露文(枝道編)
ただ、一つ、わだかまりがあった。露文は、れっきとした男だ。しかし、男が好むようなものよりも、女が好むようなものが好きだった。外で活発に動き回ることよりも、室内で静かに過ごすことのほうが、好きだった。色も黒や青より、
それは、家族でも同じ。家族はもっとも身近な世間の人だ。世間のルールに反することは絶対に許されない。たとえ春次でも。春次はとても優しく、頼りになる良い兄だ。それでも、やはり抵抗がある。とはいえ、自分の興味という
露文は、雑誌に
露文は、顔の形もととのっているため、学校では女の子に人気だ。
おはよう。朝、学校に登校すると、何人かの女の子に、そう声をかけられる。おはようだけを言って去っていく子もいれば、おはようと言った後も、ずっと露文のそばにいて、ずっと話をする子もいる。露文は、毎朝ゆううつな気分でいる。じつは女の子は苦手だ。特に、おはようを言った後も、ずっと側にいて、話をするタイプ。彼女らは
ある日の朝。いつもどおりの猛獣たちがむらがって、露文にくらいつく。そして、いつも通りにくつをはきかえようと、下駄箱の扉を開ける。すると、空いている下履きを入れるところに、一通の手紙が置いてあった。露文は、くつをはきかえると、それを手に取る。
『露文君へ』と封筒のまんなかに大きめに、けれど小さくて丸い。女の子っぽい可愛らしい字で書いてあった。そんな可愛らしい字に、露文の心は、ほんの少しだけときめいた。
しかし、その手紙はすぐに猛獣にうばわれてしまった。露文は
「ちょっと、返して」
「どうせいやがらせの手紙だし、こんなのすてたほうがいいわ」
「こんなダサい手紙、ぜったいニセモノよ」
「もう、今破いちゃってよ」
「そうね」
とともに、猛獣は手に持っている手紙を、封筒の上から真っ二つに破いた。
ひどい! 露文は
「人が書いたものを無神経に破くな」
露文は静かに、激しい怒りをこめて言った。
「はぁ? なにいってんの!」
「まさか、こんなダサい手紙にひかかれたっていうの?」
猛獣たちは、まだこりない。露文が怒っても、気にせずへらへらと笑っている。
露文は、猛獣から手紙をうばい返した。
「もう、俺につきまとうな」
そう言って、その場から立ち去る。まだあきらめきれない猛獣が、露文の肩に触れたのを
教室に入り、カバンの片づけをおえると、ぶざまに真っ二つに破けた、封筒の中身を取り出した。そして、二つをつなげた。
『露文君へ。
昼休みの時間に、図書室に来てください。
田中』
田中さん……って誰。この世に田中はたくさんいる。おそらく、この学校にもたくさんいるだろう。だから、個人を特定されにくいという利点を活用したのか。わざと下の名前を書かなかった。このクラスにも田中さんはいるけど、分からない。
授業中も、田中さんのことが頭からはなれなかった。
ようやく昼休みに入り、足早に図書室へと向かった。
図書室にはすでに数人いた。その中に田中さんがいるのか。
「あ、露文君」
露文に気づいた一人の女子生徒が、こちらに近づいてきた。彼女は露文と同じクラスの田中
「田中さん。もしかして、手紙の?」
「うん。ちょっと、一緒になりたくて」
露文と陽菜美は、一緒に座った。
「どうして、俺を呼んだの?」
「……私も、露文君好きで、近づきたいと思ったから」
陽菜美は、しばらくもじもじしていたが、再び口を開いた。
「……露文君から見て、私はどんな印象があると思う?」
田中さんに対する印象? 田中さんのことはあまり意識したことはなかった。露文は、うーん。と考える。
「正直、あまり意識したことないから分からないけど、……手紙の文字は、とても女の子っぽい可愛い字だと思ったよ」
「え。あ、ありがとう」
それから、陽菜美は、露文にいろいろと質問したり、お気に入りの本を紹介したりした。そうして時間をともにした。
「そろそろ教室行こっか」
「うん。……あ、露文君」
「ん?」
「私、もっと露文君と仲良くなりたいな」
