一つ下の次男

 春次はるつぐさんの 記憶の夢。この日は、照行てるゆきさんが所属する野球チームの練習試合。母親と春次さん、鈴美すずみちゃんで見に来ていた。照行さんのポジションはピッチャーだ。鈴美ちゃんは、照行さんが見えると、「てるお兄ちゃーん!」と元気いっぱいに声援せいえんを送る。照行さんも、こちらを向いて、大きく手をった。家族のみんなも手を振った。試合中、照行さんが登板しているとき、みんなが熱中ねっちゅうしてあつい声援をばしていた。母親も、春次さんも、鈴美ちゃんも。照行さんがストライクを一つ取るたびに、みんなよろこび、ヒットを入れられると、がっかりする。でも、秒で立ち直り、声援を飛ばす。一回、一回、何かが起こるたびに絶叫ぜっきょうし、飛び上がったりで忙しい応援だった。すごかった。元気な家族だなって、きっとすごく目立っているだろう。

 試合後、合流ごうりゅうした照行さんは苦笑いを浮かべていた。照行さんいわく、めっちゃ聞こえていた。すごく熱い家族だとチームメイトたちに笑われたとも言った。

 家に帰ると、みんな汗をかいていた。特に応援に行った三人。熱気ねっきの強い応援で、冬の寒さを夏の暑さに変えてしまった。だから、夏の時期みたいな汗の量になってしまった。これには、無愛想むあいそうな次男の正雄まさおさんふくめ、家にいたみんながおどろいていた。今度は照行さんは笑っていた。


 真っ暗な画面。春次さんは、眠っているらしい。「お兄」すぐそばから誰かが呼ぶ声がした。春次さんをそうやって呼ぶのは、正雄さんだ。「お兄」さっきよりも大きく、もう一度呼んだ。春次さんは目覚めた。そして、身を起こす。そこは勉強机。ノートが置かれ、右手にはシャープペンがにぎられてたようだ。勉強している間に寝てしまったのか。めずらしい。

「わっ、正雄」春次さんはあわてた。開いていたノートを閉じた。

「大丈夫?」と心配した様子で言い「お兄が寝落ちするなんてめずらしい」と続けた。

「うーん、ちょっとつかれてたみたいだ」

「お兄はいろいろ、がんばりすぎじゃない。あんま無理とかは…」

「ありがとう。でも大丈夫だよ。俺は頑丈がんじょうだから」

 正雄さんはだまっていた。言いよどんでいる。話す言葉をさがしていた。

「……何が頑丈なんだよ。いつもそう言うけどさ」

 正雄さんは、口を開いた。

「お兄は、本当は……そんな感じじゃないでしょ。……本当は、もっと……弱くて、よく泣いて、父さんと母さんに甘えてばっかりで。露文つゆふみが生まれてから、急にしっかりしだしたけど、じつは、かなり無理してるんじゃないの? 昔からずっと」

 春次さんは、何も言わなかった。

「ほんと、無理はしないでよ。お兄にばっかりに苦労させちゃって……。たまには俺とかに頼ってもいいからね」

「…大丈夫だよ、家族のことは俺にまかせて。正雄は、正雄のペースでいればいいから」

「お兄!」

「……正雄、何だか今後、正雄に大変な思いをさせるかもしれない。だから、今は、ゆっくりしてて」

「何だよそれ。お兄のほうこそゆっくりしてよ。もう、今日は寝たら?」

「うん」

 

 ……何だろう。私はむなさわぎがするのだ。予感がするのだ。予感。春次さんの家族が、これから海の深い深いところまで沈んでしまう。今、もうすでに海の上のところにいるのかもしれない。もしかしたら、迫ってきているのかもしれない。


 目覚めた私は、いつも通りに記憶の夢のメモをした。このノートも、いつの間にか終わりに近づいていた。私の絵などがあるところまで、あとわずかしかなかった。現実での私は、歩けるようにするため、少しずつだがリハビリに取り組み始めている。しかし、足はもう、だめになったみたいで、足もスムーズに動かない。まるで、ヨボヨボのおばあちゃんだ。ちまちまとしか歩けない。それが限界げんかいだ。私は、生涯しょうがい車椅子生活になるしかなかった。悲しかった。私には、車椅子をあやつる能力は無いから、誰かに押してもらうしかなかった。それがもうしわけなかった。押してもらうのは、家族。それも母が中心。たまに姉にも押してもらった。その他には看護師さんといったところだろう。そして、私の今後も真っ暗だ。これでは学校にも到達とうてい行けない。影でないといけない私が、思いっきり目立って、思いっきり表に出てしまう。それに、私の教室に行くには階段を上る必要があり、もちろんスロープなんてものも、エレベーターなんてものも存在しない。その他もろもろにも、やはり車椅子では不便ふべんだ。車椅子も、私一人じゃ難しいから、介護かいご人が必要だ。このとしで介護人が必要だなんて。なさけなかった。

 

 母に新しいノートを買ってもらった。まさかの二冊目に突入とつにゅう。私が事故にってから、長い月日が過ぎた。そしてそれらを春次さんたちとともに過ごしてきた。せっかくの節目ふしめだ。これまでの記憶の夢の記録を見ていく。


 これは私の好きなやつだ。


 春次さんと露文さんとの二人で、レディースのファッション雑誌を見ていた。露文さんの“興味”が認めてもらえたあの日以来、春次さんの前でなら、平気になったみたいだ。

 当時の時代の流行のファッションやメイクなどがのっている。やはりそこにのっているファッションやメイクが、この時代を教えてくれる。二人とも雑誌に夢中になっていた。だから口数もなく、静かだ。

