異変の裏側(枝道編)

 近頃、春次はるつぐの様子が急変した。今まで思いつかなかったこと、してこなかったことを思いだし、したいと思った。それは、すぐに実行した。

 そのひとつ、祖母そぼに会いに行くこと。母方の祖母で、春次は、祖母が大好きだった。祖母が生きていた頃は、よく遊びにいった。おぼんや年明けなどには、まりに行ったほどだ。しかし、祖母は、三男の露文つゆふみが生まれる少し前に亡くなった。

 祖母が亡くなると、家が空いた。祖父は、春次が生まれるずっと前に亡くなっていた。

 誰もいなくなってしまった家には、また春次たちがこれるようにと、しゅく祖母(祖母の妹)の夫婦が住み始めた。叔祖母夫婦は、もともと近所に住んでいた。だから、まわりのみんなは顔なじみだ。叔祖母の夫は、住み始めてから十年くらいたった、数年前に亡くなった。そして、その家には叔祖母だけになった。

 祖母が亡くなってからも、春次たちは、祖母の家に行った。下の兄妹たちが生まれてからもそうだ。祖母の家に行くたびに、お仏壇ぶつだん参り、おはか参りは欠かさない。春次や次男の正雄が大きくなり、学校のほうでいそがしくなると、頻度ひんどったが、大型連休やお盆、年末年始には必ず行った。

 そんな大好きな祖母だから、どうしても訪れたかったのだろう。春次が、大学を休んで祖母の家に行くと言うと、正雄も行くといった。正雄は、心配していたのだ。これまで、一度も大学を休んだことがない兄が、急に休むと言いだした。

 正雄は、以前からも、春次に胸を痛ませていた。それを春次にもあらわしたのが、あの日の夜。ふだんは寝落ちすることのない春次がめずらしく作業の途中で眠ってしまっていた。それを正雄が起こした。そのときに、正雄は春次を心配している趣旨しゅしを話した。それは、一つ違いで、兄妹のなかで、もっとも春次のことを知っている次男だからの心配だった。

 今でこそ、立派な六人兄妹の長男である春次だが、そんなふうになったのは、露文が誕生してからだ。それまでは、よく泣いて、よく両親に甘えていた。弟の正雄の前でもそうだ。しかし、露文が生まれると、物心ものごころがついた春次には兄としての責任がえたのだ。三人の兄弟の一番上の兄として。その後、弟、妹が増えてくるとともに、長男としての責任感も増えてきた。そこを正雄は心配していた。責任感は湧いたものの、春次自身の弱いところは、変わっていないままなのではないか、と。

 次男で、大学生なのに、下の兄妹たちに何もしていない自分。本当は気弱な長男一人に、すべての負担ふたん背負せおわせていることへのやましさをかくし持っていた。

 春次にそんな話をすると、春次は明るく大丈夫なようにふるまったが、それは表面上のものでしかなかった。それは、正雄も気づいていた。

 最後に春次は、意味深なことを言った。今後、正雄に大変な思いをさせてしまうかもしれない。正雄は不思議ふしぎに思ったが、気にはめなかった。


 春次と正雄が、祖母の家に行った日の夜。春次が、正雄をなでたあの夜だ。あの夜以降、正雄にはわだかまりがより強く残った。

 本当をいうと、それ以前からも、漠然ばくぜんとあったのだが、あの夜以降、それがより鮮明に強くあらわれたのだ。正雄は、春次をあやしがった。

 その後日の夜。このときも、春次のことが頭からはなれなかった。いろいろと考えをめぐらせていると、ふと、とあるノートの存在が、正雄の脳内に舞いおりてきた。それは、春次が書いていたノート。夜にこっそりと書いていて、正雄がやってくると、あわてて閉じる。もしかしたら、それを見れば何かわかるかもしれない。

 正雄は、春次のつくえのあたりをさがすと、見に覚えのあるノートがでてきた。これである。正雄は、椅子いすにすわってノートをひらいた。

 そこには、春次が自分の死を匂わせた内容が書かれていた。それから、家族や友人に対する想いやメッセージなどや、自分が死んで生まれ変わったらこうなりたいということなどがいろいろと書かれていた。正雄は、最初は何だこれと思ったが、読み進めていくうちに、現実に起こることなのかもしれないとさとった。その瞬間、正雄は青ざめた。全てを読み終えると、身の毛がよだった。そして、あの意味深な言葉の意味がわかった。

「今後、正雄に大変な思いをさせてしまうかもしれない」それは、春次はもうじき死んでしまう。そしたら、その代わりは正雄が担うことになりそうだ。それを示していたのかもしれない。

 正雄は、ノートを手にしたまま、けだした。


 正雄は、勢いよくドアを開けた。そこはリビングだ。しかし、真っ暗だ。だが、ソファには、横になった春次がいた。正雄は、持っていたノートを春次に投げつけた。

「なんだよこれ!」

 春次は、飛んできたノートを見るや、身を起こした。

「……見たのか」

「最近、変だと思ったら……。前に言った意味深な言葉、あの意味がわかった。死ぬってなんだよ。なんでなんだよ」

 正雄の目からは、猛烈もうれつな涙があふれでてきていた。正雄は、春次に近よった。

「お兄、死ぬなよ。絶対に死ぬな。お兄が死んだら……、みんなどうすんだよ!」

「正雄……」

 春次の目にも涙がにじんだ。いままでおおっていた布がはがれ落ち、丸はだかになった春次の本心だった。春次は、正雄にきついた。そして、声をもらして泣いた。

「でも、もう、……無理なんだ。俺はあと少しで死んでしまう。わかるんだ。直感で。そりゃあ、俺だって、死にたくない。もっとみんなと一緒にいたい」

 春次は、嗚咽おえつが落ちついてくると顔を上げて、正雄の顔をじっと見た。

「正雄、俺が死んでも、また生まれ変わるから、そしたらまた、みんなに会いたい」

「生まれ変わり?」

「生物が死んで、魂があの世へ行くと、また別の生物に生まれ変わる。だから、俺が死んでも同じ。それでもし、また人間に生まれ変わったら、みんなに会いたい」

「……わかった。でも、死ぬなよ」

「わかってる」

 春次は、笑顔をみせた。

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