露文(枝道編)

 春次はるつぐの四つ下の弟。三男、露文つゆふみ梅雨つゆの時期にせいを受けたゆえにその名がついた。竹のように背丈が高く、身は細い。その背丈は、長男の春次の背をも抜く。内面も、竹を割ったような性格をしている。しなやかだが、どこか力強さがある。あまりものにこだわりを持つことはない。何かに執拗しつようになることもない。基本的には。

 ただ、一つ、わだかまりがあった。露文は、れっきとした男だ。しかし、男が好むようなものよりも、女が好むようなものが好きだった。外で活発に動き回ることよりも、室内で静かに過ごすことのほうが、好きだった。色も黒や青より、あわ桃色ももいろ紅色べにいろが好き。ファッションのほうでも、レディースものに憧れがあった。本当はズボンではなく、スカートをはきたい。化粧やネイルもしてみたい。女性の格好をしてみたい。しかし、現実は、そんなことはできない。原因は世間せけんだ。この世間は『男は男らしく、女は女らしくあれ』というルールが暗黙あんもく了解りょうかいとして、根強く存在する。それにはんする者は、『奇妙きみょうな者』として多くの人から冷たい目で見られる。気持ち悪いと思われ、バカにされて笑われる。露文は、それが怖い。だから、人前で女性ものが好きだ。女性の格好をしてみたい。なんて言えない。絶対に気持ち悪いと思われる。

 それは、家族でも同じ。家族はもっとも身近な世間の人だ。世間のルールに反することは絶対に許されない。たとえ春次でも。春次はとても優しく、頼りになる良い兄だ。それでも、やはり抵抗がある。とはいえ、自分の興味という欲求よっきゅうはわいてくる。他に家族のいない、一人きりの時間には、買ってきた女性向けの雑誌を、こっそりと読んでいた。そして、女性への憧れが募つのってくる。持っている文房具なんかも、女の子向けの色やがら可愛かわいい物を使いたい。でもそれは無理だから、どちらが使っても違和感のない、シンプルなデザインの物を使っている。わきでる欲求をおさえながら。

 露文は、雑誌に掲載けいさいされている、流行はやりのファッションに目を通しながらため息をつく。


 露文は、顔の形もととのっているため、学校では女の子に人気だ。

 おはよう。朝、学校に登校すると、何人かの女の子に、そう声をかけられる。おはようだけを言って去っていく子もいれば、おはようと言った後も、ずっと露文のそばにいて、ずっと話をする子もいる。露文は、毎朝ゆううつな気分でいる。じつは女の子は苦手だ。特に、おはようを言った後も、ずっと側にいて、話をするタイプ。彼女らは胴欲どうよく猛獣もうじゅうだ。ねらった獲物えものは逃がさないと、どこまでも追ってきて、むきだしの欲でくらいつく。当然、かくし持っているきばも丸見えだ。ひどく恐ろしいのだ。胴欲の猛獣は。


 ある日の朝。いつもどおりの猛獣たちがむらがって、露文にくらいつく。そして、いつも通りにくつをはきかえようと、下駄箱の扉を開ける。すると、空いている下履きを入れるところに、一通の手紙が置いてあった。露文は、くつをはきかえると、それを手に取る。

