竹のような三男

 春次はるつぐさんは、寝室でとあるものを発見した。雑誌ざっしだ。おそらくはファッション系。この時代に流行はやっているファッションなのだろう。しかし、これはかなり昔のものだ。表紙のデザインとモデルの服装や髪型などが、この時代を物語っている。だから、私にはまったくオシャレとは思えなくとも、当時のキラキラガールズにとっては、流行りゅうこう最先端さいせんたんなのだ。当然、この時代を生きている春次さんにとっても、このファッションはそう不思議なものではないと思う。春次さんは、雑誌を手に取った。

「ファッション雑誌?」

 そうだ。春次さんは、別の意味で不思議に思っているのだ。この家の兄弟は、六人中五人が男子。唯一ゆいいつの女子である末っ子のすずちゃんもまだ幼いから、大人向けの雑誌に興味きょうみを持つ年頃ではない。とすれば、この雑誌の持ち主は、五人の男子の中の一人ということになる。これは大問題だ。べつに問題のあるものでもないが、当時はこういうものに対する世間の目は現在よりも、とても冷たいだろう。だから、本人は絶対に見つかりたくないと思っていただろうに。

「これは、……露文つゆふみのやつか?」

 つゆふみ? あの竹のような感じの弟さんかな。

「わっ、お兄ちゃん!」

 するととつぜん、後ろの方から大声が聞こえた。春次さんがふり返った瞬間、いつの間にか目の前まで来たかと思えば、ハヤブサが獲物えものを捕まえるかのように、雑誌を素早すばやうばった。

「うわっ、露文」

 この人が、つゆふみさん。が高くて細い。さらさらとした感じで何だか竹みたい。あ、私の予想は当たっていたみたいだ。春次さんの予想も。つゆふみさんは、ノッポな体の背後に雑誌をかくした。

「それ、お前のだったんだ」

 何気ない様子で春次さんは言った。つゆふみさんは、顔を赤くし、もじもじとしていた。

「……勝手に見ないでよ」

「ああ、ごめん。急に出てきたからさ」

 つゆふみさんは、うつむいてしばらくだまっていた。沈黙ちんもくの間。それを打破だはしたのは春次さん。

「露文は、こういうファッションとかに興味があるのか」

「!」

 つゆふみさんは、しばらく沈黙ちんもくしていた。

「……露文?」

 つゆふみさんは、下を向いて突っ立ったままだ。見られたくないものを見られてしまった。自分だけのデリケートな世界に勝手に足を踏み入れられた。その恥ずかしさやストレスを一気に募つのらせたのだ。その気持ちはよくわかる。つゆふみさんは、持っていた雑誌をベッドの下に荒く投げ入れ、足早に部屋を出ていった。

 一人になった春次さんは、ストンと肩を落とした。そこへ、もっと下の弟──元気いっぱい四男が、ひょっこりと肩まで出して、こちらを見ていた。

「春兄」

「あ、照行てるゆきか。どうしたの?」

 春次さんが気づき、声をかけると、てるゆきさんは、部屋に入ってきた。

「露兄が怒って出てきたんだけど、春兄何か言ったの?」

 てるゆきさんが問うと、春次さんはうーんと顔を落とした。

「たぶんそうだと思う。俺は特に気にしていないけど、露文にとってはしゃくにさわることだったかもしれない」

「何を言ったの?」

 春次さんはだまりこくった。言葉を探しているのかもしれないし、思い当たる言葉があっても、言いたくないのかもしれない。

「兄ちゃん?」

 てるゆきさんは、少しいらついているように感じた。「兄ちゃん?」という言葉の中に、少しだけ怒りがふくまれていた気がする。春次さんは、ベッドの下をじっと見た。そこには、つゆふみさんが潜らせた、女性向けの雑誌がある。それを見せれば事情が伝わるはず。しかし、それにれたせいでつゆふみさんは怒ってしまった。今、てるゆきさんにそのことを言ってしまえば、さらに怒らせることになるだろう。春次さんは、どうしたら良いのか分からなかった。

 てるゆきさんは、不審ふしんに思った。兄ちゃんは、何をしたのだろうと。さっきじっと見ていたベッドの下。そこ何かあるのかと、横になって、ベッドの下をのぞき込んだ。そして、潜っていた雑誌を発見した。