露文は察した。仲良くなりたい。そして、そのままそれ以上の関係になれたらいいなと思っているのだろう。陽菜美は、露文と、ずっと一緒にいるような、そんな関係を望んでいるのだ。でも。
「俺はいいけど、やめておいた方がいいよ」
「え、なんで?」
「たぶん、この先、絶対傷つくことになると思うから」
露文は、自分の本性──女性ものに興味があること。──それを知ったとき、陽菜美は必ず傷つくだろうと予測した。
「いいよ。人生、何が起こるかわからないし。この先傷つく可能性があったとしても、私は露文君と一緒にいたい」
陽菜美は笑顔でそう言った。
「ん。ならいいけど」
それでもやっぱり、不安は残る。
あ、そうだ。一つ、どうしても気になることがあった。露文は、陽菜美に手紙を見せた。陽菜美が露文
『露文君へ。
昼休みの時間に、図書室に来てください。
田中』
「ねえ、何でこれ田中だけなの」
露文が聞くと、陽菜美はクスクスと笑った。
「クラス一緒だし、私がそれを書いたって知ったら気まずいでしょ。田中さんはたくさんいるから、それだけじゃ、誰か特定できないじゃない」
そうだろうとは思ってたけれど。
男が、女のファッションを見にまといたい。スカートをはいてみたい。化粧をしたい。ネイルをしてみたい。なんて言ったら、
絶対ルールだから、しかたがない。自分もそれにしたがう
そして、ついに、恐れていたことが起きてしまった。絶対に起きてほしくないことが起きた。
露文が読んでいた雑誌が、春次に見つかってしまった。春次が雑誌を読んでいるのを見たとき、露文は色を失った。頭の中も空っぽになった。
頭の中が空っぽになり、とりあえずリビングに行った。そこでは、末の妹の
「すず。何してるの?」
「お絵描き」
まだ七歳の幼い妹。全ての言動が
やがて、春次が入ってきた。少しゆっくりとドアを開けた。春次が入ってくると、鈴美は画用紙を持ってすぐにかけつけた。自分が描いた絵を兄に見せている。露文は、その様子をじっと見ていた。どこか怖さを覚えながら。春次は、鈴美の背中を押して、露文のもとへ。何かを言われる。雑誌のこと。露文が女性のファッションに興味があること。怖い。
春次は、露文のとなりに座った。露文はそっぽを向いた。直視できなかった。春次は鬼の
「露文」
春次の声は
「ごめん、雑誌のこと」
春次は謝った。その声はやっぱりあたたかい。
「露文が何に興味を持ったって、なにも思わないから」
「……気持ち悪いとか思わないの?」
露文は、まだ素直になれず、そっぽを向いたまま、春次にたずねた。
「思わないよ」
気持ち悪いだなんて、思わない。露文が一番求めていた言葉だろう。一番求めていた言葉をかけてもらったなら、救われる気持ちになるはず。でも、露文はそんな気持ちにはならなかった。なぜか。まだ残っているのだ。六割。それは
「……そんなの
露文のぼそっとしたつぶやきをも、春次は拾った。
「嘘じゃないよ。嘘をついてるのは露文のほうでしょ」
「……!」
露文は、言葉を失った。内心が
「俺は気持ち悪いなんて思わないから、安心して」
露文は、春次に向き直って言った。
「本当だよね。絶対に気持ち悪いって思わないよね」
「うん。は思わない。
照行が? あいつにも雑誌のことばれてしまったのか。そういや、さっきリビングに行くときすれちがった。照行は、
「え、あいつが?」
「うん。だから、もっと自信を持って。自分の気持ちに素直になってよ」
「……素直」
自分の気持ちに素直になる。自信を持つ。それでいいの? 自分の気持ちに素直だなんて、世間の絶対ルールを破ってしまうけれどいいのかな。非難されないのかな。自分の気持ちに素直になるってどういうことだろう。
すると、露文のひざの上に、鈴美が乗った。そして、小さな両手で露文さんの
「お兄ちゃん、わらって。ね」
これは、鈴美の兄への
「露文、他の人の目なんて気にしないで、自分がやりたいと思ったことをすればいいんだよ」
春次は、露文の頭を優しくなでた。露文の
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