『露文君へ』と封筒のまんなかに大きめに、けれど小さくて丸い。女の子っぽい可愛らしい字で書いてあった。そんな可愛らしい字に、露文の心は、ほんの少しだけときめいた。

 しかし、その手紙はすぐに猛獣にうばわれてしまった。露文は不服ふふくに思った。

「ちょっと、返して」

「どうせいやがらせの手紙だし、こんなのすてたほうがいいわ」

「こんなダサい手紙、ぜったいニセモノよ」

「もう、今破いちゃってよ」

「そうね」

 とともに、猛獣は手に持っている手紙を、封筒の上から真っ二つに破いた。

 ひどい! 露文は憤慨ふんがいした。彼女たちをにらみつける。

「人が書いたものを無神経に破くな」

 露文は静かに、激しい怒りをこめて言った。

「はぁ? なにいってんの!」

「まさか、こんなダサい手紙にひかかれたっていうの?」

 猛獣たちは、まだこりない。露文が怒っても、気にせずへらへらと笑っている。

 露文は、猛獣から手紙をうばい返した。

「もう、俺につきまとうな」

 そう言って、その場から立ち去る。まだあきらめきれない猛獣が、露文の肩に触れたのをはらいのけて。


 教室に入り、カバンの片づけをおえると、ぶざまに真っ二つに破けた、封筒の中身を取り出した。そして、二つをつなげた。

『露文君へ。

 昼休みの時間に、図書室に来てください。

                田中』

 田中さん……って誰。この世に田中はたくさんいる。おそらく、この学校にもたくさんいるだろう。だから、個人を特定されにくいという利点を活用したのか。わざと下の名前を書かなかった。このクラスにも田中さんはいるけど、分からない。

 授業中も、田中さんのことが頭からはなれなかった。


 ようやく昼休みに入り、足早に図書室へと向かった。

 図書室にはすでに数人いた。その中に田中さんがいるのか。

「あ、露文君」

 露文に気づいた一人の女子生徒が、こちらに近づいてきた。彼女は露文と同じクラスの田中陽菜美ひなみ。彼女か手紙を書いたのだろう。

「田中さん。もしかして、手紙の?」

「うん。ちょっと、一緒になりたくて」

 露文と陽菜美は、一緒に座った。

「どうして、俺を呼んだの?」

「……私も、露文君好きで、近づきたいと思ったから」

 陽菜美は、しばらくもじもじしていたが、再び口を開いた。

「……露文君から見て、私はどんな印象があると思う?」

 田中さんに対する印象? 田中さんのことはあまり意識したことはなかった。露文は、うーん。と考える。

「正直、あまり意識したことないから分からないけど、……手紙の文字は、とても女の子っぽい可愛い字だと思ったよ」

「え。あ、ありがとう」

 それから、陽菜美は、露文にいろいろと質問したり、お気に入りの本を紹介したりした。そうして時間をともにした。

「そろそろ教室行こっか」

「うん。……あ、露文君」

「ん?」

「私、もっと露文君と仲良くなりたいな」

 露文は察した。仲良くなりたい。そして、そのままそれ以上の関係になれたらいいなと思っているのだろう。陽菜美は、露文と、ずっと一緒にいるような、そんな関係を望んでいるのだ。でも。

「俺はいいけど、やめておいた方がいいよ」

「え、なんで?」

「たぶん、この先、絶対傷つくことになると思うから」

 露文は、自分の本性──女性ものに興味があること。──それを知ったとき、陽菜美は必ず傷つくだろうと予測した。

「いいよ。人生、何が起こるかわからないし。この先傷つく可能性があったとしても、私は露文君と一緒にいたい」

 陽菜美は笑顔でそう言った。

「ん。ならいいけど」

 それでもやっぱり、不安は残る。

 あ、そうだ。一つ、どうしても気になることがあった。露文は、陽菜美に手紙を見せた。陽菜美が露文てに書いた手紙。

『露文君へ。

 昼休みの時間に、図書室に来てください。

                田中』

「ねえ、何でこれ田中だけなの」

 露文が聞くと、陽菜美はクスクスと笑った。

「クラス一緒だし、私がそれを書いたって知ったら気まずいでしょ。田中さんはたくさんいるから、それだけじゃ、誰か特定できないじゃない」

 そうだろうとは思ってたけれど。


 男が、女のファッションを見にまといたい。スカートをはいてみたい。化粧をしたい。ネイルをしてみたい。なんて言ったら、みんなはどんな反応をするだろう。そいつは変わり者だ。頭おかしい。変態。気持ち悪い。などと言うだろう。それはなぜか。男は男のファッションを見にまとい、スカートは、はかない。化粧、ネイルもしない。それが当たり前で、常識で、絶対ルールであるから。それを違反すると、みんなから一斉いっせい非難ひなんをあびるのだ。男は男らしくいろ。男が女の格好をするな。