「え、雑誌? 女の人向けのだ」

 見つかってしまった。春次さんは、観念かんねんして口を開いた。

「露文が持ってたものなんだけど……」

 春次さんが見つけて、それをつゆふみさんはいやだったみたいで、怒ってしまった。そのことをてるゆきさんに話した。

「へぇー、つゆ兄こんなの好きなんだ。男のくせに」

 ニヤついた顔でつゆふみさんをバカにするてるゆきさんに、春次さんは怒りが込められたため息をつく。だから、言いたくなかったのだろうに、と。

「お前にそんなことを言われるから、露文は見られたくなかったんだよ。別にいいだろ、誰が何に興味を持ったって」

「でもさ、良い年した男が女もの好きなんて、きもくない?」

「男が女ものを好きになってはいけないなんていう決まりはないからいいだろ。人が好むものにお前がとやかく言う権利はない。だから、男が女性ものに興味があったって、バカにしちゃダメだ」

 春次さんの説教せっきょうに、てるゆきさんの顔はしょんぼりとしおれていた。そこには、反省の色がふくまれた。

「……ごめん」

 しおれかけた声でぽつりと言った。春次さんは、ほほんで、弟の頭をなでた。


 場面が変わった。リビングだ。ソファにはつゆふみさんが座っていた。ソファの前のローテーブルには、末っ子の妹ちゃんが絵を描いて遊んでいた。妹ちゃんは、こちらに気づいた。

「あー、お兄ちゃん」

 大きな声で言うと、絵を描いていた画用がよう紙を持って、こちらに小走こばしりでやってくる。

「じゃん。春お兄ちゃんかいたの」

「わあ、すごい。絵上手いね、すず」

 色鉛筆で描いた絵は、たしかに上手だった。ほめられたすずちゃんは、満面まんめんの笑みを見せた。うれしいという感情が、ありありと伝わってくる。とても可愛らしい。すずちゃんの背中を押して、春次さんは、つゆふみさんのもとへ。

 つゆふみさんは、ばつが悪そうに春次さんを見ていた。春次さんは、となりに座った。

「露文」

 つゆふみさんは、そっぽを向いた。

「ごめん、雑誌のこと」

 春次さんは、謝った。

「露文が何に興味があったって、なにも思わないから」

 つゆふみさんは、少し間をおいてから、ぽつりとつぶやいた。

「気持ち悪いとか思わないの?」

 男が女性のファッション雑誌を好むのは、気持ち悪いこと。私はそう思わないが、この時代はそんな価値観が現在よりも強いのだ。現在よりも一昔前の時代では、男は力強くゆうかんに、女はひかえめで美しく。そんな固定概念が大樹たいじゅの根っこのように、太く根強くあったのだ。だから、それにそむく者は、変人、気持ち悪いと人から軽蔑けいべつを受けるのだ。それが怖いから、誰にも言えないし、そんな部分をさらけだすのにも抵抗がある。それはとても共感できる。たとえ、強く信頼できる人に対しても。むしろ、強く信頼できる人からくる軽蔑のほうがより痛い。「気持ち悪いとか思わないの?」それは嘘だ。本心ではない。本心は言えない。軽蔑されるのが怖いから。一番、信頼する人からの軽蔑の言葉が、一番傷つくから。怖いのだ。

「思わないよ」

 つゆふみさんは、ため息をつく。

「……そんなのうそに決まってる」

「嘘じゃないよ。嘘をついてるのは露文のほうでしょ」

「……!」

 つゆふみさんは、どきっとしたようだ。核心かくしんいたのだ。

「俺は気持ち悪いなんて思わないから、安心して」

「本当だよね。絶対に気持ち悪いって思わないよね」

「うん。思わない。それから照行も、何も言わないから」

「え、あいつが?」

「うん。だから、もっと自信を持って。自分の気持ちに素直になってよ」

「……素直」

 すると、つゆふみさんのひざの上にすずちゃんが乗った。そして、小さな両手でつゆふみさんの両頬をぐいっと持ち上げた。

「お兄ちゃん、わらって。ね」

 すずちゃんが言うと、つゆふみさんは目を大きく開いた。そして、優しい笑顔になった。目はうるんでいた。


そこで目が覚めた。私は強く胸を打たれていた。ああ、つゆふみさん。他人の目なんて気にせず、自分に自信を持って生きてください。

 そんなことを思った。

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