに「お付き合いしています」と挨拶に行っている。で、その挨拶から1ヶ月ほどで、「結婚させてください」なわけであるから、これはもう驚きでしかなかったであろう。


 幸い、私はあちらの両親に気に入ってもらっていたようなので、結婚の挨拶自体はスムーズに終えることが出来た。「お付き合いしています」の挨拶の時のほうがよほど緊張した。悩んだことと言えば、せいぜい「どういうセリフで結婚のことについて切り出そうか」ということくらいである。古くさいドラマのイメージで行くと「お嬢さんを僕にください」になるのだろうが、物じゃないんだから「ください」というのも変な話である。そもそも結婚は本人達の意思にもとづいて行うものなのだから、「結婚しようと考えております」が無難かな、と考え、そういう風に切り出した。結果、快諾してもらえた。


 それから、一気に慌ただしくなってきた。


 婚姻届を出す日にちをいつにするか、二人で暮らす場所はどこにするか、そういったことを決める必要性が出てきた。


 幸い、婚約指輪と結婚指輪、そして結婚式を挙げる場所については、すでに交際している時に彼女のほうから希望を聞いていたので、迷う必要は無かった。

 彼女はディズニープリンセスが好きなのだ。なので、指輪については4℃が出しているシンデレラモチーフのブライダルリング、そして結婚式の場所は――あのディズニーランド!――と決まっていた。


 婚姻届の日にちについても、すぐに決まった。二人にとっての記念日があり、その日にしよう、ということで話はまとまった。


 あとは、暮らす場所だけだった。こればかりは、実際に物件を見て回って決めるしかない。某所の不動産屋に相談して、お互いに仕事の休みを取りながら、二人で探すことにした。当初は、拳法の道場へ通うこともあったので、自分の実家の近くの物件で決めたいと考えていたが、それはあっさりと却下され、結局は彼女の実家の近くで探すこととなった。


 そんな風に慌ただしくなってきた中、とうとう、金沢の友禅絵師さんに取材をする日がやって来た。


 ※ ※ ※


 結婚に向けて忙しい日々を過ごしていたが、取材のための準備は怠っていなかった。

 事前に、質問したいことを紙にまとめて、先方へと手紙で送っておいたのだ。当日いきなり話をするよりも、何を聞きたいのかあらかじめ伝えておいたほうが、スムーズにインタビューが出来るだろう、と考えてのことだった。

 聞きたいことは多岐にわたっていた。

 例えば、日常に関すること。「飲み会には行けますか?」「取材旅行等、あるのでしょうか?」といった時間的余裕についてや、「師匠はどこまで人生に関与してきますか?」といった師弟関係についてのこと等。

 それから、道具に関すること。「どこかまとまって発注できる問屋があるのでしょうか? 道具毎に業者へ発注? 友禅作家自ら発注手続きをされるのでしょうか?」「道具のランクはありますか? あるなら、品質にはこだわりますか?」等。

 金銭面に関すること。「住み込みで修業、ということはあるのでしょうか? また、その場合の生活費はどのようにされているのでしょうか」「友禅作家として独立した後の生活費は、友禅作家の仕事だけで成り立つのでしょうか?」等。

 時間に関すること。「一つの作品を作り上げるのにかかる時間はどのようになりますか?」「余暇の時間の過ごし方はどのようになるのでしょうか?」等。

 情報に関すること。「他の業界のデザインに関する勉強はされるのでしょうか?」「作家さんによっては、幅広くデザインの仕事をされている方もおられますが、そういった仕事は自ら営業をかけて受注されているのでしょうか。それとも企業等から依頼が来るものでしょうか」等。

 そして、実際の工程に関すること。特に重要な質問は、次の通りだった。


「糊置きを一切行わずに色差しを行う「描上友禅」という技法があるとお聞きしたのですが、イメージとしては、糊置き職人にとっては非常に迷惑かつ、伝統的な友禅からは外れる技法かと思うのですが、いかがでしょうか? インターネット情報ですので、そもそも「描上友禅」という技法があるのか、ですか……」


 友禅というと、着物のことをイメージしがちだが、実際に「友禅」という言葉が表しているのは、実は染色の技法のことなのである。

 反物に色塗りをする際に、何も処理を施さなければ、普通は色が滲んでしまう。細かくて複雑な柄ともなると、隣り合った色同士が混ざり合ってしまい、意図した通りの配色にならなくなってしまう。そうならないためにも、異なる色の境界線上に、糊を置いて色滲みの防波堤とする。それを「糊置き」と言い、その糊置きを始めとして、「蒸し」「地染め」「友禅流し」等の様々な工程を経て染色する技法のことを全て引っくるめて「友禅」と呼ぶのである。


 私が書こうとしていた物語の主人公は、そんな友禅の技法「糊置き」を使うことなく、筆だけで色塗りが出来る特殊な技術を持っている――という設定であったが、そもそもそこにリアリティがあるかどうか、であった。

 もしも「そんなのはあり得ない」という話になってしまったら、物語の根幹が大きく崩れることになってしまう。そうしたら、一からまたプロットを練り直している時間的余裕など無かった。


 取材当日の早朝。夜行バスから降りた私は、早くも緊張で胸が昂ぶっていた。

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