 絶対ルールだから、しかたがない。自分もそれにしたがうほかない。どんなに気持ちは反していても。それでも、雑誌は見るけれど。


 そして、ついに、恐れていたことが起きてしまった。絶対に起きてほしくないことが起きた。

 露文が読んでいた雑誌が、春次に見つかってしまった。春次が雑誌を読んでいるのを見たとき、露文は色を失った。頭の中も空っぽになった。


 頭の中が空っぽになり、とりあえずリビングに行った。そこでは、末の妹の鈴美すずみがテレビの前のローテーブルで遊んでいた。

「すず。何してるの?」

「お絵描き」

 まだ七歳の幼い妹。全ての言動が純粋じゅんすいで、愛くるしく、いやされる。

 やがて、春次が入ってきた。少しゆっくりとドアを開けた。春次が入ってくると、鈴美は画用紙を持ってすぐにかけつけた。自分が描いた絵を兄に見せている。露文は、その様子をじっと見ていた。どこか怖さを覚えながら。春次は、鈴美の背中を押して、露文のもとへ。何かを言われる。雑誌のこと。露文が女性のファッションに興味があること。怖い。きもが震える。震えは止まらない。

 春次は、露文のとなりに座った。露文はそっぽを向いた。直視できなかった。春次は鬼の形相ぎょうそうをしているわけではない。なにも怖くないはず。しかし、怖い。

「露文」

 春次の声はあたたかい。春の陽気みたいに。たんぽぽが咲いていて、モンシロチョウが飛んでいそうなあたたかな声。震える肝を温めている。でも、露文は、まだそっぽを向いていた。

「ごめん、雑誌のこと」

 春次は謝った。その声はやっぱりあたたかい。

「露文が何に興味を持ったって、なにも思わないから」

「……気持ち悪いとか思わないの?」

 露文は、まだ素直になれず、そっぽを向いたまま、春次にたずねた。

「思わないよ」

 気持ち悪いだなんて、思わない。露文が一番求めていた言葉だろう。一番求めていた言葉をかけてもらったなら、救われる気持ちになるはず。でも、露文はそんな気持ちにはならなかった。なぜか。まだ残っているのだ。六割。それは上辺うわべでの言葉に過ぎないって。本当に思ってはいないって。

「……そんなのうそに決まってる」

 露文のぼそっとしたつぶやきをも、春次は拾った。

「嘘じゃないよ。嘘をついてるのは露文のほうでしょ」

「……!」

 露文は、言葉を失った。内心が動揺どうようしていた。

「俺は気持ち悪いなんて思わないから、安心して」

 露文は、春次に向き直って言った。

「本当だよね。絶対に気持ち悪いって思わないよね」

「うん。は思わない。照行てるゆきも何も言わないから」

 照行が? あいつにも雑誌のことばれてしまったのか。そういや、さっきリビングに行くときすれちがった。照行は、腕白わんぱくな四男で、いたずらが好き。兄たちをからかうこともよくするので、けむたがられている。露文が家族の中でもっとも秘密を知られたくない相手だ。

「え、あいつが?」

「うん。だから、もっと自信を持って。自分の気持ちに素直になってよ」

「……素直」

 自分の気持ちに素直になる。自信を持つ。それでいいの? 自分の気持ちに素直だなんて、世間の絶対ルールを破ってしまうけれどいいのかな。非難されないのかな。自分の気持ちに素直になるってどういうことだろう。

 すると、露文のひざの上に、鈴美が乗った。そして、小さな両手で露文さんの両頬りょうほほをぐいっと持ち上げた。

「お兄ちゃん、わらって。ね」 

 これは、鈴美の兄へのはげましだ。妹からの可愛いはげましに、露文の目にはなみだがにじむ。露文は、「ありがとう」と涙声で言った。

「露文、他の人の目なんて気にしないで、自分がやりたいと思ったことをすればいいんだよ」

 春次は、露文の頭を優しくなでた。露文のほおを涙のしずくつたった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る