雪弘と友達

 春次はるつぐさんは、つくえに向かって勉強をしていた。そこへ、ゆっくりとドアが開き母親が入ってきた。どこかむねを痛めているような様子があった。

「母さん、どうしたの?」

 母親がなにか不安をかかえているのが伝わってきたのか、春次さんは尋たずねた。

「春次。今、学校から電話が来たの」

 母親は、言葉をつまらす。言いにくいような悲しいことが起こったのだろう。

「ゆきが、クラスの子たちから暴力ぼうりょくを受けてたおれたって」

 えっ。春次さんは、突然とつぜん走ったショックで声がこぼれ出た。

 そういえば、前に相談してたな。あの続きだろうか。雪弘くんが、いじめを受けている。あんな可愛かわいらしい子が。白くてふわふわした雪みたいな子が。私には信じられない。

「だから、ちょっと学校に行ってくるね」

おれも行くよ」

 春次さんは、素早すばや椅子いすから立ち上がった。

 母親は、戸惑とまどいを見せるものの、春次さんの気持ちを尊重そんちょうしたのか、それをゆるした。


 雪弘くんが通う学校の保健室。そこでは、雪弘くんがベッドの上で横になっていた。そのかたわらには雪弘くんの友達であろう男の子が座っていた。ゆき。雪弘。春次さんは、雪弘くんの名前を呼んだ。保健室には春次さんだけで来た。母親は、校長室の方に呼ばれた。横になっている雪弘くんは、ぐったりとしていた。

「お兄ちゃん」

 重々しい体から、よわった小鳥のような声をだして、兄にこたえた。

雪弘ゆきひろ、大丈夫か。母さんは校長室にいるよ」

 雪弘くんは、あら呼吸こきゅうをしているだけで、返事をしない。

 かたわらに座っていた男の子──胸元に倉野くらのと書かれた名札をつけている──が口を開いた。

「……雪弘くんは、僕をかばってくれたんです」

 倉野くんの顔はしずんでいた。海の深いところまで沈んでいた。声も少しふるえていた。そんな倉野くんの格好は失礼ながらも、みずぼらしいものだった。他の家からゆずり受けたような、使いふるした衣服いふくだった。この子の家は、まったく裕福ゆうふくなところではないんだな。それで差別され、いじめられているのだろう。

「君は大丈夫なの?」

「……はい。雪弘くんがやられてすぐに助けがきたので、ぼくはやられていません。雪弘くんは、みぞおちに、強く一発をくらって、倒れました」

 これをきいた春次さんは、きっとショックを受けて、青ざめていることだろう。

「……ごめんなさい。僕のせいで、僕をかばったせいで、雪弘くんがこうなってしまった」

 倉野くんは、ほおに涙を伝らせながら、春次さんにあやまった。その体はふるふると震えていた。

「あぁ、僕はなんていやな人間なんだろう。自分を大切にしてくれる存在にまで、不幸な思いをさせるんだ。人をイラつかせて、うらまれて。こんな疫病神やくびょうがみなんて、……この世に存在しても、良いものなのかなぁ」

 倉野君は、自分だけに言い聞かせるように、小さな声で、自分をめた。

「そんなこと、言わないで」

 雪弘くんは、横になりながら言った。

すすむくんは悪くないよ。なのになんであやまるの? 疫病神なんて言うの、やめてあげてよ」

「そうだよ。たった一つしかない命なんだから、自分で自分を傷つけてはいけないよ」

 春次さんも、雪弘くんに続けて言った。

 倉野くんは、ぼそっと何かを言おうとしたが、突然とつぜんの大きな音にかき消された。開いたとびらから飛び込んできたのは、四男の照行てるゆきさんだった。

「照行」

「え、春兄。来てたんだ」

「うん、母さんと一緒に」

「……お兄ちゃん」

「ああっ、ゆき!」

 照行さんは、雪弘くんのよわった小鳥よのうな声を聞くと、一目散いちもくさんにベッドまでかけよった。

「ゆき、大丈夫か?」

 どう見ても大丈夫な状態ではない。悲惨ひさんな姿の弟にゆっくりと、ひざからくずれ落ちた。そして、ベッドに顔をふせた。

「……照お兄ちゃん」

「照行」

 雪弘くんと春次さんは、照行さんを心配していた。少しおどろいているようにも見えた。

「何で来なかったの? 俺のところにきたら、助けてやるって言ったじゃん」

照行さんは、泣いていた。かたや声が震えて上がっていた。

「……ごめん。そんな余裕なかった」

 雪弘くんは謝った。その眼は落ち込んで、下を向いていた。

 「雪弘くんは、危機を感じて教室を出ようとしてたんですが、それを読まれたみたいで、はばまれてしまいました」

「ああああっ、くそっ! くそっ!」

 照行さんは、いかなげきの叫びを上げた。それはいろんなところへ向けられているだろう。愛する弟をこんな姿にさせた加害者。弟を守ることができなかった自分へのふがいなさ。

 春次さんは、泣き崩れるてるゆきさんの背中せなかをさすった。

「照行、雪弘はこの子を庇って守ったんだって。雪弘はヒーローだね。もちろん、照行も立派なヒーローだよ」

 春次さんは、照行さんに、雪弘くんに、優しい言葉をかけた。この言葉が火種ひだねとなって、照行さんはさらに泣いて、雪弘くんの目からも涙がこぼれた。春次さんは、雪弘くんの頭も、優しくさすった。


『雪弘くん、学校でいじめられて、倒れる。──みぞおちに当たって、ぐったりしていた。

 友達、倉野くん──みずぼらしい格好で、あまり家が裕福ではなさそう。いじめの対象になった。

 雪弘くんが友達をかばい、標的ひょうてきにされた。

 てるゆきさんが来た。悲しんで、泣いていた。ゆきひろくんを助けたいと思っていた。

 春次さんの優しい言葉で、二人とも泣いた。素敵な兄弟愛。』


 外は真っ暗になっていた。最近、日の入り時刻が、前よりもずっと早くなった。私は、夜の音楽番組を見ていた。手元には、ふくろに入った醤油しょうゆせんべい。昼間姉が買ってくれたのだ。私は、こういうおかき系も好きだ。特にせんべい。スタンダードの醤油に、甘いざらめせんべい、海苔のりった海苔せんべいなど色々好き。好きなせんべいを片手に音楽番組を見る。最高の至福しふくの時だ。しかも、今夜は、好きなアーティストが出ているので、さらにどきわくしていた。

 ついに! そのアーティストの番が来た。うわあああ‼︎ 私は、心の中で大絶叫だいぜっきょうした。燃え上がる私を鎮火ちんかさせるかのように、携帯けいたいった。姉からのラインの通知つうちが来た。

 何だよ。こっちはラインを見ているひまはない。せっかくの良い気分が台無だいなしになった気がする。私は、携帯電話の電源を完全にシャットダウンした。そして、何も気にすることなく、好きなアーティストの新曲初披露ひろうを夢中でいた。私はニュース番組で見たり携帯で何度もリーピートしているので、歌詞やメロディはよく知っていた。せんべいを食べながら、鼻歌を歌って、リズムにのっていた。歩くことは出来できなくても、リズムにのってれることはできる。そうして、最高の一時いっときをすごした。

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