木偶の坊の私

 春次はるつぐさんの記憶の夢をかさねていくと、本当に春次さんが私の前世なのではないかって。特に栗まんじゅうのところ。春次さんは栗まんじゅうが大好きで、私もそうだ。だから、本当に春次さんと私はつながっているのではないか。その確率が、私の中でもぐんぐんとふくらんでいく。かれたおもちみたいにぷくーっとふくらむ。

 でも、それはいやだった。春次さんは家族想いの、とっても優しい良い人である。そんな人を青い若葉のまま、失ってしまうのは、とてつもなく悲しい。その上、こんな木偶の坊な人間に変わってしまったということが、私はたえられない。

 いやだ、いやだ。春次さんは、春次さんのままでいい。変わらないで、おとらないで。私は本当に何も出来ないから。役立たずの木偶でくぼうだから。

  ──自分をそんなに責めないで。

 えっ? 今、大人の男の人の声がした。穏やかな優しい声。この声は、春次さんだ。

 いいえ、私は本当にダメで、何一つとして出来ないんです。

 そう、私は本当にダメ。できないことが多すぎて、人に迷惑めいわくばかりかけてしまう。

 たとえば体育。長距離のとき。ペアになった子のタイムを覚えて、その子に教えないといけない。でも、私はタイムを覚えられなかった。頭がぐるぐるとまわって、数字というものが大の苦手で。その子はとても優しく、行動力もあるから、同じくらいのタイミングでゴールした子にタイムを聞いて、自分のタイムをみちびき出した。もうしわけないと思った。本当は私が覚えていなければいけないのに。

 たとえばやっぱり数学。私は数学がぜんぜんできない。特に最近のやつはまったくわからない。他のみんなはどんどんといて、進んでいく。でも、私だけは時が止まっていて、独りぼっちでぼーっとしている。だから、数学の時間が一番ゆううつだ。数学ができないと、他の教科にも影響が出た。主に理科だが、社会でも数学に向いていないと、とけないようなものもある。当然、数学に向いていない私は、それらをとくことができない。テストでそんな問題が出れば、見向きもせずに通り過ぎてしまう。もっと、数学に向いた人だったならば、そんな問題もこなすことができたはず。

 そんな役に立たない頭の上に、私は臆病おくびょう者だし、運動の能力も低く、なまけ者で、女子力のかけらもない。

 取りがない。何もいいところがない。これでは、人から自分の長所を聞かれたときに答えられない。短所であれば、いくらでも答えることができるが。ああ、私は、価値のない、最低な人間になってしまった。

 そんな人間にとって、学校はとても億劫おっくうでゆううつなものだ。自分よりも、うんと才能さいのうがあって、天才で、優れた人たちが集まっているから。なんの才能もない人は、そんな人たちの影になるしかなくて、そうならないといけなくて、たいくつできゅうくつな毎日を、えんえんと過ごしている。その向こうには何もない。何も見えない。私は思う。そんな日々を過ごすのならば、絵を描いたり、動画を見たりする方がよっぽどよい。私は漫画には興味ないが、自分オリジナルの絵を描くのは好き。主に描くのは人物。女の子の割合が高いが、男の子も描いている。だがそれも、胸を張れるほどの出来ではない。

 ため息が何度も出る。何の能もない人間は、この先、一体これから何をすれば良いのだろう。

 

 風で木の枝がらめく。その葉っぱたちは、色が変わり始めていた。緑から《だいだい》。落ちついた色。落ちついた季節に変わっていく。外で吹く風は、冷たいものなのだろうか。からっとしたかわいた風か。窓を開けてみたかった。でも、私は動けないんだよな。ちょっともどかしい。

 毎日ほとんどここで座っている。あしを動かすことができないから。毎日ぼーっとしていた。何もしていないと、時間が過ぎるのが長く感じる。以前はすごく短く感じていた。それはもう、憎々にくにくしいほどに。休みの土曜日が来て、二日間休みだと思えば、あっという間に日曜日の夜がくる。そして、また明日からつまらない五日間が始まる。それのくり返しだ。

 今、こうしてぼーっとしているのも、以前は、なかなかできてなかった。そんな余裕はなかった。やらなければならないことが多すぎて。

 逆に今は、何もない。やるべきこと、やらなければならないことが、全くない。何もなさすぎて、それはそれでわびしいものだ。

 ほどほどがよい。ほどほどに動いて、ほどほどにぼーっとする。それが一番。多すぎず、なさすぎず。

 あー、ひまだぁ。外からは、鳥のかん高いき声が聞こえてきた。スズメではない。得体えたいの知れない何か鳥だ。

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