 口を切ったのは春次さん。「何か気に入ったものでもある?」と聞いた。

「うん、まあ」と露文さんはにごすような返事をした。

「俺も、何か……やってみたいな」

「お、いいんじゃない。買いに行くか」

「えっ‼︎ 」

 露文さんは、テンパった。行きたい気持ちもあるだろうが、恥ずかしさやおどろきなども強いだろう。

「い、今から?」

「もちろん」 

 当たり前じゃないか、というような感じの春次さん。そこに悪気わるぎなんてものはない。

「お兄ちゃんと二人で⁉︎」

「うん。いいだろ?」

「ダメに決まってるでしょ!」

 露文さんは、顔を赤くした。春次さんは、ダメと言われて不服そうだ。

「えー、なんでさ」

「男二人で女の子の服を買いに行くとか、いやじゃん」

「別に問題はないだろ」

 いや、めちゃくちゃあるけど。

「大問題でしょ。せめて一人は女の子いないと」

「しょうがないな。俺の友達もさそってみるよ。女の子」

 春次さんは、携帯を取り出し、電話をかける。その相手は初子さんだ。

「あ、もしもし。初子さん?」

『あら、春次さん。どうしたの?」

 春次さんは、露文さんのことを話し、「買い物に付き合ってもらえないか」と頼んだ。初子さんは、こころよくOKをだした。

 

 初子さんのお気に入りのブランドのアパレルショップに行った。コーディネートは、初子さんにセレクトしてもらうことになった。

「露文くんは背が高いから、大きいサイズってあんまりないんだよな」

 と言っていた。

 それから、いろんな店を転々てんてんとし、メイク品や、ウィッグ、その他の小物なども買った。家に帰り、さっそくそれらを身につける。メイクは、初子さんにしてもらった。

「じゃん。すごい、可愛いよ」

「おー! 似合ってる」

 初子さんと春次さんからは好評こうひょうだった。ロングヘアのウィッグに、大人びた組み合わせのコーデがノッポな露文さんに合う。綺麗だった。

 そのとき、グッドなタイミングで他の家族たちが帰ってきた。

「ただいま!」

「おかえり」

 焦る露文に、春次さんは、「女の子になりきるチャンス」と助言。女の子になった露文さんを、みんなの前に出す。春次さんの大学の友達として、紹介した。正雄さんと照行さんは、微妙びみょうな反応だったが、雪弘くんと鈴美ちゃんはうたがっていないようだ。素直に興味深々にくらいついた。

「名前は?」と、鈴美ちゃんが質問する。

「名前は……えっと、えっと、つ、“露子つゆこ”」

 ただ、露文の「露」に「子」をつけただけで、わかりやす過ぎる。センスがない。「おわった」露文さんと初子さんはさとった。二人の顔が物語っている。

「つゆお兄ちゃんみたい」

「だねー」

 これは、雪弘くんと鈴美ちゃんにも気づかれてしまった。

「いや、つゆ兄でしょ」

 照行さんには最初っからバレていた。おそらく正雄さんにも。照行さんが言ったことで、雪弘くんと鈴美ちゃんにもバレてしまった。露文さんは、春次さんをにらんで「ほら、バレちゃったじゃん」

「ご、ごめん」

 さらに追い討ちをかけるように、「お兄、名前つけるの下手へたすぎる」と正雄さんが、辛辣しんらつな言葉を言った。初子さんは、笑っていた。

 

 これはとても面白かった。私が起きてからも、めちゃくちゃ笑った。

 他はどうだろう。雨上がりの空、立派な虹が出ていて鈴美ちゃんがよろこんでいた。

 春次さんが飲んでいたお茶の茶柱が立っていて、みんなで盛り上がった。

 大学のお昼の合間に初子さんとご飯を食べに行った。いかにも大学生の青春って感じがした。

 楽しい記憶がたくさんあった。しかしだ。

 楽しみにとっておいた栗まんじゅうが食べられてしまった。

 弟の忘れ物に気づき学校へ届けた。

 急な雨に濡れる洗濯物を取り出した。

 下の子がけがをしたら手当てをし、勉強のわからないところを教えたり、母親の手伝いをしたり。

 春次さんは、頼れる、とても立派な長男。妹ちゃんのミスで、自分が使う茶碗ちゃわんがわれてしまったとき、おこることなく、穏やかに彼女の頭をなでた。とても優しい兄。その時は、素敵なお兄ちゃんだと素直に感動していた。

 でも、今思うと、かなり大変で、我慢がまんも多かっただろう。それは、大兄妹の長男だから、宿命しゅくめいなのかもしれない。楽しいこともたくさんあるが、大変なこともたくさんあった。栗まんじゅうが食べられたときは怒っていた。忘れ物を届けるときも気おくれしていたと思う。私には、春次さんの気持ちは伝わってこない。春次さんがどう思っているのか、何を考えているのかが分からない。茶碗がわれたとき、あふれでる感情を押さえ込んで、おだやかな笑顔をみせていたのかもしれない。一つ下の弟。他の兄妹たちよりもずっと、一緒にいて、兄妹の中でもっとも春次さんのことを知っている。正雄さんの言葉が、私の胸に深くみ込んだ。私は衝撃しょうげきを受けた。春次さんは、「本当は、もっと弱くて、泣き虫で、甘えん坊」

 春次さんは、今までずっとずっと、「無理」をしていた。泣きたくても、甘えたくても、“長男だから”と、こらえた。下の子たちにさとられないように。でも、正雄さんには悟られていた。いや、最初からわかっていたんだと思う。お兄は、無理をしていたと。

 私は、痛む心にそっと手をえた。

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